アルプスの麓に生きるチベット人

週刊金曜日 第745号(2009年4月3日)

スイス中部のトゥーンという町で、若いチベット人女性・ドルマ(仮名)に会った。一八歳だという彼女は、ときにそれより上にも、また若くも見えた。彼女がスイスに来たのは二〇〇六年のことだという。「スイスでの生活は本当に夢のようです。山もあってチベットに似てるし、それに自由だし……」 ――中略―― 明るい笑顔の奥にアジアへの強い望郷の思いを覗かせ、別れ際に、「いつまたスイスに戻ってきてくれる?」と寂しげな照れ笑いを見せた姿に、彼女には帰る国がないのだという事実を突きつけられた気がした。
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この人たちの通勤・通学・練習路。

キョースマ! 09年春号

●下立売通を歩いていくと、目の前には東山が見える。きっと紫式部もその山を見ながら、「さて、今度は誰を光源氏の餌食にしようか」などと考えていたのかもしれない。(紫式部)
●野口から杉山さんに宛てたはがきを拝見すると「そっと走らせていただいて」と、商店街の人々への感謝の言葉が記されていた。彼女のおかげで三条会は大いに盛り上がったと杉山さんは感謝するが、逆に礼を言われ、杉山さんは野口と監督の人柄に打たれたという。(野口みずき)
●「佐藤君たちとはよくキエフの後で[リラ亭]や[楽](共に閉店)といったこの界隈の店に飲みに行きました」と言って、佐藤が好んだロシアのウォトカ「スタルカ」を見せてくれた。(佐藤優)
●「本人を直接は知らへんけど、(彼亡き後の)家に猫が沢山いたのを覚えてます。60過ぎの私でもそのくらいやから、面識ある人はまずいないやろうね」/西田邸のあった路地から京大までのルートを尋ねると、「そこの鞠小路を下がって今出川まで出て、左折すればもう百万遍やからね」(西田幾多郎)
●彼が週に何度か行くという某名曲喫茶が、出町柳駅の近くにある。この店で彼がどう過ごすのか、話を伺おうとすると「お客さんのことを勝手に話すことはできません」。確かにそれももっともな話ではある。益川は落ち着けるひとときを求めてここに来るのだろう。それを理解した店長がいるからこそ、彼はここに通い続けているのかもしれないのだ。(益川敏英)
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ヒマラヤから、アルプスへ

中央公論 2009年2月号

スイスには亡命チベット人が多く暮らす。その数、インド、米国などに次ぎ三〇〇〇人ほど。五〇年前ダライ・ラマと中国を脱出した者から十代の若者まで、世代や背景はさまざまだ。難民資格なしで潜りこんだものも少なくない。チベット料理店を営む男が言う。「スイスの山に、故郷が重なるんだ」。だが、故郷には帰れない。亡命政府から派遣され三〇年以上スイスで暮らす男は、チベットに残る同胞の苦境に、涙した。十八歳の少女は、アジアへの思いを笑顔の裏に覗かせた。青年は、チベットへ帰る日を夢見た。目の前のアルプスは美しい。しかし、ヒマラヤは遠い。
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中国 異教徒たちの風景

週刊金曜日 第721号(2008年10月3日)

中国では、憲法で宗教信仰の自由が保証され、仏教も、道教も、キリスト教も、イスラム教も存在し、活動を認められている。なんらかの宗教を信仰する人は一億人いるといわれている。ここに挙げた三者はそのほんの一例に過ぎない。/ただ中国で認められているその自由には、政府の指導・監督に従うという制約がつく。従わない宗教は邪教として、弾圧の対象となる。――中略――もはやチベット問題もウイグル問題も、その地域だけの論争点ではなくなった。チベットを語ることはその人自身の政治的スタンスを物語るといっても過言ではないほどに、個々人の持つ背景によって善悪が見事に逆転する。
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チャドルの内側にある自由

週刊金曜日 第709号(2008年7月4日)

イラン北東部の聖地マシュハドで、一緒に旅を続けている妻が、神聖なエマーム・レザー廟に入るためにチャドルを買いに行くと、布屋の中で私たち の姿を興味深く眺めていた数人のチャドル姿の女性たちが妻に着方を手ほどきしてくれた。そのうちの一人が「ほら、こうやって着るのよ」と、笑顔で自らの チャドルをさっと開いてみせてくれたことに驚いた。決してその中など見ることはできないと思っていたチャドルの内側は”普通”の洋服だった。――中略―― 「ぼくら若い世代は、ほとんど誰もイスラム教なんて気にしてないですよ。酒だって飲むし、パーティだってやる。イランは街なかにそういうものがないだけ で、家の中にはなんでもあります。日本やアメリカと同じなんですよ。礼拝なんて、九〇%の人はやってないんじゃないかな」/テヘランのメガネ店の二七歳の 男性が当たり前のようにそう話した。イラン人は誰もが日の出前からアッラーの神に礼拝しているのだろうと考えていた自分にとって、それはショッキングな言 葉でもあった。ただその一方で、そう聞いてやっと、「女性は髪の毛を隠さなくてはならない」という法律をほとんど気にしないかのように、スカーフを大きく 後ろにずらし髪を露にして颯爽と歩くテヘランの若い女性たちの姿に納得がいった。イランが採用するイスラム法の下では女性が外では着られるはずもないノースリーブのドレスが街で売られていることも頷けた。
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中国に息づくイスラム教

中央公論 2008年6月号

「シルクロード」が賑わった時代に、陸や海を通じて、中国にもイスラム教が伝わり、人々の生活習慣を変えていった。そして中華人民共和国の時代に入って、イスラム教を信仰する人々として「回族」という少数民族が認定された。/いまでは中国全土に広く分布し、漢族と姿形に大差はないが、男性の被る白い帽子がひときわ印象に残る。その白で周囲が埋め尽くされると、一瞬そこが中国であることを忘れかけたが、その多様性こそがまさに中国なのだと思い直した。
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存在するものすべてにニセモノがある

週刊金曜日 第673号(2007年10月5日)

安そうな服やカバンが並ぶ店の裏に、やはりソウコがあった。売り子が密かに私を導いた先は、一見普通の店の中だが、カバンが並べられた棚の一つがまるで忍者屋敷のようにくるりと回転し、奥の部屋へと続く扉となっていた。そしてその中には、店頭にはない数々のニセブランドのバッグや時計が並んでいた。/「襄陽の時代ほどじゃないけど、商売はまあまあだな。取り締まりも、前より厳しくなったけど、おれたちは捕まらないようになってるんだ。いま警察が入ってきたら困るのはあんたの方だよ」/と、オーナー風の上海出身の中年男が冗談っぽく笑った。――中略――「ここでの商売とは別に、銃やコカインなどを仕入れて売ってるよ。危険だけど金はいい。ニセモノを売るだけでもまあまあ稼げるけど、おれには夢があるんだ。自分の店を持ちたいし、いい車にも乗りたい。山東にいる家族にも金を送ってる。兄貴の大学の学費も高いしな。もちろん、家族にはおれが危ない仕事をしてるなんてことは言ってない」
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中国と北朝鮮の国境に架かる橋 (連載「国境を往く」第一回)

LINK CLUB NEWSLETTER  Vol.142 (Mar. 2007)
(『国境を往く』 連載期間:2007年3月より隔月程度で、2009年秋まで)

橋の上は静かで、風の音しか聞こえなかった。/北朝鮮の緑の大地と、両国が共有する青い空を正面に見て直進する。「いきなり撃たれるんじゃないか」といった偏見に満ちた不安をよぎらせながら、落ち着かない気持ちで歩いた。たった数百メートル、5分ほどの距離が、随分と長かった。――中略――周囲には緑あざやかな畑と丘が広がるだけ。正面の入国審査の建物に入って行く。建物の薄汚れたガラスの向こうに、金正日と金日成が描かれた真っ赤な絵が見えたとき、ここは北朝鮮なんだということを実感した。
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寝技を操る日本人選手の夢 ―中国でも総合格闘技!―

読売ウィークリー 2007年2月11日

試合開始から間もなく2分。武田が腕十字を決めると、相手の廬学斌(ルー・シュエビン)はロープ際で苦しげにタップした。降参の合図だ。試合はそこで終わったはずであり、武田は跳び上がって喜んだ。が、レフェリーは試合続行を告げた――。「ウェイシェンマ!?(どうして!?)」と、両手を開いてレフェリーに叫ぶ武田の声が、場内に響いた。/抗議は容れられなかった。その余波がまだ残るなか、中国の打撃格闘技「散打(サンダ)」の名手である廬の強烈な右ローキックが武田を襲った。バランスを崩した武田の顔面に、さらに左フックが打ち込まれると、武田は一気にマットに倒された。
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悠久の時を生き、一瞬の死闘に賭ける

望星 2006年5月

「一番幸せなときは、獲物が捕れるとき。一番辛いときは、獲物が捕れないときだ」/そう言ったのは、すでに六十九歳でありながら現役でクジラを捕り続けるゴリス・タポンという男だった。彼は「ラマファ」と呼ばれる銛撃ちとしてその当時もまだ船に乗っていた。これ以上ないほど明快な彼のその言葉が、まさにこの村の男たちの強靭で一途な生き様を表しているように思えた。/そんなラマレラに着いてから六日目のこと。ぼくは彼らの「至福の瞬間」を見るために、浅黒い肌の寡黙な男たちとともに小船に乗った。――中略――その二頭のイルカからふと目を離したとき、ぼくは思わず息をのんだ。強い太陽の光の下にどこまでも続く深い濃紺色の海水の上は、一〇〇頭以上はいようかというイルカで埋め尽くされていたのだ。 pdf をダウンロード

※ラマレラの伝統捕鯨のすごい写真がここに(dailymail.co.ukの記事)

フォト・ルポ 上海 近未来ビルの直下で物乞いして生きる人々

読売ウィークリー 2006年4月30日

――5人ほどの物乞いが、地下鉄の駅から地上に上がってきた。その中の一人、左足が不自由で背中が大きくもり上がった中年の男に話しかけた。豊かな髭と彫りの深い顔が印象的だ。/足と背中は、幼いころに病気でそうなった。物乞いをして1日に稼げるのは7~8元だが、それでも現金が手に入り、物がなんでもある上海での生活は、江蘇省の農村での日々よりはマシだという。ただ、寂しい。/「自分のような人間と交流してくれる人なんているわけない」/そう言って苦笑した。いつか路上で小物を売るのを仕事にしたいという彼は、笑顔が多く、何を聞いても丁寧に答えてくれたが、名前だけは決して口にしようとはしなかった。
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「ラペ」と呼ばれた日本人 ある残留兵の戦後

世界 2005年9月号

そんなラペとの結婚生活は、ギィアンにとって必ずしも幸せといえたかはわからない。しかしそれでも、彼女は偶然から人生をともにすることになった彼を愛していた。いや、愛することに決めただけなのかもしれないが、五人の子どもを授かり、ラペが死ぬまで一緒に過ごしてきたことはたしかだった。/ポーパが思い出せる祖父の姿は、そのような当たり前の一人の人間としての姿でしかない。祖父の過去について、それまで断片的には聞いたことはあったものの、ギィアンの言葉を通訳しながら、ポーパ自身が、驚き、笑い、聴き入っていることが何度もあった。/そんなポーパの様子を見ながら、ラペは日本兵である前に、一人の祖父であり、父であり、夫であったのだという当たり前のことを私は感じていた。
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罪と、時代と ―「生体解剖」の軍医として生きた男の「いま」を追う―

望星 2004年1月号(上) 2004年2月号(下)

湯浅はその小柄なほうの男を解剖する班の一人として、初めての生体解剖を体験した。解剖の始まる前《軍医たちは皆、談笑していた。男たちが可哀そうだとか、生きた人間を切り刻むなんて恐ろしいことだとか、そんなことを考えたり悩んだりしているような人間は誰もいないいよう》だった。――中略――男の体は切り刻まれ、喉からは泡沫を含んだ真っ赤な血液がヒューヒューという呼吸音とともに噴き出した――。/息も絶え絶えになったその男に、最後に絶命のために心臓に五、六回ほど空気を注入する。だがそれでも呼吸を止めないので、首を絞め、さらにその中国人の腰紐で湯浅はもう一人とともに両方から引っ張り合って首を絞めた。それでも男は呼吸をやめなかったため、最後にクロベルエチールを静脈に打つと、二、三cc入ったところで、男は数回咳き込んでから呼吸を止めた。
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なんとか治したい 吃音矯正所にすがる人々

週刊金曜日 第469号(2003年7月25日)

問題は事実なんかじゃない。信じたいという気持ちを壊すようなことはやめてくれませんか・・・。そんな思いが「神様みたいな存在」という言葉からにじみ出ている気がした。/事実がどうであれ、信じることで何かが変わるかもしれない。そう思う局面は誰にでもある。関西―東京という距離を越えて、四二万円をかけて中央興人院に通った彼女からは、そんな切実は気持ちが感じられた。――中略――矯正方法の良し悪しや事実関係は、もはやそのとき問題ではないのかもしれない。根拠などはどうでもいい、ただ”どもり”は治るんだと信じさせてほしい、そんな潜在的な思いが、もしかしたらここに通う多くの人たちにはあるのではないか・・・。
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その他、多数。これから少しずつアップしていく予定です