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吃音と生きる 7 「小学校」という難所 『新潮45』2017年8月号

信子の必死な努力を見ながら、私は、もっと力を抜くことができれば、と思うことも正直あった。しかし、彼女が自らの言葉を悔いるようにこう振り返るのを聞いたとき、彼女自身はとうにそんなことは考えてきたに違いないと確信した。/子の苦しむ姿を見れば、ほとんどの親がなんとかしてあげたいと思うはずだ。しかし、吃音に関してはこうすれば確実に良くなるという方法があるわけではないし、それゆえ、懸命な行動が裏目に出てしまうこともあるだろう。/信子はおそらく、晴渡と同じくらい深く悩み、自分に何ができるかを考えて動いてきた。真剣に向きあってきたからこそ、これでよかったのかと自問することにもなるのだろう。その中で、うまくいかなかったことがあったとしても、母親がともに苦悩に向き合い続けてくれたことは、きっと晴渡にとって何よりも心強いことだったのではないかと私は思う。/「息子とともに悩み苦しみ続ける中でやっと、吃音のあるそのままの息子を、心から愛せるようになったような気がします」/それまでの日々を思い出すように、彼女は声を震わせながらそう言った。