物理学をテーマに

物理学の歴史をテーマにしたノンフィクションを書きたいという気持ちがだんだんと固まりつつある中で『ホーキング、宇宙を語る』を読んでます。もう古典のような本で、30年くらい前に確か途中で挫折して以来の再読なのですが、なんとなくしか理解できてなかった事柄がすごい的確でシンプルな比喩で説明されてて感動してます。

学生時代、一度ホーキング博士が大学に講演に来たことがあり、その時、一枚のパワポの中央に確か、りんご一つだけが描かれた図がありました。どういうことだろうと思ったら、機械を使った音声による彼の説明の後に、そのリンゴだけの図が見事にその説明の全てを物語っていることを知って感動した記憶が今も残っているのですが、この本もまた、そのような魅力に満ちています。彼のような天才的な人物が、わかりやすい言葉で伝える力も備えているというのは、本当に稀有でありがたいことのように、読んでて思えます。

吃音というテーマをひとまず書き終えたいま、次の数年間、場合によっては40代のかなりの時間を費やすことになるだろう次作のテーマを何にすべきなのかとしばらく考えてきたのですが、やはり自分はサイエンス、特に物理にまつわる人間ドラマが書きたいという気持ちが強まっています。サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』のような作品が長年の憧れなのですが、あの本のような絶大な魅力と深みを持つ本を目指すとき自分はどんなテーマを選ぶべきなのか。ずっと考え続けている中、ぼんやりとながら、テーマが具体的になってきているのですが、果たして書いていけるのか…。
この本を読みながらも、そんなことを考え続けています。

先月受賞作の発表があった新潮ドキュメント賞も、講談社のに続いて残念ながら落選。しかも結果の連絡が来るという日の朝に、まだ新しいスマホが突然壊れるという不吉なアクシデントにも見舞われて、結果もそれに追随するような感じでアウト。キャンプ中だった中、それから1日ぐらいテントの内外でがっくり来てましたが、今となっては、その残念な思いが次作へのエネルギーになった気も。

これから、力を尽くして取り組みたいです。

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気持ちに素直に、進みたい進路を。旅と生き方の講義のレポートを読んで。

旅と生き方の講義のレポート、200人弱の分を読んでいます。多くの学生が次のように書いているのが印象的でした。

<なんとなく日々を過ごし、時期が来たらとりあえず就活する。それでいいのかなと若干疑問に思いつつも、大学時代とはそんなものだと考えていた。でもそうじゃなくていいことに気づかされた。一年遅れるしなあと迷っていた留学に行くことに決めました。夏は旅に行ってみることにしました。やろうと思っていたことに思い切って挑戦してみることに決めました>

と。今の学生は内向きで従順で、などと思いがちだったけれど、きっかけがないだけなのではないかと思います。やりたいことをみなが必ず追求すべきだとは思わないけれど、システマティックに進んでいく学生時代を少しでも疑問に思うのであれば、やりたいことをやっていいんだと、背中を押してあげたいとすごく思います。

お金のことなど現実的な問題は別として、一年遅れたらヤバイとか、履歴書に空白時期があってはいけないとか、人生的には本当にどうでもいい、ただ企業の採用的にだけ意味をなすローカルな価値観を、社会が意識させすぎではないかと思います。

1年や2年遅れようが、振り返れば人生に影響はほとんどないし、遅れないようにとわけもわからず就活をするよりも、疑問があれば、立ち止まって自分がどう生きたいかをじっくり考える期間を持つ方がよっぽど大切だと感じます。その上で、本人が納得した上で就活をするならする、別の道を進むなら進む、という選択を後押ししたい。

僕の講義は、人生の長い道のりを考えたとき、若い時代の旅は少なからぬ意味をもちうること、同時に、生き方はそれぞれ違って当然だということを、15回かけて様々な角度から伝えるのが目的なのですが、毎回の講義に対しての学生の感想やレポートを読むほどに、思い切って自分の道を進んでいっていいんだということをこれまで全く言われたことがないらしい学生が多いことに気づかされました。

もちろん、やりたい道に進んだ結果、思う通りに行かず苦労する可能性は大いにあります。頑張れば夢は叶うとは僕は思っていません。ただ、こう生きたいと思って自分なりに方法を模索して、考え、動いていけば、思い通りには行かずとも、きっとそれまで見えてなかった広い世界が目の前に見えてくる、そしてそれなりに道は開けていくはずであると思っています。

だからみな、気持ちに素直に、進みたい進路を選んでほしいと思います。そこで思い切り動いて悩んで、人生を模索してほしいなと。その際に旅は、きっと大きなヒントを与えうるものであるはずです。応援しています。

Yahoo!ニュース|本屋大賞「2019年 ノンフィクション本大賞」にノミネートされました

先ほど、 Yahoo!ニュースと本屋大賞による「2019年 ノンフィクション本大賞」のノミネート作品の発表があり、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』も、その6作品の中に入りました。投票していただいた書店員の皆さま、ありがとうございました。
https://news.yahoo.co.jp/promo/nonfiction/#section-nominee

これを機に、拙著もさらに多くの人に届いてほしいと願うと同時に、ノミネート作品のみならず、ノンフィクションという分野全体が盛り上がる一つのきっかけになってほしいなと思います(この賞の創設の目的がまさにその点なのですが)。

次に自分がどのようなテーマに取り組むべきかずっと考えてきましたが、ようやく、ぼんやりとながら、これを書きたい!と思うテーマがここ数日の間に見えてきました。今ぼんやりと頭に思い浮かべているテーマを、なんとか数年のうちに、実際に手に取れる本の形にしていきたいです。

『吃音』は、一昨日5刷が決まりました。想像以上に多くの方に、想像していた以上に多様な形で「伝えられないもどかしさ」を受け止めていただいていることが感じられて嬉しいです。読んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。

講談社 本田靖春ノンフィクション賞、残念ながら受賞ならずでした

今日は午後、東京での取材を終えて、夕方、講談社 本田靖春ノンフィクション賞の結果を待つため新潮社へ。担当編集者と編集長とともに新潮社クラブで緊張の1時間を過ごした後に連絡があり、はっと息を止めた数秒後には、受賞には至らなかったことを知りました。

思ってた以上にずっしりとショックを受けましたが、その後、残念会的に美味しいジンギスカンを3人で食べに行っているうちに気持ちがだいぶ切り替わりました。

そして松本創さんの『軌道』が受賞したこと、自分の残念さとは別に、改めてよかった!と思いました。松本さんが10年以上の期間をかけた素晴らしい作品です。是非これを機にさらに広く読まれますよう。

応援してくださった皆さま、どうもありがとうございました!

『月刊すこ~れ』連載 「子どものなぜへのある父親の私信」第1回(2018年9月号掲載)

『月刊すこ~れ』2018年9月号掲載の連載第1回です。

Q どうして勉強しないといけないの?

 A みんな、昼間は学校で勉強して、学校の後は家で宿題をしたり塾に行ったり、という生活かな? もっと遊びたい、と思っても、先生からも親からも、「勉強しなさい」と言われているかもしれないね。そしてきっと一度はみな、こう考えることがあると思う。「どうして勉強なんてしないといけないんだろう?」って。
 いったいどうしてだろう。勉強すると「いい」学校に入れるんだ、すると「いい」会社に入れて、大人になってから安定した生活ができるんだよ、と言われたことがあるかもしれない。だとすれば、勉強することの目的は「いい」学校に合格することで、入学試験の問題を解けるようになることになる。
 でも、入学試験に受かって学校に入っても勉強は終わらない。その学校できっともっと難しい勉強をすることになる。つまり勉強するのは、試験に合格するためじゃなくて、勉強すること自体に意味がある、ということが分かると思う。
 では勉強とは何だろう? それは、みんなが暮らしているこの世界がいったいどんな場所かを知ることなんだ。ずっと昔に宇宙が誕生して、その中に地球ができて、人間が生まれた。その間に様々な変化が起こり、生まれてきたすべての人や動物が、少しずつ何かを残していった結果、いまの世界になったんだ。
 勉強というのは、その、ものすごく長い間に人が考え作り上げていったものや、自然が経てきた変化を知り、理解するためにするものなんだと思う。そして勉強して、この世界がどんな場所かが理解できると、では、その中で、自分はどのように生きたいか、そのために何をすればいいか、といったことを自分で考えて実現しやすくなるはずなのです。つまり、勉強するほどきっと自由に生きられるようになる。
「いい」会社を目指すのももちろんいい。でも、それは無数にある生き方の一つでしかないことは知っておいてもいいかもしれない。みんなの可能性は無限大なのだから。

Q スマホやテレビばかりを見ていたらどうしてだめなの?

 A スマホやテレビは、楽しいからついつい夢中になってしまいます。ぼくも時々、時間を忘れて見入ってしまうことがあります。でも、ずっとそればかりを見ているのはよくないなとはいつも思う。なぜかって?
 理由はいくつか挙げられると思います。他のことをする時間がなくなるから。目に悪いから。刺激が強くて疲れるから。そのどれもきっとそう。でもそれらの中で、ぼくが特に重要だと思うのは、ただじっと画面を見ているだけ、になるのがよくないんじゃないかなってこと。
 人間にとって、最も大事なことの一つは、自分で身体を動かしたり、考えたり想像したりすることだとぼくは思う。どこかに行ったり、人に会ったりして、新しいことを体験すると、その体験は感覚として身体に残る。または、ふと顏を上げて目の前の風景を眺めたり、空気や音、匂いに気持ちを向けてみると、思わぬことが頭に思い浮かんだり、いろんな想像が膨らんだりすることがある。
 一方、スマホで動画などを見ているときは、じつはただ画面に出てくることを〝浴びてる〟だけになっている。あまりに多くの情報や刺激が頭の中に飛び込んでくるから、何かを自分で考えるための隙間がなくなるのだと思います。ぼく自身、スマホやテレビを見ている時、「あ、画面上の絵と音を受け止めているだけになっているな」って気づくことがよくあります。その時間が楽しかったり、新しいことを知ったりもできるから、決して悪いだけではないけれど、そればかりだと、頭や心や身体を動かすことがだんだんと面倒になってしまうような気がします。
 自分で考えたり想像したりする時間、また自分で動いて何かをする時間。そういう時間が毎日あると、きっと、気持ちも豊かになっていくのではないかなって思う。その中に少しスマホやテレビがあるくらいがきっといい。大切なのはバランスだね。みんなはどう思うかな?

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『月刊すこ~れ』連載 「子どものなぜへのある父親の私信」について

 昨年の夏ごろから『月刊すこ~れ』(公益社団法人 スコーレ家庭教育振興協会)にて、「子どものなぜへのある父親の私信」と題して、子どもの疑問に答えるという形の短いエッセイを毎月連載しています。子どもがふと疑問に思うだろう問いに真剣に向き合い、自分なりの回答を、思いを込めて、自らの言葉で提出していこうというものです。連載を始めるにあたっての言葉で、私は、以下のようなことを書きました(『月刊すこ~れ 」2018年8月号):

<いまの子どもや若者は……と、ため息交じりに語る声はいつも多く聞こえてきます。しかし、若い世代に何か問題があるとすれば、それは今ある社会や環境を作り上げた自分たち大人世代のあり方が問われるべきだと思っています。特に最近、社会をリードする立場にいる人間が平然とウソを言い、自らの行動にも責任を取らないことが常態化する中で、大人たち一人ひとりがしっかりと若い世代に向き合っていかなければ、何十年後の日本社会はとんでもない方向に進んでしまうのではと危惧しています。
 私たちがすべきことは何なのか。その一つは、真剣に子どもたちの思いに応え、その人なりの「理想」を語っていくことではないかと思います。子どもたちにとって、現実の複雑さや割り切れなさを知ることはもちろん重要なことですが、それはいずれ、おのずと現実が教えてくれるはずです。しかし、理想は脆く、時に容易に荒波のような現実に押し流されてしまいます。だからこそ、誰かが語らなければ伝わらない。しかも、本気で、熱を持って。>

 そんな思いを持ちながら、毎月、決まった答えのない2つの問いに向き合っています。毎月、誌面のみに掲載されていますが、さらに広く読んでもらえればと思い、過去のものをこちらのブログにも掲載することにしました。順次掲載していきます。

重松清さんとのイベント(5月31日@下北沢B&B)を振り返って

5月31日に下北沢の書店「B&B」で、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』の刊行に際して、作家・重松清さんとトークイベントをやらせていただきました。

そのレポートをすぐ書きたく、早々に書き始めていたのですが、力が入りすぎて?なかなかまとまらず……、アップできないままだいぶ日が経ってしまいました。

自分にとって、重松さんのような大御所の作家の方と一緒にイベント、というのは初めてのことで、しかも聞き手になってくださるというので、本当に自分なんかで大丈夫かな、、という思いが強く、始まる前はだいぶ緊張もしていました。しかし重松さんにお会いして、実際にトークイベントが始まってみると、思っていた以上に、いい具合に進んでいっているらしいことを感じました。

重松さんがぼくに質問をし、それにぼくが答えつつ、重松さんもご自身の経験を話されるという形で進行していったのですが、重松さんのリード、構成、そしてご自身の言葉が素晴らしく、自然と話が深まっていったように思います。

普段、重松さんは、誰かと一緒のイベントというのはほとんどなさらないそうなのですが、今回ご快諾いただいたのは、それだけ吃音というテーマが重松さんにとって重要だったということだと思います。そしてトークが進んでいく中で、重松さんの吃音への思いはとても深く伝わってきました。

重松さんが今回、対談ではなく聞き手であればという条件でお相手をお引き受けくださったのも、ご自身の吃音が関係あるということ(聞き手の方がお話しやすいとのこと)、ご自身の作品をどれか一冊だけ棺桶に入るとしたら、迷うことなく『きよしこ』であるということ、さらには、思うように話せなかったという経験が作家を志したことと深く関係していること、そして、吃音があって作家であるという現在の人生と、吃音がなくて作家でもないという人生を選べるとしたら、きっと吃音がない人生を選ぶだろう、ということ……。

重松さんにとっていかに吃音が大きな問題であったのか。それは想像していた以上のものでした。お話を聞きながら、拙著に登場する方たちの思いと強く重なり、重松さんが書評の中で書かれていた言葉が改めて深く思い出されました。そして同時に、重松さんがこうおっしゃっていたのが、とても印象的でした。

「吃音があってよかったと思うことはないけれど、吃音がある人生も悪くないといまは思える」

それはきっと、吃音で悩んでいる人たちにとって少なからず力になる言葉のように感じました。
ぼく自身もまた、重松さんの思いに同感でした。ぼくもやはり、吃音で悩んできたことと文筆の道に進もうと思ったことは無関係ではないし、それ以外の自分の性格や考え方も、良いと思う点もそうではない点も含めて、吃音と無縁では語れない。そして現状吃音で悩んでなくとも、吃音が自分の根幹にあることを、重松さんのお言葉を聞いて改めて思いました。

また一方、ぼく自身は、重松さんが作ってくださった流れのおかげで、身を任せるようにして話していくことができましたが、あとから思えば、言葉の選び方を間違ったように思う部分や、うまく言えなかった部分が少なからずありました。それでも、重松さんの心の奥底からの言葉と呼応し、その場で思いつく限りの言葉を発することができたようには思います。

それゆえに、うまく言えなかった部分も含めて、伝えたいという意思、そしてその核にあるものを、感じてもらえる場になったのではないかという気がしています。まさに、伝えたいという思いと「伝えらないもどかしさ」とを、重松さんとともに懸命に言葉にしようとした2時間だったようにも思います。

また、話がうまく流れていったように思えた要因には、休憩時間に会場の皆さんから紙面でいただいた質問の素晴らしさ、そして、限られた時間の中で、それらの質問を的確に、時間が許す限り紹介していく重松さんの巧みなディレクションがありました。さらに、参加者のみなさんが本当に真剣に聞いてくださっているのが伝わってきたことが、ぼくにとっても、おそらく重松さんにとっても、話をする上で大きかったように思います。

重松さんには、本の帯と書評を書いていただけただけでこの上なくありがたかったのですが、その上、このような貴重な場を持たせていただけたこと、本当に嬉しく、深く心に残る夜となりました。

重松さん、来て下さった皆さん、B&Bのスタッフの方々、新潮社の編集者のお二方、本当にありがとうございました。

イベント後は、サイン会でいろんな方とお話し(初めての方も、懐かしい方との再会も多数)、そしてその後、新潮社のお二人と打ち上げをしたのちに、余韻に浸りつつ、神楽坂の新潮社クラブに泊まりました。夜、歴史ある和室で一人横になりながら、いつか再びこういう機会を持つことができるだろうかと、寂しさのようなものも、また同時に感じたのでした。

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京都新聞夕刊「旅へのいざない」第2回(毎月第一木曜日掲載)

アジアの旅をテーマとした月一の連載「旅へのいざない」の第2回が昨日掲載に。今回は東ティモール。5年間の旅の中でも最も心が揺さぶられた日々について。結局過去の旅をまた振り返っていることに気恥ずかしさもあるけれど、思い出すたびに新たな気持ちが浮かび、旅の日々は、自分の中で更新され続けるものだなと感じています。

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京都新聞夕刊にて、アジアの旅をテーマに新連載「旅へのいざない」を始めます(毎月第1木曜日)

昨日(5月9日)の第1回(今回だけGWの関係で第2木曜に)は導入として、色々なきっかけとなった大学時代のインドへの旅について。その時の写真で残っているのが自分が写ってる1枚しかなく、プロフィールもかねて今回は19年前のその写真を使うことに^^;。もう大学卒業が19年前とは。。

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毎日新聞書評ページ「この3冊」に寄稿しました(4月7日掲載)

永遠に続くように思っていたことが有限であることを知り、人生の有限性と向き合うようになる時、人の青春は終わり、生きる姿勢が変わり、旅の仕方も変わるような気がしています。そんな思いをこめて選んだ本を今朝4月7日の毎日新聞読書面「この3冊」で紹介しました。『荒野へ』『檀』『最後の冒険家』の3冊。各書を手にとっていただくきっかけになれば嬉しいです。記事は南伸坊さんのイラスト付き。

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<以下、記事本文>

私は20代後半から30代にかけて、5年半にわたって異国を巡る長い旅をした。文章を書いて収入を得ながらずっと旅をし続けたい、というのが出発時の気持ちだった。しかし、5年がたち、さらに旅し続けることも可能だと実感した時に、「終わりがあるからこそ旅なのだ」と思うようになっていた。そして私は帰国した。

 旅に出たばかりの自分の気持ちを思い出させてくれるのが、①の『荒野へ』だ。大学卒業間もない主人公は物質的なものをすべて捨て、家族や友人からも離れ、一人アラスカを目指した。無情な結末が待っているが、本書は、人生の終結点を意識する必要のない若者が持ちうる、大きな行動力と情熱に満ちている。
 一方、私の旅の終盤や現在の私がより身近に感じる旅が描かれているのが、②の『檀』である。檀一雄の妻・ヨソ子の一人称で、作家の妻として生きる彼女の思いを沢木耕太郎が丹念に描いた本作は、決して旅の本ではない。しかし、愛人との生活を文章として発表する夫にただならぬ感情を抱きながらも、夫が異国で体調を崩しているらしいと知って彼の元へ向かうヨソ子の姿を描いた部分には、人生が遠くない将来終わることを知る人間ゆえの、旅に対する切実さのようなものがにじみ出ているように感じた。

 青春はいつ終わるのか。私は死を実感として意識するようになった時だと思っている。それ以前は、人生が終わることなど考えない。だからこそ、無限の未来を見据えた大胆な旅ができる。一方、死を意識すると人は、今この瞬間のかけがえのなさを知る。そうして様々な事象へ感動する気持ちを強めるようになるからこそできる旅がまたあるのだ。私も旅中、自分なりに死を意識するようになる経験をした。そのことで青春が終わり、旅への気持ちが変化した。

 ただし、誰もがそうであるわけではないのだろう。旅とは少し異なるが、③の『最後の冒険家』では、当時50代の熱気球冒険家・神田道夫は、著者の石川直樹とともに行った冒険で死の淵に触れる体験をする。にもかかわらず、その後、死など全く意識にないような驚くべき冒険を単独で敢行し、空のかなたに姿を消した。

 死をどう捉えるか。その違いによってきっと、旅の仕方も、旅の本の見え方も、変化する。

重松清さんとイベント(5月31日 下北沢の本屋B&B)

5月31日に、作家の重松清さんとトークイベントをさせていただくことになりました。

近藤雄生
「『吃音』について著者、近藤雄生が語る〜聞き手・重松清」
『吃音〜伝えられないもどかしさ』(新潮社)刊行記念
http://bookandbeer.com/event/20190531/

東京・下北沢にある本屋さんB&Bでのイベントです。

時間 _ 20:00~22:00 (19:30開場)
場所 _ 本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F
入場料 _ ■前売1,500yen + 1 drink
■当日店頭2,000yen + 1 drink

重松清さんにはこの本の刊行に当たって、これ以上ない帯文と、非常に心に響く書評を寄せていただきました。(書評は、新潮社のサイトの本書の紹介ページから読めます)

その上、このイベントでは聞き手になってくださるということで、大変感謝感激恐縮しています。またとない機会、是非いいイベントにしたく思っています。

重松さんのファンの方で早々に席が埋まっていくのではないかと予想しています。ご興味ある方、是非お早めにご予約いただければと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。


ラジオに出演します。3月28日(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)、29日(文化放送「大竹まことゴールデンラジオ!」)

『吃音 伝えられないもどかしさ』に関連して、明日(3/28)、明後日(3/29)とラジオに出演させてもらうことになりました。

<3月28日>

TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時~
特集「吃音~伝えられないことのもどかしさ」近藤雄生×菊池良和×荻上チキ
 
若手評論家の荻上チキさんが、自分と、電話で出演される"吃音ドクター"菊池良和さんとにいろいろと聞いてくださる流れになる模様です。自分は22時50分ぐらいからの登場になりそうです。
生放送を聞けるのは関東圏だけとなりますが、後日サイト上の音声配信で、全国で聞けるようになるはずです。

<3月29日>

文化放送 「大竹まことゴールデンラジオ!」
13時~15時半

【パートナー】
室井佑月
【言いたい放題】
【メインディッシュ】
近藤雄生
【大竹サテライト】
ラバーガール
【交遊録】
金子勝
(立教大学特任教授・慶応大学名誉教授・経済学者)

大竹まことさんと金曜日のパートナーの室井佑月さんと、拙著についてお話させていただきます。自分の登場は14時30分ぐらいから30分ほどとなる予定です。

大竹さんは、すでに昨日3月26日の放送で、自分の本について熱く語ってくださってました。とてもいろいろ感じてくださっているのが伝わってきて嬉しく、金曜日、緊張感がありますが、楽しみになりました。

ちなみに、昨日の放送では、大竹さんが拙著についていろいろ語ってくださっていると、たまたま?スタジオにいらした氷川きよしさんがラジオに登場され、実は自分も幼少期に吃音ですごく悩んでいた、というお話をされていて驚かされました。

どちらもだいぶ緊張しそうで、うまく話せるか非常に心もとないですが、よかったら聞いていただけると嬉しいです。
(大竹さんの方も関東圏だけになりそうですが、radikoのプレミアム会員の方は場所に関係なく聴けるようです。)

3月6日朝日新聞朝刊「ひと」欄に掲載していただきました。

今朝の朝日新聞2面のひと欄でご紹介いただきました。自分の高校時代からの、密かなしかし大きかった悩みについて、温かく簡潔な文章にまとめていただきました。

当時から親しくしてた方たちには、え、近藤、そんなのあったっけ?って思う方がほとんどかと思います。自分の場合、症状はあまり目立たなかったので、一見わからなくすることはできましたが、就職はやめようと思うほどの大きな悩みではありました。そのギャップを含めて、吃音がある人の苦悩を伝えられればと思い、本を書きました。


<「今まさに苦しんでいる人が読むと、つらい本かもしれません。けれどいかに大変かを伝えることで、結果的に吃音があっても生きやすい社会になればと思ってます」>

高重治香さん、ありがとうございました!

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2月10日「京都新聞」朝刊社会面&「週刊金曜日」2月 8日 (1219)号に書評

2月10日の京都新聞の社会面に、『吃音 つたえられないもどかしさ』(新潮社)についての記事を掲載していただきました。(写真掲載の許可を得ています)

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また「週刊金曜日」2月 8日 (1219)号に、ライター・武田砂鉄さんによる熱い書評をいただきました。
<「アメリカンドッグ」という言葉が言えず、10年以上買うことができなかったが、ようやく買いに行くことができた、とのエピソードを読む。えっ、それくらい、と思う人は多いだろう。知らないからだ。ならば、知らなければいけない。>(引用)

『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)の発売から1週間が経って

今日で、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)の発売から1週間が経ちました。

自分の過去のツイッターを見たら、自分でも驚いたことに、2017年の暮れの段階で、「ほぼ完成した」みたいに書いているツイートがありました。そのときは2018年春には出せるつもりでいて、その後さらにだいぶ書き直して18年の3月に、これで最終と思って担当編集者に原稿を出したのですが、予想していなかったことに「これでは完成原稿とは言えないと思います」といった、重く、熱のこもったご指摘をいただくことになりました。そしてしばらく途方に暮れたあと、根本から考え直し、4,5カ月かけて大幅に書き直して、さらにそこから4,5カ月ほどかけて一語一語まで細部を詰め、ようやく2018年末に本当にほぼ最終的な本の形が出来上がりました。

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その間、丸1年ほど、自分と編集者の間にしか共有されてなく、果たしてこれがどのように読まれるのかという不安感を持ったまま、完成、発売に至り、書店に並び、皆さんに読んでいただける状態になった日を、大きな緊張感をもって迎えました。

しかし、この一週間で、想像していなかったほど多くの感想を直接いただき、レビューを書いていただくことになりました。本当に驚いています。熱のこもったメールやメッセージによるご感想をすでに30ほどはいただいている感じで(まだお返事できていない方、すみません)、これまで書いてきた本で、ここまですぐに様々な反響をいただいたことはなかったので、率直にすごく感激し、ありがたく思っています。自分の伝えたかった内容が届いたという実感もあり、とても嬉しいです。読んでくださった皆様、感想を伝えてくださった皆様、本当にありがとうございます。

特に嬉しいのは、これまで感想をいただいた中、おそらく6,7割はそれまで吃音とは縁のなかった方の印象で、その方たちが、拙著を読んで、吃音の問題について深く深く思いを寄せてくださっているのを感じたことです。また、少なからぬ方が、吃音の問題を、吃音だけにとどまらない様々な問題へとつなげ、ご自分に関わる問題としてとらえてくださっているのが感じられたことも大きな喜びです。

一方で、複雑な思いも大きくあります。当事者から、読むのが苦しい、という言葉が少なからず届いていることです。あとがきにも書きましたが、その点については、新潮45に連載しているときから大きな葛藤がありました。当事者にとって救いが見出しづらい内容になっているかもしれない、と。その点、本という形になってみて、想像以上にそうだったのかもしれないといま感じ、戸惑う気持ちや申し訳ないような気持ちがあります。

この本の執筆の目的は、第一に、吃音がいかに人生に大きな影響を与えるかを広く知ってほしいということであるのですが、それでも、当事者が読んで苦しい本になるのは、辛い気持ちがあります。しかし、そのような当事者の方たちの思いを書き手としてしっかりと受け止めて、これからも自分にできることをやっていきたいと思っています。

ただ、登場してくださった方たちの生きざまに希望を見出してくださる感想も少なくありません。また、その点に関して、重松清さんが『波』2月号に、このように書いてくださいました。

<だが、急いで言っておく。本書は断じて「こんな可哀相な人たちの、こんな悲しい物語」ではない。本書の縦軸となって描かれる一人の父親――髙橋さんという男性の、少年時代からいまに至るまでの歩みが、それを教えてくれるはずである。何度もけつまずきながら(つまりは、どもりながら)髙橋さんは歩きつづける。その背中からたちのぼるのは、吃音の物語にとどまらない、人が人とつながりながら生きていくことの普遍の尊さなのだ。>

苦しさの深い部分を表現しつつも、当事者に寄り添う本でありたいという自分の思いも届いていればと願っています。また、当事者の苦悩を伝えることで、大きな意味でこの本が当事者の方たちにとって力になっていることを心より願います。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
是非読んでいただければ嬉しいです。


また、正式な告知はまだですが、

2月23日(土)15時~、
大垣書店イオンモールKYOTO店にて
(Tel 075-692-3331)

刊行記念トークイベントをやらせていただくことになっています。

『吃音 伝えられないもどかしさ』書影等

『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)、いよいよアマゾンに書影と目次が載りました。1月31日発売です。https://www.amazon.co.jp/dp/4103522615/  

作家の重松清さんには、本当に嬉しいご感想と帯へのお言葉をいただきました。涙の出るような書評も近々発売の雑誌に寄せてくださっています。

いろんな人たちの言葉、思い、苦悩、光、人生を、自分なりの表現として、一文一文、一言一言に力を尽くして仕上げました。是非、拙著、読んでいただければ嬉しいです。

<目次>

プロローグ 18年前

第1章 死の際に立ちながら
マリリン・モンローの悩み
100万人が持つ問題
『バリバラ』番組収録
髙橋啓太の35年
訓練開始

第2章 ただ“普通に”話すために
治療と解明への歴史
治すのか 受け入れるのか
羽佐田竜二の方法
叶わなかった殉職
変化の兆し

第3章 伝えられないもどかしさ
追いつめられたエンジニア
歯科医師の意志
電話番を外してほしい
人生を変えた軽微な事故
吃音者同士のつながり
初めてのスピーチ
吃音だけのせいではない

第4章 新人看護師の死
あまりにも辛い別れ
吃音者に対しての職場のあり方
断念した夢の先
ひどくちらかった部屋
みんなに追いつきたい
唯一の動く姿と声

第5章 言葉を取り戻した先に
うまく話したいとは思わない場所
訓練の果て
吃音がよくなったとしても

第6章 私自身に起きた突然の変化
進路としての旅
神様みたいな存在
「一杯珈琲」
吃音とはいったい何か

第7章 “そのまま”のわが子を愛せるように
子どもの吃音
小さな文字で埋めつくされた連絡帳
なんとかしてあげたいという思い
五年後の表情の変化

エピローグ たどりついた現実

あとがき

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『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)が2019年1月31日に発刊になります。

2013年に取材を始めて、新潮45に不定期連載をしてきた吃音についてのルポが、いよいよ単行本として完成間近となりました。

『吃音 伝えられないもどかしさ』
https://www.amazon.co.jp//dp/4103522615/

2019年1月31日に新潮社から発売します。昨日の深夜に、最後の細かな詰めまでほぼすべてを終えたところです。表紙はまだですが。

連載を終えたのは2017年の夏で、18年の初めには本になるかと思いきや、自分自身の力不足と、担当編集者の厳しく情熱のこもったご指導により、思いもしないほど長い時間がかかったものの、連載時から大きく姿を変えて、想像以上に内容を深めることができました。

一時は完成が見えずに途方にくれましたが(3月にいったん完成したと思った段階の原稿を、編集者に長文の手紙とともに差し戻され、そこから4, 5カ月にわたって大改造し、ついに納得してもらえるものになり、さらにそこから3ヵ月ほどかけて細部を徹底的に磨きました)、自分にとって極めて大切なテーマを扱ったこの本を、全く妥協を許さないその方に担当していただけたこと、何よりもの幸運だといま感じてます。

2002年、大学院を修了後、日本を出る前にライターとしての第一歩を踏むべく試行錯誤しながら書いた初めてのルポ(吃音矯正所がテーマ)がこの本の原点となっています。また旅に出ようと思ったそもそものきっかけも、そしておそらく、自分が文章を書いていこうと思ったきっかけも吃音にあります。その意味でも、この本は自分にとって、20代半ばからの15年ほどのライター人生のすべてを注ぎ込んだ、ここまでの集大成という気がしています。

主人公の方初め、複数の方に、人生の深く重い部分をさらけ出してもらって、それを自分が伝える責任を本当に今回痛感しました。今も、その方たちの思いや経験をちゃんと伝えきれているか、時にものすごく不安になることがありますが、最大限の敬意を払うと同時に忖度はせず、一切の妥協なくやるべきことはやったという気がしています。ご協力いただいた皆様には本当に感謝しています。

吃音というテーマがこのような形で書かれたことはおそらくないと思います。吃音の当事者にとって大切に思ってもらえる一冊になるように、と同時に、吃音が身近でない人に読んでもらえるようにするにはどうすればいいか、と言うことを徹底的に考えて書きました。

是非是非是非、読んでいただければ嬉しいです。
また、2月以降には、いろいろとイベントもやらせてもらうことになるかと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

『遊牧夫婦こぼれ話』第13回「自分に全然自信がない?」(2015年6月「みんなのミシマガジン」掲載記事を再掲)

【『遊牧夫婦こぼれ話』は、ミシマ社のウェブマガジン「みんなのミシマガジン」にて、2014年6月~2017年7月まで毎月書かせてもらっていた連載です(全38回)。「遊牧夫婦」シリーズの中に収められなかったエピソードや出来事を振り返りつつ、しかしただ過去を振り返るだけでなく前を向いて、旅や生き方について、いまだからこそ感じられることを綴っていく、というコンセプトの連載でした。現状、ミシマガジンでは読むことができないので、ひとまず、当時面白がってもらえた回だけでもこちらに随時アップしていく予定です。】

第13回 自分に全然自信がない?
2015.06.04更新

 先日、26歳の男性から、相談に乗ってもらえないかと連絡をもらいました。
 ぼくの本を読んでくださった方で、いま、アルバイトをしながら就職活動をしているけれど、思うところあって就職以外の生き方を模索している、ぼくの紀行文やインタビューを読むかぎり、自分と重なるところが多くあるように感じ親近感が沸いて連絡した、とのことでした。

 数週間後、この方と会いました。
 話を聞くと、彼は大学院の修士課程修了後、一度会社に勤めたもののほどなくやめて、いま次の就職先を探している。しかし本当は就職する以外に具体的にやりたいことがあり、その道に進みたいと思っている。ただ、なかなか思い切って踏み出せない、また両親にも反対されている、という状況のようでした。
 もちろん状況は違うとはいえ、自分が2003年に旅に出たときも同じく、修士課程を終えたばかりの26歳で、また、確かに彼が言うように、考え方にも似たようなところが少なからずありました。話を聞きながらぼくは、どこか当時の自分を見るような気持ちになり、自分が日本を出たときのことを思い出しました。そしてふと、あのとき自分が、随分と大胆な決断をしたような気がしてきたのでした。

 大学院を修了し、周囲はみな、さあこれから社会に出るという中、就職せずに、貯めたお金で旅をしながら自分でライターの修業をする――。ライターとしての経験はほとんどなく、そんな生活が成り立つとは自分自身思えていなかったことを考えると、とても思い切った行動です。そもそもそんな豪快な性格でもない自分が、どうしてそんな決断を下し、実際に実行に移せたのか。いまさらながら不思議に思えたのです。

 なぜあのとき、自分はあまり迷うことなく旅に出ることができたのだろう。
 そのもっとも大きな理由が、吃音であったことは間違いありません。吃音のために会社勤めがうまくいかなそうだから就職しない道を模索し始め、そこに、文章を書きたい、旅をしたいという気持ちが合わさった結果、こういう選択に行きつきました。会社勤めができそうにない、という消極的な理由がとても大きく自分を後押しすることになったのです。
 しかし、それ以外にも何かあったのではないか。彼と話しながら、改めてその点を考え直す機会を得て、一つ、思い至ることがありました。
 彼はぼくにこう言いました。
「私は自分に全然自信が持てない人間なんです。いつも他者に対して猛烈な劣等感を持っています」
 それを聞いて、それが自分にも少なからず共通する点であると、ぼくはその方に伝えました。そして、まさにその性格こそが、自分が旅に出ることを決意し実行できたもう一つの理由なのではなかったかと、気がつきました。

 
 こんなことを告白するように書くのはなんだか気恥ずかしさがありますが、ぼくはかなり「自己肯定感」(というのでしょうか)が低い人間だと自分について感じています。
 劣等感というのとは少し違うのかもしれませんが、ぼくはいつも、ちょっとしたことで、自分は嫌われてしまったかもしれないと不安に思ったり、自分はつまらない人間だと思われているのではないか、相手を怒らせてしまったのではないか、と落ち着かない気持ちになっています。年齢とともに少し和らいだ気はするものの、学生時代からいまに至るまで基本的にそうした傾向は変わっていません。

 自分のそうした性格の原因を考えると、中学時代まで遡ります。小学校時代は特にそういうことを思わずに、どちらかといえば気楽でやんちゃにやっているほうでしたが、中学1年のとき、あることをきっかけに急激に学校内での人間関係が難しくなり、それからおそらく1年くらいの間、ぼくは周囲の人にひどくおびえながら過ごすことになりました。
 そのころの感覚や気持ちはいまもとても鮮明で、とにかく人間関係をこれ以上悪化させてはならないと、毎日、自分でも驚くぐらいビクビクしていました。関係がうまくいってない人に少しでもそっけなく見える反応をされたり、すれ違った先輩に一瞬でも睨まれたような気がすると、「やはり自分は嫌われている」「あの先輩は自分のことを怒っている、いつか殴られるのではないか」といったことを明けても暮れても考え続け、再度その人に会って自分の考えすぎであったことが何らかの形で確認できるまで、常に恐怖感を抱えながら過ごすという状況でした。

 中学3年になるころには、そうした関係も一応はすべて沈静化していったのですが、自分は嫌われているのではないか、馬鹿にされているのではないか、みなが自分のことを怒っているのではないか、という不安感はずっと拭い去れないままでした。
 その感覚は高校時代も根深く残りました。高校2年ごろに吃音が深刻になったのも、そのことが関係しているのではないかとぼく自身は感じていますが、いつしかそうした感覚は自分の性格そのものとなり、その後大学に入ると、今度は別の形で表面化することになりました。

 大学で仲良くなった友だちの多くは、本や音楽、映画や旅が好きな、ある種文化的な匂いのする人たちだったのですが、自分はそれまで、本を読んだり、映画を見たりということを全くしてこなかった人間で、物事を斜めに見たり、深く考察するということがあまりできないタイプでした。
 食べ物でいえば、カレーとハンバーガーが好きという感じの、シンプルでド直球な人間だったので(いや、決してカレーとハンバーガーを軽く見ているわけではありません。カレーもハンバーガーも、いまなお大好きです)、友人たちの話はとても新鮮で、ある種の羨望を持って聞いていました。

 そうした影響でようやく本などにも興味を持つようになり、徐々に世界が広がっていったのですが、同時に、友人たちの話を聞きながら常に、おれはなんて何も知らないんだろう、ああ、おれはつまらないやつだと思われているに違いない、という恥ずかしさのような感覚がいつもありました。きっと、自意識過剰でプライドが高かったのでしょう、表面的にはそんなそぶりを隠しつつ、いつしかそれが劣等感にもつながっていきました。

 ぼくが大学時代に旅をしたいと思うようになったきっかけの一つは、そうした友人たちの影響であり、さらに言えば、彼らに認めてもらいたいという気持ちがあったのは間違いありません。
 大学院修了後に長期的な旅に出る、そしてライターになる、という決断の拠り所の一つも、こうして独自なことをすれば周囲に認めてもらえるのではないかという気持ちだったのです。それは他の人を抜きんでたいという気持ちではなく、そうすることでようやく他の人に追いつける、やっと対等に扱ってもらえるのではないか、という、いま思うとあまりにも自己肯定感の低い意識ですが、確かにそういう感覚でした。

 ライターとしてうまくいくかどうかはとりあえず考えずに飛び出すことができたのは、おそらくそのような意識があったからです。
 つまり、ライターとして生計を立てるなどということはそもそも無理だとしても、とにかく旅に出て金が尽きるまで数年ふらふらしさえすれば、それだけで自分は、少しは独自の経験をしたと胸を張れるのではないか。そんな気持ちが間違いなくあったのです。

 もちろん、生活していくためには必死にやらねばという意識も強くあり、だからこそあれこれやっていくことになるわけですが、とにかく旅に出るということさえ実行すれば目的が一つ達成される、そう考えていたからこそ、ぼくはある意味とても楽観的に、うまくいくかどうかを深く考えることなく思い切って踏み出すことができたのだろうと思います。吃音という悩みから逃れたいという気持ちと重なって、その、認められたいという願望は、驚くほどのエネルギーをぼくに与えていたのです。
 そうした気持ちをいま改めて思い出して、はっとさせられました。

 ぼくはいまもなお、自己肯定感が低く、何事にもあまり自信が持てません。常に、周囲の人は自分に対して不満を募らせているのではないかと想像しておどおどする性格は変わっていません。そうした意識はときにとてもしんどくて、自分自身はもちろん、ときには周囲にもストレスを与えていることがあるように思いますが、それはきっと一生変わらないのでしょう。
 でも、年齢とともに、そうした自分を認められるようにはなってきました。さらには、そういう性格だからこそ、後れをとらないよう、嫌われないよう、できる限りのことをしなければと願う気持ちが強く、それがいまの自分を支えているのだなと実感しています。そうした性格こそが自分にとっての一番の原動力であり、もっとも大切なものの一つなのかもしれないと思えるようになったのです。

 コンプレックスは最大のエネルギー源になることがある。
 弱さの中にこそ、最大の強みが眠り、打開策が潜んでいる。
 ぼくはいまそのように感じています。もちろんあらゆるコンプレックスが必ずしもそうなるとは言い切れませんし、そう簡単にプラスに転化なんてできないよ、という声も多くあると思います。
 ただ、コンプレックスから逃れたいというエネルギーは誰にとってもとても大きなもののはずです。だからこそ、それをもし何らかの形で別の方向に活かすことができれば――、思わぬ道が開けるかもしれないという気がするのです。

 相談に来てくださった男性は、彼自身の弱さを存分にぼくに見せてくれました。
 その中にこそ、彼の強みが隠れているのではないか。ぼくはそう想像しています。
 迷いや葛藤はそう簡単に消えないだろうし、容易に打開策が見つかるわけでもないと思います。でも、彼がこの先どういう選択をし、どういう道を進むことになっても、自分の弱さと向き合う経験はきっといつか力になる。ぼくはそのように感じています。
 なんとか、踏ん張ってくれますよう。

『遊牧夫婦こぼれ話』第2回「上海の落とし穴3」(2014年7月「みんなのミシマガジン」掲載記事を再掲)

【『遊牧夫婦こぼれ話』は、ミシマ社のウェブマガジン「みんなのミシマガジン」にて、2014年6月~2017年7月まで毎月書かせてもらっていた連載です(全38回)。「遊牧夫婦」シリーズの中に収められなかったエピソードや出来事を振り返りつつ、しかしただ過去を振り返るだけでなく前を向いて、旅や生き方について、いまだからこそ感じられることを綴っていく、というコンセプトの連載でした。現状、ミシマガジンでは読むことができないので、ひとまず、連載時に面白がってもらえた回だけでもこちらに随時アップしていく予定です。再掲にあたって細部は少し調整しました。】

第2回 上海の落とし穴 その3 (その1 その2
2014.07.06更新

  男を斜め前に歩かせて、そのすぐ後ろをついていった。
 河南中路と南京東路の大きな交差点を、車のクラクションの音とヘッドライトをかきわけるようにして、斜めに渡り、河南中路を北に歩いた。
 「おい、警察官を一緒に連れて行くからな。いいか」
 そう言ってみたが、「いいよ」とまったく動じない。むしろこっちが若干ビビっているのがばれただけかもしれなかった。
 そもそもぼくが金を巻き上げられたという証拠はない。その上、警察を連れて行っても、場合によっては言葉が通じない中、むしろウソをでっち上げられ警察に金をにぎらせられて、逆にぼくが窮地に陥る可能性も十分にある。というか、その可能性の方が高そうだ。異国にいることを否応なく実感させられた。

 くそ、どうすればいいんだ。どうすればこの男に一番のダメージを当たられるのか。どうすれば悔しい思いをさせられるのか――。いい案は何も思い浮かばなかった。そして、それならばとぼくは思った。とにかくはったりでもビビらせよう、と。
 静かにポケットからiPhoneを取り出して、ぼくはカメラアプリを立ち上げた。写真を撮って、これを雑誌などに載せるぞと言ったらビビるのではないか――。古典的だがそう考え、横を歩きながら、突然彼の前にiPhoneを無言でかざしたのだ。そして、有無を言わさずシャッターを数回押した。

 「おい、なんだよ! なんで、撮るんだ! やめろよ!」

 男はびっくりした顔でこちらを向いた。苛立たしそうに僕のiPhoneを手で遮る。ぼくは言った。

「この写真を、雑誌とかに載せてやる。撮ったからな!」

  何の証拠にもなりえない無意味な写真であることを自覚しつつもそうすごむと、男は、手でぼくを遮りながら

「やめろよ!」

 ともう一度言った。そしてその次の瞬間、彼はその手をパッとどけて、体勢を変えた。と思ったら、一気に走り出したのである。東西に走る小さい道を河南中路から西に向かってダッシュで逃げた。あ――、と思ったときにはもう、彼は手の届かないところにいた。

  男の後ろ姿を、ああと思って眺めながら、もう追う気はなくなっていた。一目散に駆けていくその男の後ろ姿を、ぼくはその場でじっと見つめた。
 何か最後の捨て台詞でも吐きたかった。しかし、いい言葉が浮かばない。そうしているうちに彼は、河南中路よりも暗く細い東西の通りを、ダッダッダッダッという足音だけを響かせて、暗がりの中に消えていった。

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この男に注意、しようがない。

この男に注意、しようがない。

 ああ、行ってしまった・・・。ただ脱力感に襲われて、その場にじっと立ち尽くした。無意味な写真だけが手元に残った。 

 ただ、やり場のなかった悔しさと怒りは、男に直接言いたいことを言ったことで軽くなった。しかしその一方、男はいまごろほくそ笑んでいるのだろうかと想像するとまた頭に来た。でもこれ以上はどうしようもなかった。 

 そのまま男が歩いた道を西に歩いた。一応、見つけられただけでもよしとしないといけないのだろう。そう思いつつ歩きながら、彼との慣れないやりとりによって自分が猛烈に疲労していることに気が付いた。

 このまま地下鉄に乗って宿に帰ろう・・・。再び南京東路へと戻り、けばけばしく光り輝くネオンの中を、人民広場駅を目指してさらに西に歩いていった。通りの輝きが、すべて胡散臭く見えてくる。

 息をつく間もなくまた、怪しげな男たちから次々に声がかかる。

「ち○ち○マッサージ?」
「セックス?」
「どう? 安いよ。カワイイ子いるよ」
「ドコカラキタ?」
「ニホンジン?」

 無視して通り過ぎても、5秒もするとまた別の男から声がかかる。そして、挨拶のように、言われるのだ。

 ち○ち○マッサージ?――。

  ふざけんなよ、こいつら・・・。ち○ち○ち○ち○、小学生みたいにうるせえなああ。聞いているうちに再び怒りが込み上げてくる。そして、あの男へのいら立ちが蘇るように、途中で本当にカチンときた。
 勢い余って、ずっとついてくる若い男をぼくは思わず威嚇した。
 「おい!」
 と言って、急に振り返り、男に向かって攻めるようなポーズをとった。
 ビビって退散するだろう。そう思ったが、よく見ると血の気が多そうな男だった。男は一瞬ビクッとしながらも顔に怒りを露わにした。そして、こっちを指さしながら、逆上して声を荒げた。 

「HEY! FUCK OFF!!」

  予想しなかった反撃にむしろこっちがビビッてしまった。慣れないことをするもんじゃなかった。見かけ倒しでビビりの自分は、パパイヤにボディを褒められたとはいえ(「何気に結構喜んでるんじゃないか?」という推測ははずれです、念のため)、ケンカして勝てる自信などまったくないし、そもそもこんなところで暴力沙汰を起こせば、それこそ大変なことになるだろう。

  そして、若干目が覚めた。冷静になれ、落ち着け、落ち着け・・・。こんなところでわけのわからないトラブルを起こしたら本当の馬鹿だぞ。気持ちを静めるのに必死だった。

  それからは寄ってくる男たちをすべて無視しながら歩いて行った。そして、しばらく歩いたあと、猛烈に疲れを感じ、デパートの横のベンチ的なところに腰かけた。すると間髪入れずに今度は女性が寄ってくる。髪が長く、すらっとして、顔つきも整った比較的きれいな20半ばぐらいの子だった。彼女は中国語でこう言った。

 「すみません、道がわからないんだけれど・・・」

  ああ、またこれか。そうか、これは定番の手口だったのかと、そのときようやく気がついた。脱力感に襲われて、「もういいから」と追い払うように手を振った。すると彼女は言ってくる。

 「あれ、中国人じゃないの?どこの人?」

  しばらく黙って無視した挙句、根負けして、ぼくは言った。「中国語わからないから、聞かないで」。すると、彼女はマニュアル通りなのだろう、昨日の男と同じようなことを次々に言ってきた・・・。

  「目的はわかってるから。どっかいってくれよ。昨日同じやつに会ったから」

  「え、どういうこと、どういうこと?私の目的って何?ただ道を聞いただけなのに」

  途中から、英語と中国語が混じりあった会話になった。彼女は英語がうまかった。なかなか立ち去ろうとしない彼女を見ながら、ぼくは思った。そうか、それならば、逆に彼女にこの手口の内実を聞いてみようじゃないか、と。ぼくは、昨日騙されて金をとられたこと、その上今日も同じような連中が次々に来ることにむしょうに腹が立っていると、彼女に告げた。

  彼女は「え?いくらとられたの?」などと言って驚いたふりをしながらも、ぼくが、「もういいから、いいから」と言い続けると、ようやく素の様子で話し始めた。自分もまた、同じようにあなたをKTVに誘おうとしているんだ、と。

 「男の人はみんな女の子が好きでしょ?女の子としたいんでしょ?私は、ただ男の人にお店を紹介するだけよ。行くか行かないかは本人の勝手。選べるんだから、別に騙してるわけじゃない」

  そんなことを言い、結局あなたもお店に行ったんだから、やりたかったんでしょ・・・などと言った。

  いやいや、ちがうんだ・・・、と言いながら、細かく説明する気もしなくて、とにかく、まあ、いいから、と彼女がどんな生活をしているのかをぼくは聞いた。 

「昼間は英語を習いに行って、夜はこの仕事をしてるの。好きでやってるわけじゃない。他の仕事を探してるけれど、見つからなくて。だからしょうがいないのよ、みな生活のために働くんでしょ」

  そして、言った。
"That's life, right?"

 彼女のその言葉を聞いたとき、ぼくは少し笑って「うん、そうだよな」と頷いた。そして、思った。あの男にも、それなりの事情があったのかもしれないと。無駄な怒りをぶつけるのではなく、むしろ、金はいいから、その代わりにどんな生活をしているのかを教えてくれ、と言うべきだったと思い至った。それが自分の仕事のはずだった。

  やられたことはむかつくけれど、たしかにあの男も、こうでもしないと生きていけないのかもしれなかった。怒りとは別に、それを聞きだすことこそ、書き手として、自分がやるべきことではなかったのか。いや、しかし、あんなに日本語がうまいなら、いくらでもまともな仕事を見つけることだってできるはずだ・・・。

  そんなことを思っているうちに、彼女が言った。 

「ねえ、飲みに行かなくてもいいから。あそこのハーゲンダッツでアイスを買ってくれるぐらいいいでしょ」

  ぼくは冷たく言い放った。

 「何言ってんだ。なんでおれが奢るんだよ。おれと話してても時間の無駄だよ。他の男を探しにいけよ」

 「ちょっとぐらいお金をちょうだいよ」

 「ふざけんな、やらねえーよ」

 彼女は顔に怒りを表した。そして、「チッ」と舌打ちをして足早に立ち去った。
 彼女が立ち去ると、待っていたかのように、今度は2人組の大学生ぐらいの女の子が話しかけてくる。彼女らを遮って歩き始め、地下鉄の人民広場駅の入口に入ろうとすると、次は派手な女の子が、露骨にぼくの腕をつかんできた。

 「ねえ、どこにいくの・・・」

 ぼくは唖然としてしまった。上海ってこんなところだっただろうか――。住んでいたころは、あまり南京東路などには来なかったから気づかなかっただけだろうか。それとも今回はあまりにも自分が観光客然として映っているのだろうか――。

 異国にいるということをこんなにも実感したのは久々のことだった。地下鉄の駅に入りながら、ぼくはあの男のことを考えた。いったい今、あいつはどんな顔をしているのだろう。馬鹿な日本人だったな、と笑っているのか。そして次の獲物と一緒に南京東路をすでに歩き出しているのだろうか――。

 あの男にも事情が・・・なんていう気持ちは消え去った。そしてまた猛烈に怒りが襲ってきた。 

 クソッ!

 何度もそう呟きながら、そしてその一方、さっき"FUCK OFF!"と言った男の仲間なんかがまさか追いかけてきたりしてないだろうな、とわずかばかりビビりながら、ぼくは終電間際の地下鉄に乗り込んだ。

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                   *

  というのが2014年に久々に訪れた上海での経験でした。 

 ただし、上海は基本的にはとても平和で安全な町です。ぜんぜん説得力ないかもですが、上海はおそらく、世界でも数少ない外国人女性が夜一人で歩いても大丈夫な大都市のひとつであるはず。この時も現地に住む日本人女性がそのように言ってました。2014年のことですが。

 ちなみにこの何日か後、ぼくが帰国した後に、この仕事の写真を撮ってくれた写真家の吉田亮人さんが、同じ詐欺男に同じ場所で声をかけられたとのこと。カツオ氏、全くたくましい男です。