ここがぼくらのホームタウン 第3回 逆境の企業城下町で〝跡継ぎ〟の覚悟 『考える人』2016年秋号

そうして〇六年、覚悟を決めて泰洋は相鐵に戻ってきた。自分が志してきたのとは全く異なる世界だったが、彼は懸命に働いた。親父に絶対に負けたくないという気持ちも力になった。父親との衝突は頻繁で、怒鳴られる声の大きさに他の社員が心配することもあった。しかしそのうち父親の病状が重くなると、泰洋がすべてを任されるようになっていった。そして〇九年一二月、泰洋は代表取締役社長に就任する。事実上引退していた父親に泰洋は直接言った。「おれに社長を譲ってくれ」。/社長となった泰洋は、その後三年はこれまでの方針を変えないことに決め、父親のやってきたことを一つひとつ覚えていった。変えようにもどうすればいいか分からないということもあった。その一方で、東京での広告の仕事への思いもまだ残っていた。テレビでいいCMを目にしたり、知人の活躍を知ったりするたびに、自分はもうあの世界にはいないんだと実感して気持ちが揺れることが少なからずあった。/まさにそうしたころ、震度六強の激震が日立市を襲ったのだ。