7年間を終えるにあたって、大学で出会った学生のみなさんへ

2011年から7年間講義をやらせてもらっていた京都造形芸術大学の非常勤講師職が今年度でいったん終了となり(通学部。通信教育部は継続します)、先週、最後の授業(合評会)を終えました。

その日は学生たちにとっても学期の授業の最終日で、例年通り、学科の学生と教職員全体での飲み会がありました。
その場でぼくは、思いがけず皆さんから花束までいただき、学生たちにも先生方にも温かい言葉をかけてもらい、幸せな気持ちで最後の日を過ごさせていただきました。

またその際、思っていた以上に複数の学生が、自分の講義や言葉を覚えていてくれたり、大切にしてくれていたことがわかって感無量でした。

その会の終盤、ひと言挨拶をさせていただきました。

嬉しい気持ちやお礼とともに、文芸・文筆を学ぶ学生たちに、以下のようなことを話させていただきました。

参加していなかった学生たちや卒業生たちにも伝えたいと思ったので、話したことを改めて文章にしました。学生の皆さんの今後の活躍を祈りつつ。

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文章を15年ほど書き続けてきてなんとか生計を立てられるようになったいま、強く感じるのは、書く上での"技術"を学ぶことの大切さです。

文章で何かを伝えるということには、技術がいる。
そのことを最近痛感するようになりました。

これといった技術がなくとも文章は書けるし、思いを伝えることも可能です。ときにむしろ技術なんてない方が、思いが伝わる場合もあるように思います。

しかし、文筆を仕事とし、継続的に書き続けていこうとすれば、どうしても基盤となる技術が必要です。文芸を学ぶ学生たちには、それを大学時代に身に付けてほしいし、大学で教える身としても、そういった技術をしっかりと教えなければならないと、ここ1,2年で強く感じるようになりました。

特に今、ネットメディアやSNSの発達により、媒体は無数にあり、誰でも書いたものを多くの人に読んでもらえる機会があります。それはとてもいいことです。しかしそれだからこそ、文章を書くことを仕事にしようと思えば、伝えるための技術が必要だと思います。

その技術を身に付けるために必要なことはいろいろありますが、大切なことの一つは、文章を書くとき、その全てに自覚的になることだと思います。自分の原稿の一文一文について、たとえば、この文はなぜ「である」ではなく「だ」で終わるのかと問われたら、その理由を自分なりに答えられるべきだというのがぼくのいまの考えです。その理由に正解などはないけれど、ただ、書き手が自覚して書くことが大事だということです。一文一文にそのくらい自覚的に書いていくことで、文章は少なからず研ぎ澄まされていくと思っています。

その一方、技術では人を感動させられません。人の心を動かすのは、ほとんどの場合、技術ではありません。心を動かすのは、その言葉にどれだけ書き手の気持ちが込められているかだと思います。

それは、書き手の生き方、考え方、これまでに経てきた悲しみや喜びなど、様々な経験や時間が問われます。取材して書くのであれば、書かれる側の人に対して、十分心を寄せることができるか、読む人たちの思いにも想像力を働かせられるか。また、書くということが決して軽いことではなく、ある種、責任の伴う重いものなのだということを意識できるか。文章を書くということは、そういったあらゆることが問われているように思います。

文章を書くことの魅力でもあり怖いところは、そうしたその人自身の人間性のようなものが、必ずどこかに滲み出ることです。それは文章に書かれた主張ではなく、一文一文のちょっとした表現や語尾などに表れるもののように思います。長い文章を書けば、どうやっても、必ずどこかにその人自身が投影されるものです。その点をどうすればいいかは、大学などで人から学ぶことはできません。日々を生きていく中で自分自身で身に付けていくしかありません。それだからこそ、価値があるのだと思います。

技術と思い。

その両面が揃うことで、いい文章が生まれるのだと思います。
もちろん、必ずしもそうではないかもしれないけれど、自分としては、その両面をできる限り大学時代に高めていってほしい、というのがみなさんに伝えたいことでした。

そして、文章を書くことに正面から向き合うことは、文章を書く以外のことにも大きく役に立つはずです。どんなことをして生きていくにしても、自分自身の行いに自覚的になり、自分自身を見つめ、掘り下げ、深めていくことは必ず力になるだろうと。

みなさんのこれからの活躍を期待しています。

どうもありがとうございました!
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「旅と生き方」に関する大学講義の学生レポートを読み終えて

かれこれ6年ほど、大谷大学において「人間学」という講義をやらせてもらっています。いろいろな先生が同じタイトルでそれぞれ違ったテーマの授業をやられている中、自分は「旅と生き方」をテーマとして、毎年前期にやっています。旅が人生にどう影響するのか、旅することはどんな意味を持つのか。そのことを、さまざまな映像作品や自分の体験を通じて15回にわたって話していくという講義です。受講者は毎年二百数十名おり、今年も、200人ほどが最終レポートを提出してくれました。そして今日、ようやくそれをすべて読み終えることができました。

最近の学生はあまり海外に行かない、旅をしない、とよく言われます。自分がこの講義をするようになったここ5,6年の間でも、確かに海外には全く行ったことがない、興味がない、という学生が多いのを感じます。その一方で、海外や旅に興味がある学生は、ぼくが大学生だった20年ほど前に比べてもかなり積極的に旅をしているし、また現在は、高校の修学旅行が海外だったという学生も多く、海外への距離そのものは自分たちの学生時代に比べて格段に近くなっていると思います。

にもかかわらず、総じてみると、海外をとても遠くに感じている学生が多いことを実感します。そして今年は特に、「外国は怖い」「海外は危険という印象しかない」「一生行くことはないと思っていた」とレポートに書いている学生が多いことに驚かされました。

ただ、それゆえなのでしょうか。今年は例年に増して、みなが講義から大きな刺激を受けてくれたことがレポートから感じられました。講義を受けて「海外が怖いばかりではないと感じた」「旅にとても出たくなった」「夏に一人旅をすることを決めた」「来年留学するために本格的に動き出した」「世界の見方が変わった」などと書いてくれている学生が多く、それはとても嬉しいことでした。また、旅に出たいとは思わずとも、それぞれの今後の生き方を考える上で、なんらかの真剣な決意表明を書いてくれていた学生も多く、旅が持つ意味、旅が人に与えるものについて学生たちに話すことの意味を改めて実感しました。

またレポートを読む中で、多くの学生たちが、これまでそれぞれにいろんな経験を経てきたこと、生き方に迷い、葛藤し、社会に出るのを前にさまざまな悩みや不安を抱えていること、そして、生きることに真剣に向き合っていることが伝わってきました。

そういう学生たちに対してぼくは、40代になったいまの立場から、「自分も同じように悩んだよ」「気持ち、わかるよ」「大丈夫だよ」などとは安易に言いたくないと思っています。自分も学生時代、年上の大人にそのように言われても決して安心したりすることはなかったように思うし、そういう言葉はいま現在悩んでいる学生たちに対してほとんど響くことはないように思うからです。

できることは、ただその悩みや迷いや不安を聞くことであり、自分のこれまでの経験や現状をわずかに共有しつつ、自分自身いまなお悩み葛藤しながら生きている現状を知ってもらうことだけのような気がします。

個々の悩みは、究極には、その人本人が乗り越えるしかないないことがほとんどだと感じます。ただ、悩んでいる人にとって、その時々で力になりうる言葉は少なからずあるように感じます。それが本を読んだり、人の話を聞いたりする意味なのだと思います。

ぼくは、旅にまつわる言葉には、そう言った、誰かの力になりうるものが多々あると感じています。自分が旅を通して得てきた実感や大切にしている言葉は、そう言った意味で、学生たちにとって、わずかに力になりうる可能性があることを信じながら、毎年この授業をやらせてもらっています。

そうした自分の思いが、学生たちに届いていればこれ以上に嬉しいことはありません。講義を受けてくれた学生たちにとって、何か一つでも、今後もずっと心にひっかかり続ける言葉を届けられていますよう。

それぞれのこれからの人生の選択を、陰ながら、心より、応援しています。


※同じくこの授業に関連して2013年に読売新聞に書いた記事もここから全文読めます。