差別以外の何ものでもない

先日、近所の知人の店に、妻とともにランチに行った。
その際、カウンターで調理する知人に、飲食店の経営の大変さについて聞いたりする中、インバウンドのお客さんはどのくらいかと聞き、外国人客の話になった時、知人が言った。

「うちは中国人はお断りしてるよ」

全く想像していなかったその言葉に、僕は動揺するとともにすごく残念な気持ちになった。

「彼らはうるさくて常連の客が嫌がるから。これは差別ではないよ」

と知人。彼の人柄的に、たぶん実際、差別してる意識はないのだと思う。でも国籍や人種で一括りにしてお断りというのは、差別以外の何ものでもない。

とても親しいというわけではなく、そして感じのいい彼に対して、なんといっていいかわからなくて、「うーん、中国人にもいろんな人がいますよね。みなお断りというのは……」などとぼそぼそと言うことしかできなかった。

好感を持っている人からこういう言葉を聞くのはなかなか辛く、かつ、それに対して自分なりに納得のいく応答ができなかった自分自身に対しても嫌気がさした。

20年近く前、妻とユーラシア横断の旅中に、グルジア(ジョージア)の首都トビリシで、レストランに入ろうとした時のこと。普通に営業しているにもかかわらず「もう閉店の時間だ」と言われて入れてもらえなかったことがあった。翌日もう一度その店に行き、同じ対応をされたことで差別されていることに気が付いて、怒りが沸き、僕は、その数カ月前にキルギスで一カ月ほど学校に通って身に付けた片言のロシア語で、尋ねた。「僕たちがアジア人だから?」。すると店員は言った。「そうではない」。いや、そうだろう。

あの一つの経験が自分の心に残したものはとても大きい。

広島・江田島の、祖父たちが暮らした場所へ

週末に家族で広島に小旅行へ。ならばこの機会にと、広島市のすぐ南の江田島にも行きました。祖父が戦前から終戦時まで、広島・江田島の海軍兵学校の教官をしていました。そのため以前から江田島はなんとなく身近で、いつか機会があればと思っていたのでした。

当時、祖父母とともに一緒に江田島に住んでいた伯父(3年前に他界)が祖父のことを文章に残していたので、これを機に読んだところ、江田島のどこに住んでいたかが詳細に書かれていて、住所はなかったものの、地図から見つけることができました。それは、海軍兵学校の官舎で、しかも調べるとその一帯は、当時兵学校の人たちが住んでいた家の数々がそのまま残っているらしい。島についてまず海軍兵学校の見学ツアーに参加したあと(毎日数回、詳細なツアーをやっていて、誰でも参加できます)、官舎のあった一帯に行ってみました。まさに当時が思い出せる風景が広がっていました。

終戦当時、ここに祖父母とともに住んでいたのは、小学生だった伯父と伯母、5歳の伯父(僕の母は祖母のお腹の中)。伯父伯母の中で唯一いまも存命の、当時5歳だった伯父に、上の写真を見せると、記憶はいろいろと残っているようで、原爆投下の日の記憶を教えてくれました。家の前の坂を下りた橋の下の川で姉たちが洗濯する姿を、石鹸の泡が珍しくて眺めていた。その時にピカドンが襲い、泣きながら家に帰ったのを覚えている、と。またある日は、米グラマンの戦闘機が撃墜され、死亡して運ばれてきた米兵が腰にカメラをつけていたのがとても印象に残っていると。

また、亡き伯父の文章には、写真の奥に見える海、小用港に停泊していた戦艦榛名が爆撃されたころの様子も。戦艦の上に大きな黒いネットのようなものがかけられ、その上に大量の木などが被せられてカモフラージュされていたけれど、小学生の目にもそこに戦艦があるのがバレバレだったと。

自分にとっては歴史の中の出来事だったことが、実際にこの地を訪れ、伯父の言葉を聞き、亡き伯父の文章を読んだことで、血の通う、自分につながる出来事に。

記録を残してくれた伯父に感謝です。

自分の記録まで。

海軍兵学校の祖父が教えていた建物はいまもそのまま。

飯山博己さんの死から12年。飯山さんの事例<国・札幌東労基署長(カレスサッポロ)事件>が『労働法』(弘文堂)に。

今日7月26日は、看護師だった飯山博己さんが、吃音による困難を原因に自死されて12年となる日でした。享年34。その経緯は拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』に詳しく書きました。当初は労災が認められなかったものの、不当なその決定に対して、ご家族が諦めずに訴えを続けたことによって7年後に労災が認定されました。

最近、その飯山さんの事例が、労働法の代表的な教科書とされる『労働法』(弘文堂)に掲載されていることを親しい弁護士から聞いて知りました。調べると、この本以外にも、<国・札幌東労基署長(カレスサッポロ)事件>として各所で引用・紹介される事例となっていました。

無念だっただろう飯山さんの死の経緯が、こうして広く法律家などに参照される形で伝えられていくとすれば、つらく悲しい出来事であることは変わらないながらも、せめて、よかったと感じます。飯山さんのご両親とお姉さんが大変なご苦労をされて訴訟を続けてこられ、かつ担当の弁護士の方たちが真摯にこの問題に取り組んでくださったゆえのことです。

自分も、取材をしてきた身として、同じ吃音当事者として、飯山さんのことがこれからも引き続き多くの人の心に残ってほしいです。飯山さんの死と労災認定の経緯については、2021年に、「Web 考える人」に書きました。節目の日に改めて、読んでくださる方がいれば嬉しいです。

100万人が苦しむ吃音 新人看護師を自死に追いつめた困難とは

荻上チキさんのラジオで陰謀論研究の烏谷昌幸さんの話を聞いて思ったこと。

荻上チキさんのラジオで陰謀論研究の烏谷昌幸さんの話を聞いて思ったこと。

烏谷昌幸さんはこう言います。「トランプが嘘を言ってるのはわかってる。でも彼の世界観を支持する」という<陰謀論を抱きしめる人>が多くいると。

その話を聞いて、陰謀論とは少し違うけど、思い出したことがありました。それは20年以上前、インチキ吃音矯正所について調べてる時に、その矯正所に通う女性に言われた言葉です。

「この矯正所がインチキかどうかを調べることはやめてもらえませんか。効果がないかもしれないということは私も感じています。でも、吃音の苦しさをどうすればいいのかを誰も教えてくれない中、ただこのクリニックの先生だけが、『吃音は治る』って言ってくれたんです。インチキかどうかという事実なんかは知りたくありません。ただわたしにとって、クリニックは神様のような存在なんです」

僕にとっては、この女性の言葉が深く心に残ったことが、いつか吃音についてちゃんと調べて書きたいと思った原点の一つです。当時、自分自身吃音で苦しむ中、彼女の気持ちは痛いほど理解できる部分があったからです。

一方いま、世界の現状を見ると、彼女の言葉はより大きな広がりを持ったものとして迫ってきます。ファクト以上に人を惹きつけるものの力がいかに大きいかを改めて感じさせられるし、自分自身、それは人間にとって必要なものでもあるともと思います。そういう物語を信じることで、人間はなんとか生きている部分があるということを痛感します。

しかしそう考えると、陰謀論の前に、ファクトは想像以上に無力かもしれない気がしてきます。「ファクトがこうだ」と言っても決してかなわない力を陰謀論が持っているとすれば、いったいどうすればいいのだろうと途方にくれてしまいます。

烏谷昌幸さんの話を聴いて、そんなことを思いました。

以下よりYouTubeで聴くことができます。
『荻上チキ・Session』TBSラジオ
【特集】根拠のない陰謀論はどこで生まれ、なぜ拡散するのか(烏谷昌幸)