6月9日(月)夜19時~  NAgoyaBOOKCENTERにてトークイベント<本嫌いだった私がなぜ、本を書く道を選んだか 〜旅、科学、吃音に導かれて〜>

来週月曜日6月9日、夜19時~

名古屋市のNAgoyaBOOKCENTER(特設会場・喫茶リバー)にてトークイベントをやらせていただきます。

<本嫌いだった私がなぜ、本を書く道を選んだか 〜旅、科学、吃音に導かれて〜>

ライター・文筆業を20年以上やってきて、今さらながら、自分はこの仕事に向いているのだろうかと思うことが多い最近です。元々自分は、文章を読んだり書いたりとは最も縁遠い人間でした。

幼少期から大学入学までに読んだ本は通算10冊ほどしかありません汗。高校入試直前の模試の国語は衝撃の625人中598位、偏差値34(忘れられず)。感想文の宿題は、一度読んだ『こころ』で何度も書き、高校時代、『火垂るの墓』の感想文は読まずにアニメだけを見て書いてしまったことも。大学の合格を知った時に最初に思ったことの一つが、これでもう国語の勉強をしなくていい、ということでした。

そんな10代を過ごしながらも、いろいろな経緯から、文章を書いて生きていきたいと思うようになり、その道を選択して現在に至ります。いまでも、やはり自分は書くことが得意ではないなと思うことが多くあり、その一方で「このことを書きたい」という思いも引き続きあり、しかしうまく書けなくて、という日々で四苦八苦してます。

イベントの中では、そんなお話しとともに、各時代に自分が特に影響を受けた本の一部を紹介します。それらの本の写真を、NAgoyaBOOKCENTERの店長藤坂康司さんが撮ってくださいました(下写真)。


初めて最後まで読めた本(中学1年のとき?)、初めて「本って面白いかも!」と思わせてくれた本(大学1)、初めて「自分も書き手になりたい!」と思わせてくれた本(大学4?)、「いつか自分もこんな本が書きたい」といまも思ってる本、などなどです。これらの本も、当日お店にご用意いただいているようです。

名古屋近郊で、ご興味ある方がいらっしゃいましたら、ぜひご検討いただければ幸いです。

(チラシの写真は、吉田亮人さんに撮影してもらったものです)

9月23日(祝) 名古屋市の守山図書館で吃音をテーマとして講演します

9月23日に、名古屋市の守山図書館で吃音をテーマとして講演させていただきます。演題は

「吃音とは何か "伝えられないもどかしさ"の中を生きる100万人の苦悩」

『吃音 伝えられないもどかしさ』を出版した5年前は、自分の中で吃音に関する悩みはほとんどなくなったと思っていました。しかし、それからの5年の間で、吃音の症状に関しても浮き沈みがありました。また、症状とは別に、自分自身の性格や生き方、書き手としてのあり方に、ずっと影響し続けていることを感じさせられています。つくづく一筋縄にはいかないなあと感じます。

ご興味のある方、よろしければお気軽にご参加ください。人数も多くなく、交流の時間もあり、アットホームな場になりそうだなあと想像しています。

以下のURLよりお申込みいただけます。今日9月3日から受付開始になりました。どうぞよろしくお願いいたします。
https://eventwebreserve.tackport.co.jp/eventUsr_ngy/main/view/4889

6月に朝日新聞Re:Ronに寄稿した文章もよろしければぜひ。
マリリン・モンロー、エド・シーランも当事者 吃音の苦しみと理解

重松さんとのトークを半年経って振り返り、いま少し補足したいこと

先日、ウェブ「考える人」にアップされた重松清さんとのトークは、今年5月に行われたもので、すでに半年以上前。その後、いろんな場で話したり、人と会ったりを繰り返すうちに、いまならこんなことも話したかもしれないと思う点があり、少し補足まで。

記事の中には含められなかったのですが、重松さんとのトークの時、「辛さを抱える吃音の当事者はどうすればいいのか」という問いに対して、ぼくはどう答えていいかわからず、ただ「わからない、解決策がない」という感じで答えたように記憶しています。それに対して重松さんが、「解決には至らなくても理解してもらえたら、それだけでも意味があるのでは」といった趣旨のことをおっしゃったときに、ああ、そうだなあと思いつつも気持ちをうまく表現できなかったことも記憶しています。

その後もしばらくは、解決策がないという難しさばかりに意識が向かいがちだったのですが、ここ数カ月の間に、多くの当事者の方たちと話し、やり取りをする中で、改めて、人と人がつながることの意味の大きさを強く実感するようになりました。特に10月に、大阪で開催された言友会全国大会の際、当事者同士で夜遅くまで語り合った時にそう感じました。吃音に関わる困難そのものを直接的に解決できなかったとしても、やはり当事者や関係者がお互いにつながれる場があることはすごく大きな力になる、と。

いま、若い人たちを中心に、当事者同士、LINEでお互いの気持ちを共有する場を持ったり、定期的に集まって交流したり、という機会が多くなっています。それは本当にいいことだなって思いますし、きっとそれは一つの解決策というか、それぞれが困難を乗り越える大きな力になっているのではないかと感じます。

しかしその一方、そういう場や人間関係を持てない人もいると思います。そういう仲間を持てている人は当事者全体からみたら少数なのかもしれません。そのような中で、最近自分が思うのは、辛いときには「逃げる」という選択肢を持っておくことの大切さです。

学校でも職場でも、辛くてどうしようもなかったりしたら、無理して行き続けることはないし、行かない、またはやめる、という選択もしていいんだっていうことをどこかで思っておいてほしい、とよく思います(この夏ごろ、しばらく保育園に行くことができなくなった娘を見ていた影響もあるかもしれません)。もちろん、いろんな状況から、簡単にはそうはできないかもしれないけれど、でも、生きているのが嫌になるくらい本当に辛かったりしたら、何をおいてもまずそこから逃げる、ということをしていいし、する方法を考えてほしい、と。

そこまで至らなくても、辛かったら、弱音を吐いたり、人に頼ったりすることも必要で、決して我慢してがんばるのがいいわけではない。とにかく、自分が楽になることを第一に考える、ということが何よりも必要な時はあるし、そういう気持ちをどこかに持っておいてほしい、といまはよく思います。

『吃音』出版後、重松さんとのトークをはじめ、いろんな人とやり取りをしていった中でのいまの気持ちを、記録まで。

「吃音」をもっと知るために~重松清が近藤雄生に聞く 

すでに半年がたってしまいましたが、重松清さんに聞き手となっていただく形で5月に下北沢のB&Bで実現した、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』の刊行トークイベントが記事になり、ウェブ「考える人」に掲載されました。

重松さんの素晴らしいリードとお言葉の数々、熱心に聞いてくださった来場者の皆さまのおかげで、深く心に残るイベントになりました。今日から4日間連続更新の全4回です。是非多くの方に読んでいただきたいです。
どうぞよろしくお願いします。

「吃音」をもっと知るために~重松清が近藤雄生に聞く


重松さんにいただいた書評も、改めて掲載してもらっています。未読の方は是非こちらもどうぞ。

〈書評〉理解されない苦しさ、を理解するために。

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