差別以外の何ものでもない

先日、近所の知人の店に、妻とともにランチに行った。
その際、カウンターで調理する知人に、飲食店の経営の大変さについて聞いたりする中、インバウンドのお客さんはどのくらいかと聞き、外国人客の話になった時、知人が言った。

「うちは中国人はお断りしてるよ」

全く想像していなかったその言葉に、僕は動揺するとともにすごく残念な気持ちになった。

「彼らはうるさくて常連の客が嫌がるから。これは差別ではないよ」

と知人。彼の人柄的に、たぶん実際、差別してる意識はないのだと思う。でも国籍や人種で一括りにしてお断りというのは、差別以外の何ものでもない。

とても親しいというわけではなく、そして感じのいい彼に対して、なんといっていいかわからなくて、「うーん、中国人にもいろんな人がいますよね。みなお断りというのは……」などとぼそぼそと言うことしかできなかった。

好感を持っている人からこういう言葉を聞くのはなかなか辛く、かつ、それに対して自分なりに納得のいく応答ができなかった自分自身に対しても嫌気がさした。

20年近く前、妻とユーラシア横断の旅中に、グルジア(ジョージア)の首都トビリシで、レストランに入ろうとした時のこと。普通に営業しているにもかかわらず「もう閉店の時間だ」と言われて入れてもらえなかったことがあった。翌日もう一度その店に行き、同じ対応をされたことで差別されていることに気が付いて、怒りが沸き、僕は、その数カ月前にキルギスで一カ月ほど学校に通って身に付けた片言のロシア語で、尋ねた。「僕たちがアジア人だから?」。すると店員は言った。「そうではない」。いや、そうだろう。

あの一つの経験が自分の心に残したものはとても大きい。