週刊文春「森友自殺財務省職員 遺書全文公開」を読んで

今日の週刊文春の記事「森友自殺財務省職員遺書全文公開」(相澤冬樹さん筆)
を読み、こんな人たちが財務官僚として社会の中枢にいるのかと思うと本当に腹立たしくなった。

自分自身、おそらくそういう人たちと同様に、受験勉強にエネルギーを使い、結果としていまの学歴社会でうまく立ち振る舞ってきたという自覚がある。でも、傲慢に聞こえかねないことを覚悟で言えば、そういう点において恵まれた環境で生きてきた自分自身について、居心地の悪さというか、後ろめたさみたいなものがあり、同時に、自分がそういう境遇を利用して生きていることについて自覚的でなければいけないと思っている。

うまく言えないけれど、おそらく多かれ少なかれ彼らと近い環境にいた時期がある身として、いったいどうして、そんな生き方をして平気でいられるんだ、という気持ちがある。勉強して、エリート街道みたいな人生を進んで権力を得て、その挙句にその立場を利用して改ざんや隠ぺいをして、自分より立場の上の人にだけはこびへつらって、責任は自分の部下に押し付けて。なぜ恥ずかしくないのだろう。なぜ平然とその立場にい続けられるのか。

こういうことを書くこと自体に、自分の傲慢さのようなものがあるのかもしれず、その点も含めて色々自覚的でなければと思うのだけれど、赤木さんが遺書に書いている財務官僚の面々などに、自分もある種近しい立場的なものを感じるだけに、無性に腹立たしく、悔しく、彼らに、本当によく自分の人生を省みてほしいと思う。

余計な内面を変な形で書いてしまったかもしれずですが、でも、記事を読んで本当に怒りが沸きました。この記事の訴え、亡き赤木さんの声が無視されるような社会には生きていたくないな、と心底思う。

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バンコクに数日行ったら、血圧が見たこともない数値に…

2月9日から12日まで、バンコクに行っていました。

今回の滞在の目的は、タイで吃音の当事者・関係者とのつながりを作って、3年に一度世界各地で開催されている吃音関係者による世界大会のアジア版を開く足がかりを作ろう、ということでした。

僕自身は、声をかけてもらって、どちらかといえば付いていく側での参加のつもりだったのですが、提案者のお二人が、諸々の事情でともに来られなくなり、結果として僕と他二人、付いていく側の3人だけで行くことになりました。

コロナウィルスのこともあり、さらに僕個人としては、謎の胸の痛みと高い血圧がしばらく続いていて、心臓を検査してもらっていたのもあって、前日の昼頃までは行かない方向に傾いていました。しかし検査での異常はなく、直前に体調が好転してきたこともあり、やはり行くことにしたのですが、来てよかったなと感じています。

当初の目的通り、バンコクの病院に勤務されている日本人の言語聴覚士の方にお会いして吃音に関連した現地の状況を伺い、さらにタイ国日本人会の方にもお会いして、アジアでの大会を開催する上での今後のいろんな可能性について伺いました。

海外ならではの事情を知って新たな知見を得させてもらうとともに、色々と簡単ではない点もわかり、アジア大会を開催するとしても道のりは長いことを感じましたが、少なくとも第一歩にはなるつながりを持つことができて、有意義な滞在になったように思います。

また、自分としては中国・昆明時代の友人にも会えたり、久々に東南アジアの雰囲気を体感することができて、すごく気持ちがリフレッシュされました。

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その友人には、彼女自身を含め、昆明時代に親しくしていた同世代の人たちの近況を聞き、それぞれ今も世界各地で、全く常識にとらわれない「マジか、すげえ…!」という日々を送り続けている様子を知って、当時の感覚を色々思い出させてもらいました。

今回会ったその友人自身も、バンコク生活が約10年となるといういま、今後どう生きていくかを考えていて、これから、未知の冒険の旅に出るということで話がまとまり(!)、今後が楽しみでありつつ、すごく刺激を受けました。やはり自分もいまなお、新たな未知の場所に身を置いて、「さあ、どうやって生きていこうか」という先の見えない人生を送りたい願望が強くあることを改めて確認しました(って、ずっとそう思いつつ京都生活が10年を過ぎてしまったのですが)。 また、バンコクの町を歩いていて、各所のガードマンや店員、ホテルの人が、隙あらばスマホゲームに興じたり寝てたりするのを見て、それでも世の中は回ってるわけで、なんかほっとするというか、本来このくらいでいいんじゃないのかなとすごく感じました。

日本で暮らし続けていると、思うように効率よく進むのが当然で、そうでなければ文句が出て、人がみなさらに効率的、合理的に行動する、という流れに馴れてしまうけれど、そろそろ効率化も、誰も望んでないレベルにまで至ってる気がします。

バンコクの、なあなあな力の抜けた雰囲気と人々の大らかな感じ、各人が思い思いに日々暮らしてそうな様子を見て、世の中、ちょっと不備不足があって思い通りにならないくらいがちょうどいいんじゃないかなあと再確認?しました。

とともに、自分が知らず知らず、いかに日本の感覚を普通に思うようになっていたかに気づかされます。やはりとりあえず異国・異文化の空間に、できるだけ身を置く機会を作ることが大事だと痛感しました。ただその場にいて空気を吸って人々の様子を見ているだけで、日々の考え方がほぐされるし、そういう機会をもっと持たねばと。旅のこと書いたり、大学で講義をしつつも、完全にエア旅人になってしまっている昨今の自分は特に。

また、観光エリアを歩いていると、年配の客引きが、古典的な手法でにじり寄ってきたので話していると、「ジャパン、フットボールプレイヤー、グッ!」という定番の展開になり、その流れで出てきた名前は案の定、ナカタ、イナモト、ナカムラ、オノ…と、20年くらい前からアップデートされてない状況。それがまた味わい深く、そして、お互い時代の変化の速さについていけない感じで共感したりもしました。

血圧が若干心配だったため、バンコクにも血圧計を持ってきて毎日測ってたのだけど、こっちに来て急に、これまで見たこともない正常値が出るようにもなりました。一時的かもしれないけど、やはりこっちに来てストレスが軽減されたのかなと思ったり。15年前に、中国・昆明にいた頃に吃音の症状が消えていったのも、やはり何かそういうことと関係あるのかなと改めて考えたりもしています。

最後の日は深夜の便だったので日中はアユタヤに行ってきました。アユタヤの遺跡は思っていた以上に壮大で、この周囲に当時、日本人町があったというのも新鮮で、色々思いを馳せました。アユタヤの中心部の郊外、チャオプラヤ川沿いの確か長さ1キロ、幅200mだったかな、そのくらいの土地に、様々な理由で日本では暮らしづらそうなキリシタンや浪人などが自由に暮らしていたそうな。タイに日本とは違う居心地の良さを求めて移住する流れは実はものすごく歴史が長かったということかな、などと想像しました。

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バンコクからアユタヤまでは、電車で2時間弱、15バーツ(50円ほど!)。目の前に乗り合わせたイタリア人のイケメン大学生と話し、これからどうやって生きていこうかと考えている彼の話を聞きながら、20年前の自分を思い出しました。夏に日本に来る予定とのことなので、京都に来たら、よかったら会おうと言い、インスタとFBを交換。爽やかないい出会い。
アユタヤでは、レンタルバイクで移動。タイでは免許なしでパスポートだけで借りられるので(1日200バーツ)、郊外ではよく利用します(バンコクで運転するのは怖いので借りたことないですが)。自分での移動手段を持つと、やはり楽しいです。

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アユタヤからバンコクへは、また電車で戻るつもりだったものの、バイクを返して駅に着くと、電車が遅れていて2時間後まで来ないことが判明。2時間待つと、夜の飛行機にかなりギリギリになりそうだったので、どうしようかと思っていると、バンコクへ乗り合いのバンがあることを教えてもらい、バイクに乗せてもらってバン乗り場へ。するとバンコクへ出発直前のバンに乗ることができてホッ(70バーツ、1時間半ほど)。

バンの中で、その日までに返信しなければいけなかった物理学関係(原子核時計に関する研究)の原稿の確認があったことを思い出し、車内でなんとか確認し、修正案を書いて送信。するとすぐに神戸にいる担当者から了解の返事。その返信をタイの田舎道を突っ走るバンの中で読んでいる状況に、つくづく不思議で面白い世の中になったなと思い、やはりもっと旅をしなければと気持ちを新たにしたのでした。

盟友・常井健一君の『無敗の男』、大ヒット中!

ぼくは幼少期や中高時代に一切本を読んでこなかったせいか、こんな仕事をしながらも本を読むのがものすごく遅く、読むのになかなかエネルギーを要するのが悩みでした。特に、一緒に仕事をする編集者などは読書の鬼のような人ばかりのためいつも気遅れしていますが、最近ようやく自分なりに、さらさらと読めるようになってきたように思います。今年に入ってからも自分的にいいペースで読書を進めることが出来ています。

とはいえ、読みたい本が多すぎて全然手が回らずで、焦ったりもしてしまうのですが^^;、今年はすでに面白いノンフィクションを4冊読了。『聖なるズー』(⇒動物性愛を通じて愛とは何かに迫る衝撃作)、『選べなかった命』(⇒出生前診断をテーマに、命について深く問う大宅賞受賞作)、『西南シルクロードは密林に消える』(⇒高野秀行さんの凄さが詰まった圧巻の冒険の書)、そして『無敗の男』(⇒口を閉ざし続けた政治家・中村喜四郎氏の沈黙を破った骨太な評伝)です。

その中で今回、盟友・常井健一君が書いた『無敗の男』(文藝春秋)を紹介します。

常井君は、学生時代に一緒に日中をテーマにした映像制作を行っていた友人です。その後、AERAの記者などを経てフリーになり、いまでは、若手の政治ノンフィクションの書き手の旗手とも言える存在です。

小泉進次郎といえば常井くん、というほど、小泉進次郎をずっと追ってきた人で、「週刊文春」などで記事を読んだりテレビで見た人も少なくないかと。あの小泉純一郎元総理も、表舞台を去ってからずっとメディアの取材を拒み続けていたものの「常井さんの依頼だけは受けないといけないと思った」と、何時間にもわたる単独インタビューに答えたほど(諸々、常井健一著の書籍になっているので、是非)。

その常井君が、次にテーマにしたのが中村喜四郎氏でした。ぼくは恥ずかしながら存じ上げなかったのですが、長く政治を追ってきた人なら、「おお、あの!」という人物のはずです。ゼネコン汚職で逮捕され、刑務所に入りながらもずっと選挙に勝ち続けてきた政治家です。

彼もまた四半世紀にわたって一切メディアの取材を受けずにきたのですが、その長期の沈黙を常井君が破って、中村氏の奥の奥にまで迫った一冊です。

政治取材を長く続けてきた常井君ならでは洞察がものすごく、中村氏の人生を通じて、ここ半世紀ぐらいの政治の大きな流れが理解できた気がします。選挙とは何か、自民党とは何か。そんなことが全くの門外漢の自分にも見えてきます。そして、一人の政治家の人生に肉薄し、その核にあるものを描き切ろうという著者の情熱が全体に滲み出ています。

常井君は先日の文春オンラインの記事で、小泉元首相についても、全然忖度なくびしっと批判していました。とても距離を縮めて独自に取材をしている立場として、決して簡単なことではないと思いますが、言うことはしっかりと言う。しかし、そうだからこそ、小泉氏も中村氏も、常井君を信頼して、長年の沈黙を破って、彼にだけは話をしようと思ったような気がします。

中村氏はいま、安倍政権を倒すために表舞台に戻りつつあります。この本を読んでから、今後の中村氏の動向が楽しみになっています。

常井君のこれまでの取材の蓄積の全てを投入した渾身の作、是非!
大ヒット中です。

https://www.amazon.co.jp/dp/4163911189/

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吃音の感覚が若干戻りつつある2020年の年始のご挨拶として

先ほど、今年最初となる原稿を書き終えて送信しました。いよいよ年末年始の休みも終わり、本格的に新しい年が始まるなあという気がしています。

昨年1月に『吃音 伝えられないもどかしさ』を上梓してから早くも1年になりますが、昨年は年始から年末まで、この本に関連する仕事で過ぎていったように思います。想像していた以上に多くの方に読んでいただき、吃音について少なからぬ方が理解しようとしてくださるのを感じられたのが何よりも嬉しいことでした。そして本を通じて多くの当事者と再会できたり、新たに知り合ったりすることもでき、忘れがたい一年となりました。

その一方で、実は最近、自分自身の吃音が少し戻ってきたような感覚があり、人に話しかけるときに不安な気持ちが頭をよぎったり、話しながら言葉を置き換えたりしないといけなかったりすることが生じるようになっています。2013年ぐらいからほぼなくなっていた感覚が戻ってきて正直困惑したり、若干不安になったりしています。

本を出して以来、吃音について話したりすることを続けていたのが関係しているのだと思いますが、改めて自分自身、決して吃音が過去のことになったわけではなく、いまなお当事者として吃音と向き合っていかなければと感じています。
とはいえ、このまま以前のように吃音で困ることが出てきても、年齢もせいもあるのか、かつてのようには悩まないような気がしています(いや、わかりませんが……)。自分自身の状態がこれからどうなっていくのか、冷静に見ていきたいというような気持ちです。

また、本書を複数のノンフィクション賞にノミネートしていただけたことは、書き手としてとても嬉しいことでした。次は、宇宙や物理学をテーマにしたノンフィクションを書こうと動き始めていますが、精魂を込めて書き上げた『吃音』を評価していただけたことは、次作へ向けて大きな励みにもなっています。

『吃音』に5年、『遊牧夫婦』もシリーズ3巻で約5年がかかっています。1作5年だと、あと4作書いたら60代、6作書いたら70代。いつまで書き続けられるのかはわからないし、残りの人生でできることは決してそう多くはないことを実感しています。

それゆえに、日々を大事にするとともに、なんとか次作は3年ぐらいで形にしたいところです。必要な収入を得ることは前提として、今後は、それ以外についてはできるだけ多くの時間を、自分が残りの人生で世に残したいと思える本を書くことに費やせるようにと、仕事の仕方も考えていくつもりです。

2009年に帰国して以来初めて、年賀状を一枚も書かずに年を明けてしまいました(お返事だけとさせていただきました)。来年からはついに自分も年賀状を断念することになりそうで、身近な方たちには、この文面を新年のご挨拶にかえさせていただきたく思っています。

春に5年生となる長女、小学校入学となる次女、そして二人で旅をしていた時から常に冷静に物事を判断し続けてくれる妻とともに、今年もいい一年にしたいです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

近藤雄生