Ⅰ 中国直前(タイ、ビルマ)
1 一日十八時間のメディテーション
二〇〇四年九月――。
ぼくとモトコは、数日間ほとんど口をきかずに過ごしていた。口をきかないだけではない。食事も別、寝泊りする部屋も別だった。二人旅のストレスがいよいよ爆発して、ついに別々に旅を始めた……というわけではない。このときぼくらは、タイ北部、チェンマイの街なかから少し離れた山の中の寺、ワット・プラタート・ドイ・ステープでメディテーション(瞑想)の修行をしていたのだ。
ワット・プラタート・ドイ・ステープの境内
一切他人とコミュニケーションを取ってはならない。もちろん夫婦でも会話はだめで、一人ずつに個室が与えられた。読書や書き物などを含めて娯楽的なことはすべて禁止。その上さらに、昼の十二時以降は一切食べ物を食べてはいけない。それらを守って、ただひたすら朝から晩までメディテーションに集中しなければならない。そんな日々を、数日ではあるものの送っていた。
朝は四時に銅鑼が鳴り、その直後から道場に行ってメディテーションを始める。朝食は七時で、道場でもらえるささやかな食事を部屋に持ち帰って一人静かにそれを食べる。
食べ終えたらまた道場に戻ってひたすらメディテーション。十一時になると昼飯をもらってまた部屋に戻り、食べる。午後も同様で、途中、僧侶から指導を受ける時間以外は、夜十時ごろに寝るまでひたすらメディテーション三昧となる。
それが一日のサイクルだ。昼十二時以降は飲食禁止なので、もちろん晩飯はない。午後は、飲み物以外は一切だめ。朝飯、昼飯を済ませたら、あとは翌朝の朝食まで、何も食べられないのだ。
これを二十一日間続けるのがフルコース。その期間の長さには驚愕するが、途中でやめるのは自由、ただ、最低三日以上はやってくれ、というのが一応の決まりだった。
メディテーションは、座るのと、立って歩き回るのがあり、その両方を交互に繰り返しやっていく。
座る方は、足を組んで腰を下ろし、じっと自分の呼吸だけに注目する。何も考えないのではない。そうではなく、ひたすら自分の身体の動きの細部に神経を集中させろ、と教えられた。足が痛くなったら、「痛い」という事実に神経を集中させる。そうやってひとつのことのみに意識を集中させることによって、他の雑念を追い払うのだ。この方法はかなり合理的で、実際に効果があった。だが、それでももちろん雑念は生まれてくる。それに対して僧侶はこう教えてくれる。
「雑念の存在をちゃんと認識するんだ。すると逆にそれを追い払えることがある」
歩くメディテーションもまた同じ。一歩一歩の足の動き、手の動き、呼吸の音を意識する。自分の身体がいまどう動いているかだけに、全部の神経を集中させるのだ……。
ぼくがあてがわれた部屋は、寺の敷地の端っこの木に囲まれた寂しげな場所にあった。四畳半ほどの小さなもので、板敷きの床に古い赤カーペットが敷かれ、その上に木箱のような硬くて渋いベッドが一つあるのみだった。面白みのあるものは何もない。また、女性の部屋は遠く離れた場所にあり、ぼくはモトコがどこにいるのかすらも知らなかった。
朝はできるだけ銅鑼に合わせて四時すぎには起き、すぐに部屋を出て道場へ向かった。チェンマイの街なかはこの時期、日中になると強烈に蒸し暑くなったが、ちょっと山の上に上がっただけでこの寺はとても涼しかった。まだ薄暗い早朝は、肌寒いほどだった。
そんな中、上下とも真っ白なTシャツと麻のパンツをはいて、ビーチサンダルをペタペタいわせながら境内を歩いた。格子柄の石のタイルが敷き詰められたその境内には、金色の細かな装飾が施された赤い屋根と白い壁の寺院の建物が広がっている。建物の脇に並ぶ小さな鐘の列の横を通り抜けていくと、子どもたちが経をあげる声が聞こえてくる。全身に染み込むような澄んだ声で、キリリと引き締まった空気とともにその声を吸い込むと、少しずつ目が覚めてくる。
自分の部屋から道場までのわずかな距離を歩くこの時間は、外を思いっきり自由に歩くことができる貴重な時間だった。そしてときにちょっと寄り道をして、境内の端っこから寺の外を眺め下した。山の下にはチェンマイの町が一望できる。周りを山に囲まれた様子は、モトコの故郷・京都を思い出させた。古都であり、三〇〇ともいう多数の寺院が存在するのもまさに京都のようだった。
早朝のこの時間、きっとまだ町の機能の大部分は動き出していないだろう。でもそこに自分の知らない無数の人生があり、いま動き出そうとしていることを思うと、なんだか不思議な気持ちになった。
旅を始めてこのとき一年と三ヶ月ほどになっていた。その間にいくつの町を通過してきたことになるのだろう。新たな町へと進むごとに、ここにまた、同じ時代を生きながらもおそらく一度も会うことがないだろう人生がいくつもあることにぼくは圧倒されていた。わずかな時間だけでもその中に入り込み、誰かと一言、二言、言葉を交わすことで互いの人生が重なりを持つ。そうして自分が悩み喜び笑い泣いているのと同じように、自分の知らない無数の場所で、いくつもの人生がいま同時に進んでいることを実感することこそが、自分にとって旅の面白さの一つでもあった。加えて、自分が明日どこで何をしているのかがわからない、どんな人と一瞬を共有するのかもわからないという中に生きていることが、ぼくにとっては大きな喜びとなっていた。
タイ北部の、先週までは縁もゆかりもなかった山の中の寺院で、ちょっとしたきっかけから修行体験をすることになり、早朝四時すぎに寺の境内からチェンマイの町を眺めている。そのこと自体が、ぼくにとっては旅の醍醐味ともいえたのだ。
しかし一方、一時的ではなく、ずっと、終わることなくこの寺で暮らし修行に励む僧侶たちは、いったいこの風景をどんな気持ちで眺めるのだろう。ふとそんなことも思いながらその場所を離れ、ぼくは道場へと足を向けた。
道場は、何十畳かはあるだろう広さで、グレーの薄いカーペットが敷かれ、白い壁には、青い布がカーテンのように全体にかかっていた。物といえば正面の棚に小さなブッダの像があるぐらいだ。朝、道場に着くといつもすでに誰かいた。それがモトコであることもあった。しかし誰一人、声はまったく発しない。歩くメディテーションをする人によってわずかにきしむ床の音以外、全くの静寂に包まれていた。
その時間からひたすら座り、歩くのだ。
食事は小さいビニール袋に詰め込まれた食べ物を部屋に持ち帰って一人寂しく食べる。大抵、ご飯と炒め物。それらは案外おいしかった。炒め物には肉も入っていてちょっと意外に思ったが、仏教では必ずしも肉を食べてはいけないということはない、とのことだった。
午後は毎日、僧侶との面談がある。僧侶を前に、フローリングの床に正座をして指導を受ける。ぼくらを指導してくれた僧侶はプラ・ノアといい、いつも丁寧に一人ひとりの状況を尋ねた。そして、
「じゃあ、次のステップに進もう。これからは十分おきに座る・歩くを繰り返すように」
などと指示を与えてくれるのだ。台座のしっかりした木製のイスの上で胡坐をかいた僧侶が、こうして経験の少ない修行者を指導するのは、タイのメディテーションの一般的な形なのかもしれない。ただおそらくその一般的な形と違ったのは、ぼくらが日本人であることに加え、指導する僧侶がカナダ人であることだった。
だがこれは偶然ではない。というのは、もともとぼくがワット・プラタート・ドイ・ステープでメディテーションの体験をしたいと思ったのは、このカナダ人僧侶に話を聞こうと思っていたためだからだ。
僧侶は右の肩から腕にかけてを露出させるようにして黄色い袈裟(ローブ)を身に着けている。そこから見える彼の肌は、完全に白人のものだった。
細い身体と剃り上げた頭、そしてメガネをかけた彼は、神経質そうな雰囲気と西洋人的快活さを兼ね備えていた。ときどき見せる陽気な笑顔は、宿で会う同年代の白人旅行者そのものに見えたが、彼はとても禁欲的な日々の中に生きていた。たとえばプラ・ノアは、モトコに何かを手渡すときはいつも、ポンと軽くモトコの前に投げて渡した。女性とは同じものに触れ合ってはいけないという教えがあり、それを忠実に守っているのだった。
彼はどうしてタイで仏僧になろうとしたのか。話すたびにぼくはそんなことを彼に聞きたいと思っていた。だが修行中、ぼくとプラ・ノアの関係は完全に師と弟子で、こちらから余計なことを話しかけることはできなかった。ぼくは師の問いに答え、指導を仰ぐのみである。彼の指示を聞き、ちょっとは自分にも変化があるのかなと確認しながら、また夜までひたすらメディテーションを続けるのだ。
しかし、この生活――。思っていた以上にきつかった。ぼくもモトコも、早くも三日で音を上げ始めてしまった。
三日目、いよいよ今後のことについて話さなければと、隙を見てモトコと道場の裏で待ち合わせ、短い「密会」を決行した。まるで中学時代の体育館裏のような懐かしさだ。誰にも見られていないことを確かめて、久々にモトコと「再会」し、会話する。
「どうするよ? きつくないか、これ?」
と聞くと、飄々と修行に励んでいるように見えたモトコは、じつはぼく以上にきつかったらしい。
「もう、あかんわ。爆発しそうやわ!」
意外にもすでに限界という感じだった。さらにモトコは衝撃の告白をした。
「私、もう部屋ではポテトチップスとか食べてるで」
ぼくは、午後に何も食べないということだけは、きつくともできる限り守ろうとしていたが、モトコはしっかり部屋で腹を膨らませていたのである。
ただぼくにとっては、食事の制限以上に、部屋で何も読んでも書いてもいけないというのがまったく無理だった。禁止されるとむしろ精が出てしまうのか、ぼくは日ごろより読書のスピードが上がり、持っていた『点と線』の文庫本をメディテーションの合間に半日で読み終え(もともと読むのがかなり遅いので一冊を半日で読み終えることなどほとんどない)、次の本、三島由紀夫の『永すぎた春』へと進んでいった。どれも安宿などで見つけ、交換してきたものだ。
自分たちがそんなだったので、道場で涼しい顔して毎日修行に励む他の人々も、もしかしたら、部屋では別人に変貌しているのかもしれない、と想像した。
「もう帰りたいな」と二人の意見は一致した。にもかかわらず、何がぼくらを思いとどまらせたのか、秘密の会合では、「とにかくあと二泊がんばろう」ということになった。そうして一人ずつその場を離れ、互いに再びメディテーションへと戻っていった。
一方、その日の夜、ぼくの部屋の隣の空間には、新たにイギリス人の男性が入ってきた。ちょっと挨拶を交わして話してみると、
「やっぱり、タイに来たらメディテーションがやりたくてね。いまからワクワクしてるよ」
などと、これから始まる修行への熱い思いを語った。「おれはやっちゃうよ、きつくたって当然さ」といった自信ありげな様子だった。結局そのとき以外彼と話すことはなかったが、しかし彼は一日でこの修行がそんなに容易ではないことに気づいたらしかった。翌日、彼の部屋からは、
「ファーック、ファーック!」
と、静かに、しかしやたらと気持ちがこもった悪態が聞こえてきたのだ。口ほどにもないやつだな、と思いつつ、やっぱり結構きついんだな、とぼくは納得した。そしてこんな生活を期限なく続けているプラ・ノアたちのすごさを改めて感じるのだった。
ワット・プラタート・ドイ・ステープから望むチェンマイの町