シャワーの修理を頼んだら、やってきた業者がやばかった

10日ほど前の夜、浴室のシャワーが急に全く出なくなった。自力で直すのは無理そうだったので、夜中、ネットで見つけた24時間対応の業者に連絡した。すると翌日電話が来て、夕方、提携先だという大阪の会社から3人の男性がやってきた。

早速見てくれたところ、「本体交換が必要です。製品10万、工賃2万、税込で132000円になりますが、製品を発注していいですか」とのこと。そんなにするのかと思いつつも、他に選択肢はなさそうだったので、仕方なく発注をお願いした。しかし彼らが帰ったあと、「もっと安い業者があるんじゃない?」と妻。改めて調べてみると、同じメーカーの製品は、高くでも5万くらい。10万もする製品など見当たらない。

そこで、家の建築業者と繋がりのある他社に尋ねると、本体交換+工賃で4万円台でできるという。10万円することはないだろうとのこと。これは怪しいなと思い、家に来た業者の男性にすぐ電話して、半額以下で見つかったのでキャンセルしたい旨を伝えた。すると男性は言った。「火災保険入ってますか?入ってたら、転んでぶつかって壊れたことにすれば保険おりますんで」。いきなり詐欺の誘いとなり、だいぶやばい業者だったかもしれないと気が付いた。結局、新たに頼んだ修理屋さんに来てもらったら、本体交換の必要はなく、部品交換だけですみ、工賃込みで14000円ほどですっきり直った。

ネットで見つけた「最短5分で対応」「出張費・お見積 0円」を売りにしている”水道修理屋”に連絡してやってきた業者です(サイトは、水道修理で調べるとたぶんすぐに出てきます)。来たのは爽やかな人たちで、僕もうっかり騙されるところでした。その日も大阪から、滋賀、宇治を回ってうちに来たと言っていたので、なかなか繁盛してそうで、騙されている件数もきっと多いはず。どうぞご注意を!

生産性という言葉に蝕まれているの感じながら思い出した、生産性を求めていた自分

朝日新聞Re:Ronに掲載された「微うつ」歴50年の異変…ヨシタケシンスケさんと「助けてボタン」を読んで、「生産性」ということについて考えました。

ここ数年、自分自身、生産性の魔にがんじがらめになっている感じがします。生活していくためにそうならざるを得ない部分もあるものの、じつは自分で自分を必要以上に焦らせているような気も。ヨシタケさんの言葉にはとても共感しました。

一方、自分は、「もっと生産性の高い生活をしたい」と思っていた時期がありました。長い旅から帰国したすぐあとのことです。そんなころにあった忘れられない出来事について書いたエッセイを『まだ見ぬあの地へ』に載せています。「旅の生産性」というタイトルの文章です。思い出したのでこちらに転載します。「旅が非生産的」だとすれば、それを5年間も続けられていたことはいかに豊かなことかと思います。「旅は非生産的だ」という言葉がいまは、まるっきり別な意味に聞こえます。ここに書いた友人とは、それ以降連絡を取ってないのですが、機会があったら、このことを直接話したいなあ…。

(以下、『まだ見ぬあの地へ 旅すること、書くこと、生きること』(産業編集センター)より)

旅の生産性

「『旅は非生産的だ』って近藤さんは言っていましたが、どういうことなのでしょうか」

『遊牧夫婦』の旅を終えて日本に帰ってきた直後、二〇〇八年の暮れに、ぼくは一人の友人からそんな内容が書かれたメールをもらいました。

友人というのは、その前年の二〇〇七年に中央アジア・キルギスの首都ビシュケクで知り合った二〇代の女性です。ぼくらが中央アジアを東から西へと移動しているときのことで、彼女は確か一週間ぐらいの日程でキルギスを訪れていて、宿だったかで一緒になったのでした。

それから一年ほどが経ち、ぼくらが五年間の旅を終えて帰国して少ししたころ、彼女を含めキルギスで一緒だった数人と、東京で再会する機会がありました。そのときぼくは、自分たちが日本に帰ってきた理由について彼女にこんなことを言ったのです。

「五年間、ずっと旅の中にいたら、ふと、『おれ、何やってるんだろう』って思うときが出てきたんだよね。ただ移動を繰り返してるだけの日々に嫌気がさしてきたというか。旅って、なんていうか、非生産的だし、だからもっと、仕事をしたりして生産的な生活がしたい、って思うようになった。それも日本に帰ろうって思った大きな理由の一つだったんだ」

その場では彼女は特に何も言わなかったものの、ぼくのその言葉が引っかかっていたようでした。そのすぐあとに、冒頭のメールが彼女から届いたのでした。

 

そのころぼくは、日本に帰ってまだ数カ月しか経っていなく、ライターとしてやっていくかどうかもはっきり決めていない時期でした。京都に住むことは決まったものの、いきなりフリーのライターとして食べていける自信など全くなく、とりあえず理系の仕事に就いて、会社などで働きながら細々と書いていくしかないかなと思い、派遣の登録に行ったりする日々を送っていました。しかし、就職経験が一切なく、五年間海外をふらふらしていた三〇代の自分にとって、就職先を見つけるのは想像以上に困難であるのがだんだんとわかってきました。こちらが興味を持った会社は、どこも会ってもくれませんでした。最初はタイミングが合わないだけかと思ったのですが、何らかの理由をつけられて「会えない」と告げられるケースが続くうちに、そうか、これは拒絶されているのだ、と気がつきました。そして思ったのです。これはもう、覚悟を決めてフリーライターでいくしかないな、と……。

ただ、いずれにしても、何をやっていくにしても、ちゃんと仕事をして、日本で普通に生活できるようにならなければ、という思いが強くありました。そして、旅に対しては、倦んでいたとも言える気持ちを抱いていました。それが言い過ぎでも、旅することに疲れ切り、とにかく、じっくりと腰を据えた生活がしたかった。

その気持ちの中には、自分は三二歳にもなりながら、社会に対してほとんど何も生み出すことができていない、積極的にかかわることもできていない、という焦りのようなものがありました。まずは日本でしっかりと稼いで食べていくということを最低限実現しなければいけない。そのためには自分が何かを生み出さなければいけない。しかし自分にとっては、それが決して容易ではなさそうなことをこのころ実感するようになっていたのです。

そう思うのと表裏一体な気持ちとして、良くも悪くも雑誌の原稿料などのわずかな収入で細々と食いつないでこられてしまった旅中の自分が、やたらと非生産的であったように感じるようになりました。そしてそのことをネガティブに捉えるようになっていました。「旅は非生産的だ」と負の意味合いで言ったのは、当時の自分のそのような状況と内面の表れでした。

 

そんな時期から、三年以上が経ちました。

いまは一応、文章を書いて最低限食べていけるようにはなっています。生産的でありたいという思いも、それなりに満たされるようになりました。でもその一方、毎日、仕事や子育てに追われ、旅らしい旅など全くできなくなっている中で、過去の旅を思い出しながら紀行文を書いていると、旅をしたい、と思う気持ちが再び強烈に湧き上がってくるのを感じます。

正直なところぼくはこれまで、紀行文の面白さ、魅力というものを、さほど感じたことがありませんでした。それゆえに、もともとは紀行文を書くつもりはなかったのですが、いろいろな経緯から『遊牧夫婦』などを書くことになり、いまもずっと書き続けています。さらに昨年からは大学で紀行文についての講義を担当するようにもなりました。

そうした中、ようやくいま、紀行文は面白いと確信をもって人に伝えられるようになっています。一言でまとめることは困難ですが、それはおそらく、旅というものが人間にとっていかに普遍的で必然的な行為であるのかを、自分自身の旅を振り返りながら文章化することを通じて、実感できるようになったということなのだろうと思います。

旅の持つ普遍的な魅力を感じられるようになるにつれて、自分が三年半前に言った、「旅は非生産的だ」という言葉をふと思い出すようになりました。友人がぼくに対して、「なぜそんなことを思うのか」と、おそらく多少の反感も抱きながら問うてきた気持ちがいまはよくわかる気がします。

そしていまはこう思います。旅は、何か具体的なものを生産する行為ではないかもしれない。でも、だからこそ、形では表せない無限の世界をその人の中に生み出すのだろう、と。

(2012・5)

今年も「旅と生き方」に関する講義を終えて(レポートを読んで思ったこと等)。

毎年前期に大谷大学で行っている、旅と生きることをテーマにした講義(人間学)も、今年でたぶん13年目くらいになりました。今年もようやく、レポートの採点、成績入力までを終了しました。

この講義は、旅が人生にどう影響するかということを、自分の長旅の経験や、様々な映像作品、世界情勢、歴史、文化などから語っていく内容で、毎年100人~200人くらいが受けてくれます。(講義の基本的な内容はこちらに書いています)

講義を受けて、少なからず影響を受けてくれる学生が毎年何人かはいるように感じます。ある年は、講義が終わったあとに休学してユーラシア横断の旅に出てくれた学生もいたし、行くかどうしようか迷っていた留学を、行くことに決めたと伝えてくれた学生もいました。またその他に、進路の相談や留学の相談をしに来てくれた複数の学生も含め、彼らの姿を見て、旅について考えることは、学生たちにとって大きな意味があるように感じています。

そのような中、今年度の講義のレポートを読み終えて、今年はとりわけ、いろんなことを感じてくれた学生が多かったかもしれないように思いました。

ある学生は、全然大学に行けてなかった中、たまたまこの講義をとって聴いていくうちに、いろんな生き方があっていいんだと思うようになり、背中を押され、そのうちに他の授業にも出られるようになったと書いていました。

またある学生は、姉が高校卒業後に海外の大学に進学し、そのままその国で就職して現在に至るとのことでした。その学生は、姉がどうしてそんな選択をしたのかがわからず、かつ、遠くに行ってしまったことがショックだったこともあり、姉の出国以来、かれこれ5年ほどほとんど連絡しないままだったとのこと。しかし、この講義を受けて彼女は、姉がどうして海外に行くという選択をしたのかがわかったような気がした。そして、姉にちゃんと連絡をしてみることに決めましたと書いてくれていました。

また、最近難病であることがわかったという学生は、これからどうやって生きていこうか途方に暮れる気持ちだったけれど、世界にはいろんな生き方をしている人し、いろんな生き方をしていいんだということを講義を通じて感じ、自分も自分の道を生きていけるような気がするようになった、と記してくれていました。

他にも多くの学生が、内面の深いところの変化について書いてくれました。僕の講義がまだ途中の段階で旅に出かけたくなってバイクの旅に出たという学生もいたし、夏休みに旅に出ることにしましたと書いている学生も複数いました。そして旅というテーマを通じて自分自身のこれからの生き方を真摯に考えていることが伝わってくるレポートがいくつもありました。

そんなみんなのレポートを読んで、僕自身がとても励まされました。この講義を12,3年やりながらも、なぜかいまも毎回毎回、緊張してしまうのだけれど(それは自分の性格ゆえ)、そんな緊張感を抱えつつも講義をやってきてよかったなと思いました。

一方、こんな講義をしながらも、じつは自分がいま全然旅をしていません。2020年の初頭にタイに行った直後にコロナ禍が始まったこともあり、以来海外が遠くなり、精神面や生活面でも思うようにいかないことが多くあり、気づいたらパスポートも切れてしまっていました。

そのように旅がすっかりと遠のいてしまった自分ですが、みんなのレポートを読んで、皆が旅の可能性を強く感じてくれたのを知って、自分自身もまた、短くてもいいから近いうちに旅がしたいと、いまとても強く思っています。

皆が講義に興味を持ってくれたことで、逆に自分自身がいま、旅の可能性を改めて強く感じています。

講義を聴いてくれた皆さんのこれからの人生を、陰ながら応援しています。「偶然性」と「有限性」を心に留め、そして「脱システム」を――。

ものを書くのは、幸せになるためだ――スティーブン・キングの『書くことについて』

今年度、書くことについて授業したりする機会が少し増えそうな予感がある。であればこれまでよりも確固たる意識で臨みたく、こないだ本多勝一の『日本語の作文技術』を20年以上ぶりに読み返した。やはり名著だなと感じ、その流れで、スティーブン・キングの『書くことについて』も読み返した。

『書くことについて』は、10年程前、作家の新元良一さんに薦められて読み、大きな刺激をもらって以来、文芸学科の学生などによく薦めている。一度読んだきりだったので詳細は忘れてしまいつつも、読んだ時の気持ちの高まりや、おれももっと書こう!と思った気持ちだけはずっと頭に残っていた。久々に読み返すとまさに、「そうだった、この興奮だった」と、最初に読んだ時の気持ちを思い出した。

キング本人の自叙伝的文章から始まり、書くことについての具体的な方法論へと移っていく。全体として物語性があり、引っ張る力がすごい(田村義進さんの訳の良さもあると思う)。1つのノンフィクション作品のような作風だが、読み進めるほどに、「書くことついて」というテーマがいろんな形で伝わってくる。

自叙伝的部分からは、超大御所の作家でもやはり最初は苦労したんだなということが伝わってくるし(クリーニングの仕事や高校教師をしながら、作品を投稿しては不採用通知が届く、という時代がしばらくあった)、方法論の部分も、文章の技術的な点(とにかく文章はシンプルにしろ、と)、どう書き進めるか、原稿の見直しの仕方、リサーチの方法、編集者へ手紙を書く上で大事な点など、自身の経験に基づいた方法や考えを率直に、具体的に書いている。

方法論の中で特に印象的な部分がある。<ストーリーは自然にできていくというのが私の基本的な考えだ>(p217)というあたりだ。<作家がしなければならないのは、ストーリーに成長の場を与え、それを文字にすることなのである><ストーリーは以前から存在する知られざる世界の遺物である。作家は手持ちの道具箱のなかの道具を使って、その遺物をできるかぎり完全な姿で掘りださなければならない>

ストーリーは、土の中に埋まった化石のようにすでにそこにあり、それを丁寧に、傷つけずに掘り起こすのが作家の仕事だと言うのである。

<最初に状況設定がある。そのあとにまだなんの個性も陰影も持たない人物が登場する。心のなかでこういった設定がすむと、叙述にとりかかる。結末を想定している場合もあるが、作中人物を自分の思いどおりに操ったことは一度もない。逆に、すべてを彼らにまかせている。予想どおりの結果になることもあるが、そうではない場合も少なくない。サスペンス作家にとって、これほど結構なことはないだろう。私は小説の作者であると同時に、第一読者でもある。私が結末を正確に予測できないとすれば、たとえ心のなかでは薄々わかっていたとしても、第一読者はページをめくりたくてうずうずしつづけるだろう。いずれにせよ、結末にこだわる必要がどこにあるのか。どうしてそんなに支配欲をむきだしにしなければならないのか。どんな話でも遅かれ早かれおさまるべきところへおさまるものなのだ>(p219)

この言葉は、小説に限らずさまざまな文章を書く上でのスタンスとして、すごくヒントになる気がした。

方法論について書かれたあと、再びキング自身の話に戻るのだが、そこには、1999年の大事故について書かれている。彼は散歩中にヴァンに轢かれ、生死の境をさまようほどの大けがを負ったのだ。それはこの本を書いている最中のことだった。病院での苦しい治療中に彼は考える。<こんなところで死ぬわけにはいかない。> <もっと書きたい。家に帰れば、『書くことについて』の書きかけの原稿が机の上に積まれている。死にたくない>(p346)……。

その章の最後は、大事故による困難を経たあとの彼の、書くことについての思いで結ばれているが、その言葉が深く響いた。

<ものを書くのは、金を稼ぐためでも、有名になるためでも、もてるためでも、セックスの相手を見つけるためでも、友人をつくるためでもない。一言でいうなら、読む者の人生を豊かにし、同時に書く者の人生も豊かにするためだ。立ち上がり、力をつけ、乗り越えるためだ。幸せになるためだ><あなたは書けるし、書くべきである。最初の一歩を踏みだす勇気があれば、書いていける。書くということは魔法であり、すべての創造的な芸術と同様、命の水である。その水に値札はついていない。飲み放題だ。/腹いっぱい飲めばいい>(p358-359)

文筆業をはじめて20年以上が経ち、いま、書くことは自分にとって、生きるための手段という側面が随分大きくなってしまった。だからこそか、この言葉はすごく響いた。強く背中を押してもらった。読者を幸せにし、自分も幸せになるために――。

あと一点、どこだったか見つけられなくなってしまったけれど、前半に書いてあったこと。投稿しては不採用の通知をもらうという日々でのことだったか、作家デビュー直前のころのことだったか。ある編集者がかけてくれた一言によって、救われた、といった話があった。

それを読んで思い出したのが、自分が旅に出る前に、「週刊金曜日」のルポルタージュ大賞に応募した時のことである。確か原稿を送ったのは2002年の年末で、2003年3月に発表があった。送ったのは、吃音矯正所について書いた原稿用紙50枚ほどのルポルタージュ。

受賞の連絡はないままに結果発表の号が発売する日となったので、「ああ、だめだったんだな……」とがっくりしながらその号を手に取った。結果発表のページを見ると、やはり受賞はしていなかった。ところが意外なことに、誌面に自分の名前が見えた。編集長が講評の中で、自分の応募作について触れてくれていたのである。確かこんな主旨の言葉だったと記憶している。

<近藤さんの吃音矯正所のルポもよかった。ただ、構成の面でもう少し工夫がほしかった。次回作に期待したい>

その言葉は、実績もなく先行きも見えないまま、ライターとしてやっていくために日本を離れる直前だった自分にとって、かすかな、しかし大きな希望となった。その言葉があったから、結果発表のすぐあとに思い切って「週刊金曜日」の編集部を訪ね、なんとか載せてもらえないかと相談に行けた。結果、分量を半分くらいにし、追加取材をすることで掲載してもらえることになった(その記事)。そうして初めて、自らテーマを決めて書いた記事が雑誌に載ることが決まり、一応はライターと名乗ってもいいだろうと思える状態で6月、日本を出発することができたのだった。

その時の編集長は岡田幹治さん。2008年に帰国した後、同編集部に挨拶に行ったときにはすでに編集長を退任されていたのでお会いすることはできなかったが、あの一言が自分の背中を大きく押してくれたことは間違いない。いまもとても感謝している。

その岡田幹治さんが、2021年7月に亡くなられていたことをいま知った。

確実に時間が経った。いまやるべきことはいまやらないと、と改めて思う。