3月6日朝日新聞朝刊「ひと」欄に掲載していただきました。

今朝の朝日新聞2面のひと欄でご紹介いただきました。自分の高校時代からの、密かなしかし大きかった悩みについて、温かく簡潔な文章にまとめていただきました。

当時から親しくしてた方たちには、え、近藤、そんなのあったっけ?って思う方がほとんどかと思います。自分の場合、症状はあまり目立たなかったので、一見わからなくすることはできましたが、就職はやめようと思うほどの大きな悩みではありました。そのギャップを含めて、吃音がある人の苦悩を伝えられればと思い、本を書きました。


<「今まさに苦しんでいる人が読むと、つらい本かもしれません。けれどいかに大変かを伝えることで、結果的に吃音があっても生きやすい社会になればと思ってます」>

高重治香さん、ありがとうございました!

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2月10日「京都新聞」朝刊社会面&「週刊金曜日」2月 8日 (1219)号に書評

2月10日の京都新聞の社会面に、『吃音 つたえられないもどかしさ』(新潮社)についての記事を掲載していただきました。(写真掲載の許可を得ています)

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また「週刊金曜日」2月 8日 (1219)号に、ライター・武田砂鉄さんによる熱い書評をいただきました。
<「アメリカンドッグ」という言葉が言えず、10年以上買うことができなかったが、ようやく買いに行くことができた、とのエピソードを読む。えっ、それくらい、と思う人は多いだろう。知らないからだ。ならば、知らなければいけない。>(引用)

『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)の発売から1週間が経って

今日で、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)の発売から1週間が経ちました。

自分の過去のツイッターを見たら、自分でも驚いたことに、2017年の暮れの段階で、「ほぼ完成した」みたいに書いているツイートがありました。そのときは2018年春には出せるつもりでいて、その後さらにだいぶ書き直して18年の3月に、これで最終と思って担当編集者に原稿を出したのですが、予想していなかったことに「これでは完成原稿とは言えないと思います」といった、重く、熱のこもったご指摘をいただくことになりました。そしてしばらく途方に暮れたあと、根本から考え直し、4,5カ月かけて大幅に書き直して、さらにそこから4,5カ月ほどかけて一語一語まで細部を詰め、ようやく2018年末に本当にほぼ最終的な本の形が出来上がりました。

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その間、丸1年ほど、自分と編集者の間にしか共有されてなく、果たしてこれがどのように読まれるのかという不安感を持ったまま、完成、発売に至り、書店に並び、皆さんに読んでいただける状態になった日を、大きな緊張感をもって迎えました。

しかし、この一週間で、想像していなかったほど多くの感想を直接いただき、レビューを書いていただくことになりました。本当に驚いています。熱のこもったメールやメッセージによるご感想をすでに30ほどはいただいている感じで(まだお返事できていない方、すみません)、これまで書いてきた本で、ここまですぐに様々な反響をいただいたことはなかったので、率直にすごく感激し、ありがたく思っています。自分の伝えたかった内容が届いたという実感もあり、とても嬉しいです。読んでくださった皆様、感想を伝えてくださった皆様、本当にありがとうございます。

特に嬉しいのは、これまで感想をいただいた中、おそらく6,7割はそれまで吃音とは縁のなかった方の印象で、その方たちが、拙著を読んで、吃音の問題について深く深く思いを寄せてくださっているのを感じたことです。また、少なからぬ方が、吃音の問題を、吃音だけにとどまらない様々な問題へとつなげ、ご自分に関わる問題としてとらえてくださっているのが感じられたことも大きな喜びです。

一方で、複雑な思いも大きくあります。当事者から、読むのが苦しい、という言葉が少なからず届いていることです。あとがきにも書きましたが、その点については、新潮45に連載しているときから大きな葛藤がありました。当事者にとって救いが見出しづらい内容になっているかもしれない、と。その点、本という形になってみて、想像以上にそうだったのかもしれないといま感じ、戸惑う気持ちや申し訳ないような気持ちがあります。

この本の執筆の目的は、第一に、吃音がいかに人生に大きな影響を与えるかを広く知ってほしいということであるのですが、それでも、当事者が読んで苦しい本になるのは、辛い気持ちがあります。しかし、そのような当事者の方たちの思いを書き手としてしっかりと受け止めて、これからも自分にできることをやっていきたいと思っています。

ただ、登場してくださった方たちの生きざまに希望を見出してくださる感想も少なくありません。また、その点に関して、重松清さんが『波』2月号に、このように書いてくださいました。

<だが、急いで言っておく。本書は断じて「こんな可哀相な人たちの、こんな悲しい物語」ではない。本書の縦軸となって描かれる一人の父親――髙橋さんという男性の、少年時代からいまに至るまでの歩みが、それを教えてくれるはずである。何度もけつまずきながら(つまりは、どもりながら)髙橋さんは歩きつづける。その背中からたちのぼるのは、吃音の物語にとどまらない、人が人とつながりながら生きていくことの普遍の尊さなのだ。>

苦しさの深い部分を表現しつつも、当事者に寄り添う本でありたいという自分の思いも届いていればと願っています。また、当事者の苦悩を伝えることで、大きな意味でこの本が当事者の方たちにとって力になっていることを心より願います。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
是非読んでいただければ嬉しいです。


また、正式な告知はまだですが、

2月23日(土)15時~、
大垣書店イオンモールKYOTO店にて
(Tel 075-692-3331)

刊行記念トークイベントをやらせていただくことになっています。

『吃音 伝えられないもどかしさ』書影等

『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)、いよいよアマゾンに書影と目次が載りました。1月31日発売です。https://www.amazon.co.jp/dp/4103522615/  

作家の重松清さんには、本当に嬉しいご感想と帯へのお言葉をいただきました。涙の出るような書評も近々発売の雑誌に寄せてくださっています。

いろんな人たちの言葉、思い、苦悩、光、人生を、自分なりの表現として、一文一文、一言一言に力を尽くして仕上げました。是非、拙著、読んでいただければ嬉しいです。

<目次>

プロローグ 18年前

第1章 死の際に立ちながら
マリリン・モンローの悩み
100万人が持つ問題
『バリバラ』番組収録
髙橋啓太の35年
訓練開始

第2章 ただ“普通に”話すために
治療と解明への歴史
治すのか 受け入れるのか
羽佐田竜二の方法
叶わなかった殉職
変化の兆し

第3章 伝えられないもどかしさ
追いつめられたエンジニア
歯科医師の意志
電話番を外してほしい
人生を変えた軽微な事故
吃音者同士のつながり
初めてのスピーチ
吃音だけのせいではない

第4章 新人看護師の死
あまりにも辛い別れ
吃音者に対しての職場のあり方
断念した夢の先
ひどくちらかった部屋
みんなに追いつきたい
唯一の動く姿と声

第5章 言葉を取り戻した先に
うまく話したいとは思わない場所
訓練の果て
吃音がよくなったとしても

第6章 私自身に起きた突然の変化
進路としての旅
神様みたいな存在
「一杯珈琲」
吃音とはいったい何か

第7章 “そのまま”のわが子を愛せるように
子どもの吃音
小さな文字で埋めつくされた連絡帳
なんとかしてあげたいという思い
五年後の表情の変化

エピローグ たどりついた現実

あとがき

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