ご恵投いただいた平民金子さんの『幸あれ、知らんけど』(朝日新聞出版)、読み始めてまだ少しだけれど、本当に柴崎友香さんと岸政彦さんの帯の言葉通りだなあと感じる。数十ページですでに、心の奥に深く沁み込む言葉と風景に出会った。語られるのは、平民さんのお子さんとの日々やコロナ禍での日常で感じたこと、過去の記憶、などなど。お子さんとともに物乞いのおじさんに出会ったときのこと、ドラえもんで描かれる世界を子どもに読み聞かせようとして気づいたこと、海辺の凧揚げはなぜ盛り上がらないか、カレーうどんの汁は飲むべきかどうか……。
毎日ただ同じように過ぎていくだけのような日常の中に、どれだけ生きることの意味を深く感じさせる瞬間があるのかを、気づかせてくれる。そしてその言葉が本当に優しくて、一篇一篇に励まされる。
まだ途中なのだけど、いま読んだ一篇には、平民さんの小学校時代に、先生が授業を中断して雪遊びをさせてくれた記憶が書かれていた。それを読んで、自分もほとんど同じような瞬間があったのを思い出した。
中3の受験前の塾でのこと。冬期講習の時だったように思う。かなり追い込みの時だったものの、雪が降ってきたのを見て先生が「少しだけ雪合戦しようか」としばらく授業を中断して、皆で外にいって遊んだのだ。それがすごく楽しくて嬉しくて、部屋に戻ってから「じゃ、いまから集中してがんばろう」って言われた時に「よし、やるぞ!」という気持ちになったのを記憶している。いまもその塾の記憶と言えば、まずその日のことが思い浮かぶ。
ちなみにその塾は、おそらく現在の中学受験界では最も存在感が大きい感じのS塾(自分は、まだその塾ができたばかりのころの中学部に、3期生として通っていた)。先生はS塾創立メンバーの一人である英語の先生。
いまのS塾は、なんとなく噂で聞く限りでは上記の印象とはかけ離れてそうだけど(実際どうなのかは知らない)、自分にはずっとその時の印象が、その塾のイメージになっている。いい意味で。こないだ東京に行ったとき、その先生が後に開いた別の塾の前を通った。「あ、もしや先生がいるのでは」と、つい中を覗きかけた。
ほんの短い時間でも、ああいう時間を作ってくれたことの価値は本当に大きいと30年以上経って実感する。自分にとっても、そして塾にとっても。
『幸あれ、知らんけど』、昼の休み時に、また続きを読もう。