自分がどんな本を読んできたかについて、京都新聞で記事にしてもらいました

今朝(12月17日)の京都新聞に、これまで読んできた本について、広瀬一隆記者に取材してもらった記事が掲載されました。若い頃、本を読まずに来てしまったけど、大学以降に読み出して、以来出会ってきた本に改めて自分が動かされてきたなあと感じます。

記事の中で触れている本は、登場順に、立花隆『宇宙からの帰還』『脳死』『田中角栄研究全記録』、遠藤周作『深い河』、沢木耕太郎『深夜特急』『敗れざる者たち』、サイモン・シン『フェルマーの最終定理』、角幡唯介『空白の五マイル』。登場する作家は、上記以外には旅中に読む機会がちょくちょくあった作家として、清水一行、村上春樹、ポール・オースター。

立花隆さんは当時大学にいらしたこともあって身近で影響を受けたし、沢木耕太郎さんは記事にもある通り、旅に出る直前に電話をくださって、それが旅中に挫けそうになってもなんとか書き続けてこられた要因の一つでもあり、深い感謝。

また、旅中に安宿に置いてある本は傾向があって、当時(2000年代半ば頃)よくあって結構読んだのが、清水一行、渡辺淳一、村上春樹作品とかだった記憶。清水一行の経済小説はよくあって、当時けっこう読んだ。渡辺淳一も。ちなみにポール・オースターは、日本語の本に出会う機会も少なくなってたヨーロッパ滞在時に原著の『ティンブクトゥ』を確かポーランド古本屋で買って読んだ。当時は英語の本でも、読めるというだけでありがたかった。スマホなかったもんなあと当時の気持ちを思い出します。

村上作品は読んだ土地となんとなく記憶が結びついていて、『ノルウェーの森』は暑かったインドネシア・バリのカフェで、『ダンス・ダンス・ダンス』はマイナス10度くらいの真冬のキルギス・ビシュケクの宿でストーブの前で、訳書の『心臓を貫かれて』はユーラシア横断初期の北京近くの町の宿で、それぞれ読んだ記憶が蘇る。

本と人生の記憶は繋がっているなあと再確認させられました。ちなみに『吃音』を書いてからは重松清さんの作品にも強く影響を受けるように。その重松さんの作品は、一年暮らした中国・雲南省昆明で『流星ワゴン』を読んで心打たれたのを思い出します。

広瀬さん、ありがとうございました! 

記事に掲載してもらった本棚の写真も追加しました。

ものを書くのは、幸せになるためだ――スティーブン・キングの『書くことについて』

今年度、書くことについて授業したりする機会が少し増えそうな予感がある。であればこれまでよりも確固たる意識で臨みたく、こないだ本多勝一の『日本語の作文技術』を20年以上ぶりに読み返した。やはり名著だなと感じ、その流れで、スティーブン・キングの『書くことについて』も読み返した。

『書くことについて』は、10年程前、作家の新元良一さんに薦められて読み、大きな刺激をもらって以来、文芸学科の学生などによく薦めている。一度読んだきりだったので詳細は忘れてしまいつつも、読んだ時の気持ちの高まりや、おれももっと書こう!と思った気持ちだけはずっと頭に残っていた。久々に読み返すとまさに、「そうだった、この興奮だった」と、最初に読んだ時の気持ちを思い出した。

キング本人の自叙伝的文章から始まり、書くことについての具体的な方法論へと移っていく。全体として物語性があり、引っ張る力がすごい(田村義進さんの訳の良さもあると思う)。1つのノンフィクション作品のような作風だが、読み進めるほどに、「書くことついて」というテーマがいろんな形で伝わってくる。

自叙伝的部分からは、超大御所の作家でもやはり最初は苦労したんだなということが伝わってくるし(クリーニングの仕事や高校教師をしながら、作品を投稿しては不採用通知が届く、という時代がしばらくあった)、方法論の部分も、文章の技術的な点(とにかく文章はシンプルにしろ、と)、どう書き進めるか、原稿の見直しの仕方、リサーチの方法、編集者へ手紙を書く上で大事な点など、自身の経験に基づいた方法や考えを率直に、具体的に書いている。

方法論の中で特に印象的な部分がある。<ストーリーは自然にできていくというのが私の基本的な考えだ>(p217)というあたりだ。<作家がしなければならないのは、ストーリーに成長の場を与え、それを文字にすることなのである><ストーリーは以前から存在する知られざる世界の遺物である。作家は手持ちの道具箱のなかの道具を使って、その遺物をできるかぎり完全な姿で掘りださなければならない>

ストーリーは、土の中に埋まった化石のようにすでにそこにあり、それを丁寧に、傷つけずに掘り起こすのが作家の仕事だと言うのである。

<最初に状況設定がある。そのあとにまだなんの個性も陰影も持たない人物が登場する。心のなかでこういった設定がすむと、叙述にとりかかる。結末を想定している場合もあるが、作中人物を自分の思いどおりに操ったことは一度もない。逆に、すべてを彼らにまかせている。予想どおりの結果になることもあるが、そうではない場合も少なくない。サスペンス作家にとって、これほど結構なことはないだろう。私は小説の作者であると同時に、第一読者でもある。私が結末を正確に予測できないとすれば、たとえ心のなかでは薄々わかっていたとしても、第一読者はページをめくりたくてうずうずしつづけるだろう。いずれにせよ、結末にこだわる必要がどこにあるのか。どうしてそんなに支配欲をむきだしにしなければならないのか。どんな話でも遅かれ早かれおさまるべきところへおさまるものなのだ>(p219)

この言葉は、小説に限らずさまざまな文章を書く上でのスタンスとして、すごくヒントになる気がした。

方法論について書かれたあと、再びキング自身の話に戻るのだが、そこには、1999年の大事故について書かれている。彼は散歩中にヴァンに轢かれ、生死の境をさまようほどの大けがを負ったのだ。それはこの本を書いている最中のことだった。病院での苦しい治療中に彼は考える。<こんなところで死ぬわけにはいかない。> <もっと書きたい。家に帰れば、『書くことについて』の書きかけの原稿が机の上に積まれている。死にたくない>(p346)……。

その章の最後は、大事故による困難を経たあとの彼の、書くことについての思いで結ばれているが、その言葉が深く響いた。

<ものを書くのは、金を稼ぐためでも、有名になるためでも、もてるためでも、セックスの相手を見つけるためでも、友人をつくるためでもない。一言でいうなら、読む者の人生を豊かにし、同時に書く者の人生も豊かにするためだ。立ち上がり、力をつけ、乗り越えるためだ。幸せになるためだ><あなたは書けるし、書くべきである。最初の一歩を踏みだす勇気があれば、書いていける。書くということは魔法であり、すべての創造的な芸術と同様、命の水である。その水に値札はついていない。飲み放題だ。/腹いっぱい飲めばいい>(p358-359)

文筆業をはじめて20年以上が経ち、いま、書くことは自分にとって、生きるための手段という側面が随分大きくなってしまった。だからこそか、この言葉はすごく響いた。強く背中を押してもらった。読者を幸せにし、自分も幸せになるために――。

あと一点、どこだったか見つけられなくなってしまったけれど、前半に書いてあったこと。投稿しては不採用の通知をもらうという日々でのことだったか、作家デビュー直前のころのことだったか。ある編集者がかけてくれた一言によって、救われた、といった話があった。

それを読んで思い出したのが、自分が旅に出る前に、「週刊金曜日」のルポルタージュ大賞に応募した時のことである。確か原稿を送ったのは2002年の年末で、2003年3月に発表があった。送ったのは、吃音矯正所について書いた原稿用紙50枚ほどのルポルタージュ。

受賞の連絡はないままに結果発表の号が発売する日となったので、「ああ、だめだったんだな……」とがっくりしながらその号を手に取った。結果発表のページを見ると、やはり受賞はしていなかった。ところが意外なことに、誌面に自分の名前が見えた。編集長が講評の中で、自分の応募作について触れてくれていたのである。確かこんな主旨の言葉だったと記憶している。

<近藤さんの吃音矯正所のルポもよかった。ただ、構成の面でもう少し工夫がほしかった。次回作に期待したい>

その言葉は、実績もなく先行きも見えないまま、ライターとしてやっていくために日本を離れる直前だった自分にとって、かすかな、しかし大きな希望となった。その言葉があったから、結果発表のすぐあとに思い切って「週刊金曜日」の編集部を訪ね、なんとか載せてもらえないかと相談に行けた。結果、分量を半分くらいにし、追加取材をすることで掲載してもらえることになった(その記事)。そうして初めて、自らテーマを決めて書いた記事が雑誌に載ることが決まり、一応はライターと名乗ってもいいだろうと思える状態で6月、日本を出発することができたのだった。

その時の編集長は岡田幹治さん。2008年に帰国した後、同編集部に挨拶に行ったときにはすでに編集長を退任されていたのでお会いすることはできなかったが、あの一言が自分の背中を大きく押してくれたことは間違いない。いまもとても感謝している。

その岡田幹治さんが、2021年7月に亡くなられていたことをいま知った。

確実に時間が経った。いまやるべきことはいまやらないと、と改めて思う。

本多勝一さんの『日本語の作文技術』を20年以上ぶりに再読し、この本から受けてきた多大な影響に気がついた。

文章を書く上で自分が最も影響を受けてきた書き手は、沢木耕太郎さんだ。最初の出会いは確か、学部時代、研究室のスタッフだった女性に『一瞬の夏』を勧められたこと。その後、大学4年の卒業前に数週間インドに行った後に『深夜特急』を読み、そこから沢木さんのノンフィクション作品を次々読んだ。そして沢木さんのようなノンフィクションを自分も書きたいと思うようになり、ライター修行も兼ねた長い旅に出ることになった。長旅に出たとき、教科書としてバックパックに入れていったのもすべて沢木さんの文庫本だった。『敗れざる者たち』、『人の砂漠』、『紙のライオン』、『彼らの流儀』、『檀』などで、中でも、『彼らの流儀』と『人の砂漠』は、書き出しや構成を考える上で、何度も何度も読み返した。

一方、そもそも本の面白さを初めて自分に知らしめてくれたのは、立花隆さんの作品だった。それは沢木耕太郎作品に出会う前、大学に入って間もないころのことである。一浪をへて大学に入り、「物理学者か宇宙飛行士を目指すぞ」と高いモチベーションを持っていたころ、立花氏の『宇宙からの帰還』を知った。高校時代まで、読むことにも書くことにも興味を持てず、本とはほとんど無縁だったが、ふとこの本を読み出したら、夢中になった。初めて本を面白いと思った。その後、彼の作品をあれこれ読み進めていく中で、もしかしたら自分は、サイエンスについて書くジャーナリストのような仕事に興味があるのかもしれない、と思うようになる。当時大学で立花氏の講義があり、それを何度か聴講した影響もきっとあったのだろうと思う(やってくるゲストがすごかった。大江健三郎だったり、鳩山邦夫だったり。90分の授業を180分まで延長したあげく「これで前半終了。これから後半」と言ったのにも衝撃を受けた)。

いずれにしても、そうして立花隆の影響を受けたあと、ようやくそれなりに本を読むようになり、その過程で沢木耕太郎作品に出会った。そして結果として沢木さんの影響をより濃く受けるようになったというのが、自分自身の認識である。

しかしその認識は少し修正されるべきかもしれないと、最近ある本を読んで、思った。それは本多勝一の『日本語の作文技術』である。大学時代に読んだこの本を再読し、自分はこの本の影響をとても強く受けているだろうことに気づかされたからだ。

立花隆を知ってからか、沢木耕太郎を知ってからかははっきりとは覚えていない。けれども、文章を書いて生きていきたいと考えるようになってからこの本を読み、読んだだけでなぜか文章がうまくなった気がしたことはよく覚えている。

読んだだけでどうしてそんな気持ちになれたのか。それを知りたいという気持ちもあって今回再読したのであるが、読むほどに納得できた。いま自分が文章を書く上で大切にしている技術的なポイントの数々が、これでもかと書かれていた。緻密ながらもわかりやすく。「そうか、自分はこの本を読んだから、このような意識で文章を書いているのか」と再認識した。

2章の冒頭にこんな例文が登場する。

<私は小林が中村が鈴木が死んだ現場にいたと証言したのかと思った。>

多くの人は、「こんなわかりにくい文を書く人はいないだろう」と思うだろう。自分も思った。ちょっと笑った。うん、確かにこれは極端だ。しかし、私たちが日々接する少なからぬ文章が、実際にはこのような書き方になってしまっているらしいことが本書を読むと見えてくる。こうならないように気を付けるだけで文章はかなりわかりやすくなる、そのためにはどうすればいいか、を様々な側面から極めて具体的に教えてくれるのがこの本なのだ。

私たちが学校で習う日本語の文法は、明治以降の西洋の文法観の影響のもとに築かれたものであると本書は言う。その結果、日本語の文法は、日本語にそぐわない形で体系化されてしまったという話もなるほどだった。特に、「主語と述語」が大事だというのは英語の話で、日本語には「主語はない」(主格があるだけ)、という論には頷かされた。この例を代表とするような西洋の文法観が知らぬ間に私たちの日本語の捉え方にも影響を与えているのだとすれば、それは私たちが書く日本語にも影響を与えているのだろう。50年前に書かれたことだから、いまでは常識なのかもしれないけれど。

一方、50年近く前の本ゆえに、いま読むと驚かされることも数多い。
たとえば、本多氏は言う。いま(=70年代)「あぶないです」「うれしいです」という言葉遣いが増えているがこれは間違い、「あぶのうございます」「うれしゅうございます」と言うべきである、と。また、英語は専門家にしか必要がないから中学生が学ぶ必要などない、とも書かれていた。いずれも、いま読むと逆にとても新鮮だった。さらに、当時は手書きで書くのが当然の時代だったからだろう、植字工が植字を間違えないようにするための原稿執筆段階での工夫なども書いてあって興味深い。

背景がそれだけ違う時代に書かれた本でありながら、しかし、文章技術に関する話は、いま読んでも一切古びた感じがないし、違和感もない。

文筆を生業として20年以上がたったいま、改めて読めてよかった。

古賀史健『さみしい夜にはペンを持て』を読んで、思いがけない光が見えた

次女は本が好きなので、学校に行かずに家で過ごす午前中に、よく一緒に本屋に行く。

行くといつも、「何か一冊ほしいのがあったら」ということになり、次女は喜んで本を探す。その彼女が先日選んだのがこの本だった。古賀史健さんの『さみしい夜にはペンを持て』。娘はこの本を書店で何度か見たことがあるようで知っていて、自分も読みたいと思っていた本だった。

帰って早速読み出した次女は、学校に行けない主人公のタコジローに共感することが多かったようで、「気持ちすごくわかるー」「読書感想文が好きじゃない理由、タコジローと全く同じやわ」などと言っていた。読み終わると「好きな本の一冊になった」。「日記、少し書いてみようかなって気持ちになった」とも。実際に書いてはいないようだけど。また、ならのさんのイラストにもとても惹かれたようだった。

僕も昨日読み出して、さっき読み終わった。娘の話から想像するよりも文章読本的要素が強かったけれど、娘が「気持ちわかる」と言っていたのにすごく納得した。文章、そして日記を書く意味を教わっていくタコジローが、教えにすぐには納得せずに「でも……」と疑問をぶつける様子が、娘の感覚に似ているのだろうなと思った。

自分にとっても、タコジローが疑問を挟むのは、「そう、そこを聞いてほしいと思ってた!」と感じる点ばかりで、とてもしっくりきた。本全体として「誤魔化していない」感じがあった。子どもを言いくるめようとしてなくて、正面から答えている。だから、子どもに届くのだろうなと思った。

また、書くことについてたくさんの発見があった。「世界をスローモーションで眺める」「メモは、ことばの貯金」「『これはなにに似ているか?』と考えてみよう」などの言葉は、なるほど!だった。文章を書く上でなんとなく自分もそのようにやっているような気はするけれど、言語化できるほど意識できてはいなかった。このような形で明確に言葉にしてもらえると、その点に意識的になれて、これから書いていく上で少なからず助けになりそうに思う。これらが書かれた<4章 冒険の剣と、冒険の地図>はまた読み直したい。

そして何よりも、この本を読みながら、ふと大きな気づきを得た。
どうすればいいかわからないまま1年ほどが経とうとしている事柄について、もしかしたら、こうすればいいかもしれないという案が浮かんだ。初めて、フィクションとして書いたらいいのかもしれない、と思った。ある人に宛てた手紙のような形にして。会ったことはなく、向こうも自分を知らない、ある一人の人に宛てた物語として。

明らかにこの本がくれた気づきだった。
大きな光が見えた気がする。
できるかどうかわからないけれど、やってみたい。

タコジローの物語に、大きな力をもらいました。
この物語を届けてくれた古賀さんに感謝です。