古賀史健『さみしい夜にはペンを持て』を読んで、思いがけない光が見えた

次女は本が好きなので、学校に行かずに家で過ごす午前中に、よく一緒に本屋に行く。

行くといつも、「何か一冊ほしいのがあったら」ということになり、次女は喜んで本を探す。その彼女が先日選んだのがこの本だった。古賀史健さんの『さみしい夜にはペンを持て』。娘はこの本を書店で何度か見たことがあるようで知っていて、自分も読みたいと思っていた本だった。

帰って早速読み出した次女は、学校に行けない主人公のタコジローに共感することが多かったようで、「気持ちすごくわかるー」「読書感想文が好きじゃない理由、タコジローと全く同じやわ」などと言っていた。読み終わると「好きな本の一冊になった」。「日記、少し書いてみようかなって気持ちになった」とも。実際に書いてはいないようだけど。また、ならのさんのイラストにもとても惹かれたようだった。

僕も昨日読み出して、さっき読み終わった。娘の話から想像するよりも文章読本的要素が強かったけれど、娘が「気持ちわかる」と言っていたのにすごく納得した。文章、そして日記を書く意味を教わっていくタコジローが、教えにすぐには納得せずに「でも……」と疑問をぶつける様子が、娘の感覚に似ているのだろうなと思った。

自分にとっても、タコジローが疑問を挟むのは、「そう、そこを聞いてほしいと思ってた!」と感じる点ばかりで、とてもしっくりきた。本全体として「誤魔化していない」感じがあった。子どもを言いくるめようとしてなくて、正面から答えている。だから、子どもに届くのだろうなと思った。

また、書くことについてたくさんの発見があった。「世界をスローモーションで眺める」「メモは、ことばの貯金」「『これはなにに似ているか?』と考えてみよう」などの言葉は、なるほど!だった。文章を書く上でなんとなく自分もそのようにやっているような気はするけれど、言語化できるほど意識できてはいなかった。このような形で明確に言葉にしてもらえると、その点に意識的になれて、これから書いていく上で少なからず助けになりそうに思う。これらが書かれた<4章 冒険の剣と、冒険の地図>はまた読み直したい。

そして何よりも、この本を読みながら、ふと大きな気づきを得た。
どうすればいいかわからないまま1年ほどが経とうとしている事柄について、もしかしたら、こうすればいいかもしれないという案が浮かんだ。初めて、フィクションとして書いたらいいのかもしれない、と思った。ある人に宛てた手紙のような形にして。会ったことはなく、向こうも自分を知らない、ある一人の人に宛てた物語として。

明らかにこの本がくれた気づきだった。
大きな光が見えた気がする。
できるかどうかわからないけれど、やってみたい。

タコジローの物語に、大きな力をもらいました。
この物語を届けてくれた古賀さんに感謝です。