吃音の感覚が若干戻りつつある2020年の年始のご挨拶として

先ほど、今年最初となる原稿を書き終えて送信しました。いよいよ年末年始の休みも終わり、本格的に新しい年が始まるなあという気がしています。

昨年1月に『吃音 伝えられないもどかしさ』を上梓してから早くも1年になりますが、昨年は年始から年末まで、この本に関連する仕事で過ぎていったように思います。想像していた以上に多くの方に読んでいただき、吃音について少なからぬ方が理解しようとしてくださるのを感じられたのが何よりも嬉しいことでした。そして本を通じて多くの当事者と再会できたり、新たに知り合ったりすることもでき、忘れがたい一年となりました。

その一方で、実は最近、自分自身の吃音が少し戻ってきたような感覚があり、人に話しかけるときに不安な気持ちが頭をよぎったり、話しながら言葉を置き換えたりしないといけなかったりすることが生じるようになっています。2013年ぐらいからほぼなくなっていた感覚が戻ってきて正直困惑したり、若干不安になったりしています。

本を出して以来、吃音について話したりすることを続けていたのが関係しているのだと思いますが、改めて自分自身、決して吃音が過去のことになったわけではなく、いまなお当事者として吃音と向き合っていかなければと感じています。
とはいえ、このまま以前のように吃音で困ることが出てきても、年齢もせいもあるのか、かつてのようには悩まないような気がしています(いや、わかりませんが……)。自分自身の状態がこれからどうなっていくのか、冷静に見ていきたいというような気持ちです。

また、本書を複数のノンフィクション賞にノミネートしていただけたことは、書き手としてとても嬉しいことでした。次は、宇宙や物理学をテーマにしたノンフィクションを書こうと動き始めていますが、精魂を込めて書き上げた『吃音』を評価していただけたことは、次作へ向けて大きな励みにもなっています。

『吃音』に5年、『遊牧夫婦』もシリーズ3巻で約5年がかかっています。1作5年だと、あと4作書いたら60代、6作書いたら70代。いつまで書き続けられるのかはわからないし、残りの人生でできることは決してそう多くはないことを実感しています。

それゆえに、日々を大事にするとともに、なんとか次作は3年ぐらいで形にしたいところです。必要な収入を得ることは前提として、今後は、それ以外についてはできるだけ多くの時間を、自分が残りの人生で世に残したいと思える本を書くことに費やせるようにと、仕事の仕方も考えていくつもりです。

2009年に帰国して以来初めて、年賀状を一枚も書かずに年を明けてしまいました(お返事だけとさせていただきました)。来年からはついに自分も年賀状を断念することになりそうで、身近な方たちには、この文面を新年のご挨拶にかえさせていただきたく思っています。

春に5年生となる長女、小学校入学となる次女、そして二人で旅をしていた時から常に冷静に物事を判断し続けてくれる妻とともに、今年もいい一年にしたいです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

近藤雄生

物理学をテーマに

物理学の歴史をテーマにしたノンフィクションを書きたいという気持ちがだんだんと固まりつつある中で『ホーキング、宇宙を語る』を読んでます。もう古典のような本で、30年くらい前に確か途中で挫折して以来の再読なのですが、なんとなくしか理解できてなかった事柄がすごい的確でシンプルな比喩で説明されてて感動してます。

学生時代、一度ホーキング博士が大学に講演に来たことがあり、その時、一枚のパワポの中央に確か、りんご一つだけが描かれた図がありました。どういうことだろうと思ったら、機械を使った音声による彼の説明の後に、そのリンゴだけの図が見事にその説明の全てを物語っていることを知って感動した記憶が今も残っているのですが、この本もまた、そのような魅力に満ちています。彼のような天才的な人物が、わかりやすい言葉で伝える力も備えているというのは、本当に稀有でありがたいことのように、読んでて思えます。

吃音というテーマをひとまず書き終えたいま、次の数年間、場合によっては40代のかなりの時間を費やすことになるだろう次作のテーマを何にすべきなのかとしばらく考えてきたのですが、やはり自分はサイエンス、特に物理にまつわる人間ドラマが書きたいという気持ちが強まっています。サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』のような作品が長年の憧れなのですが、あの本のような絶大な魅力と深みを持つ本を目指すとき自分はどんなテーマを選ぶべきなのか。ずっと考え続けている中、ぼんやりとながら、テーマが具体的になってきているのですが、果たして書いていけるのか…。
この本を読みながらも、そんなことを考え続けています。

先月受賞作の発表があった新潮ドキュメント賞も、講談社のに続いて残念ながら落選。しかも結果の連絡が来るという日の朝に、まだ新しいスマホが突然壊れるという不吉なアクシデントにも見舞われて、結果もそれに追随するような感じでアウト。キャンプ中だった中、それから1日ぐらいテントの内外でがっくり来てましたが、今となっては、その残念な思いが次作へのエネルギーになった気も。

これから、力を尽くして取り組みたいです。

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『新潮45』休刊に際して思うこと

最悪な形で、『新潮45』が休刊に。4日前にツイッターに

<炎上商法に走る雑誌は、苦しくなった紙の雑誌がまさに最後の断末魔の叫びを上げながら火の中に飛び込んでいき、盛大に燃え消えていく前段階のようにも見える。『新潮45』、思い入れのある媒体だけに、なんとかもう一度、志のある雑誌に戻ってほしいなと心より思う。>

と書いたけれど、前段階などではなく、想像以上の勢いと、雑誌として最も悲惨な形で早々に燃え消えていってしまった。

『新潮45』は、いま、最終局面を向かえている自分のノンフィクション作品の連載媒体(最後に掲載になったのは2017年8月号)であり、自分にとっては最も身近な雑誌の一つだったこともあり、最近の杉田水脈氏の論文から今号のあまりにもひどい記事、そして炎上騒動まで、非常に残念な気持ちで注視していたけれど、歴史の長いこの雑誌が休刊になるとまでは思ってはなく、致し方ないとはいえ、極めて悲しいです。

自分が書かせてもらい始めた5,6年前は全然こんな雑誌ではなかったと思う。ぼくが個人的に知ってる『新潮45』の編集者は、優秀で常識的な方たちばかりの印象で、本当になぜこんな風に凋落していったのかがわからない。しかし一方で、最近の2号だけではなく、どのくらいだろう、今年に入ってからぐらいかな、毎回、特集のタイトルがあまりにネトウヨ的でひどくて、なんでこんな雑誌になってしまったんだろうと、ページを開く気もしないまま、ポンと置いてしまってそのままになることが多かった。

と考えると、この状況に至るのも振り返れば必然だったのかもという気もする。しかし一方、その変化も含めて、単に編集部がどうこうというより、紙の雑誌が売れなくなった時代の、一つの残念すぎる末路という感じがする。売れない→しかしなんとか部数を伸ばさないといけない→どうするか→内容のおかしさには目をつぶって炎上商法に走ってなんとか部数を確保しようとしてしまう。

ぼくが連載させてもらっていた新潮社のもう一つの雑誌『考える人』も、昨年、こちらは自分の連載中に休刊になった。状況は『新潮45』とは全然違って、最後まで内容的には信念を貫いて作られたとてもいいものだったと思うけれど、売上的には苦戦していたのだろう、経営判断として、休刊となった(結果、編集長も、自分の担当編集者も新潮社を去った)。

形は違えど、どちらもいまの時代の紙の雑誌の難しさを反映した出来事なんだろうと思う。

時代の流れだと思うと、今回の『新潮45』のような最悪な終わり方をする雑誌が今後も出てるかもしれない気もする。しかしそれは絶対に避けてほしい。紙の雑誌の役割は、一部を除いてかなり微妙になってきているのは読み手としても書き手としても思うけれど(その一方で、本は全然そんなことない)、今回のひどい展開を教訓に、どの雑誌も、なんとかここまでは落ちないでほしいなと願いたい。

実際自分も雑誌を買うことはかなり減ったし、紙媒体を作り上げるものすごい手間や作業量、その割に全然売れない実情を考えると、紙の雑誌が姿を消していくのは避けられないとも思う。しかし、強調しておきたいのは、紙の媒体というのは、ネット媒体に比べて総じて、本当に幾重にも人の手や目での確認や修正を経て、出来上がっている。しかも、紙という有限の空間にいかに収めるかということで、ネットでは考えられないような細かな手間暇が込められ、文章が練られて、出来上がっている。それゆえに、紙ならではの文章というのが確実にあると思うし、売れないなら、じゃあ、全部ネットでいいじゃんとは全然ぼくは思わない。なんとか紙媒体、紙の雑誌が、生き残っていってほしいと心から思う。紙媒体があるかないかで、今後、私たちが書く文章のあり方が変わってくる気がしている。

ただ、手間暇がかけられているゆえに、逆に、今回の『新潮45』のような唖然とする記事を掲載することの重みも大きいと思うし、だからこそ今回については、休刊やむなしとも言えるのかもしれない。

新潮社は、一緒に仕事をさせてもらっている編集者を見ても、また同社の本や歴史を見ても、本当に日本にとって大切な出版社だと思うし、自分もこれからも仕事をさせてもらいたいと思う出版社。なんとか、今回の件を乗り越えてまた信頼を取り戻し、復活してほしい。

自分も、上記のように『新潮45』で連載させてもらい、近々完成する予定のノンフィクション本を、納得いくものにして世に送り出したい。

引き続き全力でがんばります。

プロフェッショナル

中学時代に通い、学生時代には講師もしていた塾で、拙著『旅に出よう』(岩波ジュニア新書、先日9刷になりました)がテキストとして使われていたことを知りました(下リンク)。

変わる進学/「国語4技能」小中学生から
https://www.asahi.com/articles/CMTW1805281300007.html

塾はSAPIX。いまは代ゼミと合体して組織も状況も全く違いそうだし、また小学生と中学生ではいろいろと違うのだけれど、中学時代、出来て間もないこの塾に通えたのは、自分にとって大きな人生の転機だったと思うほどしっくりくるいい塾でした。

受験や塾の現在のあり方には違和感が多いけれど、自分は生徒としてはどっぷり受験に浸ってきた方です。あの時代はなんだったんだろうと思うときもあるし、でも一方で、よかったなと思うことも多々あります。

その中で、先の塾に出会わなければ勉強に対する興味も何も全然違っただろうなと思うぐらい、勉強の面白さを教えてもらった感謝の念があります。数学1問を、ヒントをもらいつつ3時間かけてでもとにかく自分で考え抜くという経験をこの塾でしたことで、その後物事を学ぶ上で自分自身にいろんな変化があったような。

いまは超大手となったこの塾も、自分が通っていたとき(91~92年)はまだ、ある塾から一部の先生たちが独立して作ったばかりのころ。2教室しかなく、教室も整ってないバタバタした借り住まいの中、手作り感満載の状況。

雪が降ったら途中雪合戦の時間も交えたりもし、でもやるときはみな集中して勉強する、すごく楽しい雰囲気だった。勉強ってスパルタ的にやる必要はない、楽しくやってもちゃんとできるようになるんだってこの時の先生たちが教えてくれました。

当時、この塾を率いていた一人である英語のN先生は、ものすごく熱く、志が高い人でした。たぶん、その熱さと不器用なほどの志の高さによって、前の塾から独立してきたのだと想像していたけれど、その後10年以上かけてこの塾が有名になり組織が大きくなって、どんどん変化していく中(学生時代にぼくがここで講師をしていたとき、すでに自分が中学生だったときとはだいぶ違う印象でした。組織が大きくなるとはそういうことなんだなと当時実感)、おそらく彼だけは信念を一切曲げなかった。

他の先生から言わせたらたぶん融通が利かない人ということになるのだろうけれど、そのころ、自分が30代になったころ、旅の途中で一時帰国した際に、何らかのきっかけでN先生と連絡を取り再会することになって会ってみたら、驚くほど当時と印象が変わらなくて、びっくりし、凄いなと感じました。熱くて、志が高いままで。

結局、再び、他の先生と折り合いがつかなくなって彼はまた独立して新しい塾を作り、大学受験の世界へ。そこは広告とかを見る限り、ぼくが当時知っていたSAPIXに近い印象で、なんだか懐かしい感じでした。

「プロフェッショナル」ということを考えるとき、このN先生はよく頭に思い浮かぶ一人です。30年間、おそらくずっと志を貫いている彼のすごさが、自分も仕事をするようになって実感できます。ただ「いい点を取れ、合格しろ」というのではなく、もっと大きな意味で、N先生はじめ、当時の先生たちには背中を押してもらったという気持ちが自分にはあります。

一般論として、いまの塾のあり方についてはいろいろと懐疑的だけれど、当時のあの塾であれば、また行きたいなと思います。