朝日新聞の言論サイト「Re:Ron」に寄稿しました。
「1%のリスク」と「99%のいい出会い」 旅で考えた警戒心と分断
分断が進み、信頼し合うことが難しくなりつつある今だからこそ、信頼し合うことの大切さと可能性について改めて考えたいと思い、書きました。<信頼こそが人を幸福にする>という事実は、心に留めておきたいと最近切に思います。
いま、不登校についてのエッセイを書いていて
ある雑誌が不登校の特集を組むとのことで、執筆を依頼され、長らく学校にあまりいかない次女について書いている。娘のことを書くのは久しぶりで、どう書こうか考えながら、昨夜から、以前(2013年春から約7年間)娘たちについて書いていた連載の記事を読み直している。思い出してちょっと泣けてしまったり、いまの娘の姿とつながりふと心があったまったり。自分の娘のことだからなのは間違いないけど、興味持ってもらえる人もいるかもと思って、ひとまず最終回だけ貼っておきます。連載していたウェブ媒体がなくなってしまい、いまはどこにも公開されていないので、それももったいないかなと。よろしければ読んでいただけたら嬉しいです。
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積水ハウスオウンドメディア「スムフムラボ」掲載の連載記事
《劇的進行中~”夫婦の家”から”家族の家”へ》
最終回 「書くこと」は「子どもと一緒に生きること」(2020年秋ごろ掲載)
この欄で3ヵ月に一度、成長する娘たちの姿と、父親としての自分自身について書き始めたのは、いまから7年前のことである。
それはちょうど、今年7歳になった次女が、生まれたばかりのころだった。この連載は、その当時から現在に至るまで、2人の娘がどう成長したかを季節ごとに振り返るきっかけをつくってくれる大切な仕事であり続けたが、それが、今回で最終回となることを告げられた。
読者の方から嬉しい感想をもらうことも時折あったし、振り返ると家族についての貴重な記録(あくまでも父親としての自分の視点からのものではあるが)にもなっていた。そして勝手にいつまでも続いていくような気持ちでもいたので、唐突に終わりがやってきたことを知り、驚き、残念に思った。ただその一方で、少しほっとした気持ちが沸いてきたのも確かだった。もしかすると、ちょうどいいころ合いなのかもしれないな、とも思ったのだ。
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長女は昨年10歳になった。今年で小学5年である。当然のことながらだんだんと自立した一人の人間らしさが増している。ほっとした、というのは、最近その長女について、自分がどこまで自由に書いていいのかという点で、だんだんと複雑な気持ちを持つようになっていたからだ。
以前にも少し触れたが、長女は、あまり自分のことを人にさらけ出したくないタイプに見える。人前に出て目立ったりすることを好まないし、自分が考えていることを人に知られたくないと思っていそうな節もある。そうであるとすれば、やはり娘のその気持ちは、尊重しなければと思っている。
ある程度の年齢までは、親の判断で子どもについて書いたり報告したりすることは、基本的には許されるだろう。それがいくつぐらいまでなのかは、はっきりとはわからないが、長女の様子を見る限り、小学校高学年ぐらいからは、その範疇を超えるのかもしれないなと感じている。
そんな思いから、父親として自分が勝手に書いていい娘たちの物語はそろそろ終盤に近づいているのかもしれないと最近思うようになっていた。この連載を始めたころの気持ちを思い出せば、そのような時期がもう訪れてしまったことに驚かされ、寂しくもあるけれど、でもそれゆえに、この連載を終えなければならないと聞いたとき、それはそれでよかったのかもしれないと感じたのだ。そして自分にとってはこの連載の終了が、これから娘たちが自分自身で歩いていく様子を遠くから見守るための、一つの節目になるのかもしれないな、と思っている。
7年間、子どもたちの幼少の時代をこのようなコラムに書き残せたのは、とても幸運なことだった。自分自身、娘たちの気持ちを想像しながら書き進めていく中で、少なからぬ発見があったし気づくことがあった。またいろんな方に読んでもらい、さまざまな感想をもらえたことも、自分の子どもとの向き合い方に影響した。つまりぼくは、3カ月ごとに子どもとの日々を振り返って文章化することで反省したり考えたりする機会を得ながら、子どもたちと生きてきたような気がするのだ。その日々を、読者の皆さんや関係者の方々に見守っていただけたことを、とてもありがたく思っている。そして今回、その最後の機会として、以下に娘たちの近況をお伝えして、連載を終えたい。
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小5の長女、そよは、背もだいぶ高くなり、妻と服を共有したりするようになっている。内面はまだまだ幼いけれど、容易に言うことをきかなくなっている様は、反抗期の到来が近いのを感じさせる。その姿に、ああ、これから大変な時期が来るのかな、と思うとともに、着実に成長しているんだなとも実感する。そんな彼女の姿を見て、なぜか時折、大人になった娘に助けられたり励まされたりする老いた自分を想像したりもしてしまうが、いや、その前に思春期の娘と対峙する、おそらく自分にとってはハードな時期がやってくる。まずはその時期を、ちょっと覚悟しながらも楽しみに待ちたいと思っている。
一方、次女のさらは、今春、小学校に入学した。この連載にも度々書いてきた通り、彼女は保育園に行けない時期が長くあった。その上、コロナ禍によって入学直後に長い休みに入ったということもあり、スムーズに小学校生活を始められるのかが心配だった。そしてその懸念通り、6月の学校再開直後の日々は、なかなか困難なものとなった。
行きたがらない日が続き、玄関で泣くのをなんとか学校まで連れていっても、校門の前で「中には入らへん!」と激しく抵抗したりする。ある日は、門の辺りまで迎えに来てくれた先生が「あとは任せてください」と、少し力を入れて彼女をぼくから引き離そうとすると、「むりやりはしない、っていうたやろ!」と、ものすごい力でぼくの体を叩きながら、必死な形相で泣き叫んだ。そんな娘に、無理やり先生に引き渡したり突然いなくなったりはしないという保育園時代からの約束は絶対に破らないからと改めて告げて、ぼくは彼女を教室まで連れていき、廊下から見守ったり、教室の端っこに座らせてもらって眺めたりした。
その日、さらは休み時間ごとにぽろぽろと涙をこぼしていた。また他の日には、半日ずっとそばにいないといけなかったこともあって、これからどうなるのだろう、とそのころは思った。しかし彼女は、何日か一進一退を繰り返すうちに、慣れていったようだった。学校が始まって3週間ほど経ったころには、すっと行ってくれるようになったのだ。短い夏休みを経て、8月後半から2学期が始まると、しばらくはまた、週に一回くらいのペースで教室までついていかないといけなかったが、それもまた落ち着いた。その後も毎日のように、学校に行きたくないとは言うものの、なんとかかんとか通っている。そしてすでに10月に入った。
このままスムーズに通い続けてくれたらいいな、と思う。でも、また行きたくないという時期が来るのも想像できるし、いずれそのような時期がやってきて本格的に行かないということになれば、その時はまた、さらの気持ちに向き合おうと思っている。いやむしろ、いまは平穏に過ごしているそよの方に、今後大変な時期がやってくるのかもしれない。ただいずれにしても、そんな時にはきっとまた、この連載に書いた文章を読み直し、どうするべきかを過去の自分に問うことになるような気がしている。
そして願わくばこの一連の文章が、自分自身にとってのみならず、誰かにとっても、何かのきっかけでふとしたときに読み返したいと思うものになっていれば嬉しく思う(各コラムは、今後もアーカイブとしてこのサイト上に残してもらえるそうなので…!<→数年前にサイトが閉鎖に:2025年1月追記>)。
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連載の初回に書いた、長女が生まれた日は、さすがに昨日のことのようではない。しかし、10年も前とも思えない。月並みだが、本当に子どもの成長は早く、一緒にいられる期間も決してもうそんなに長くはないと感じている。それは親としては寂しいことでもあるけれど、でもいずれ、娘たちが自分たちの保護下を離れて自らの道を歩き出す日が来たときには、2人がそれぞれ、安心して前に向かっていけるように、力強く背中を押してあげられる存在でありたいと思う。彼らがどんな道をたどるのかは、いまは全くわからない。そしてその、先が全く未知であるということの素晴らしさを、40代も半ばに入ったいま、心より感じている。
いつか娘たちがここに書いた文章を読むことがあるとしたら、彼女たちはいったい何を思うだろう。幼いころのことであるゆえに、彼女たちの記憶にもなく、「ああ、そういうことがあったのか」という感想だけで終わるのかもしれないが、もしかしたら彼女たちは、この一連の文章の中に、自分たち自身以上に、父親であるぼくの姿を見るような気もする。お父さんは自分に対してこんなことを感じていたのか、そうかあの時、こんなことを思いながら自分と接していたのか……、と。父親としてのささやかなエゴを書き記しておくとすれば、そのとき、「ああ、お父さんは、お父さんなりにいろいろ考えてくれてたんやな」などと、思ってもらえたら嬉しいな。
また最後にもう一点付け加えておきたいが、本連載では、妻については必要以上に書かないようにした。彼女もまた、あまり書かれることを望まないからだ。それゆえに、子育てに関してなんだか自分ばかりが色々やっているように読めてしまった部分もあるかもしれないが、当然のことながらそんなことは全くない。娘たちはいつも母親にべったりだし、この一連の文章で書いた風景の隣には、常に妻の姿があるということを念のために記しておきたい。妻がいつも娘たちを気にかけ、彼女たちにさまざまな指針を示してくれることをありがたく思う。
連載を読んでくださった皆様に、心より感謝申し上げます。長い間、ありがとうございました。それぞれの方にとって、わずかにでも記憶に残る言葉が書けたことを願いつつ。
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自分がどんな本を読んできたかについて、京都新聞で記事にしてもらいました
今朝(12月17日)の京都新聞に、これまで読んできた本について、広瀬一隆記者に取材してもらった記事が掲載されました。若い頃、本を読まずに来てしまったけど、大学以降に読み出して、以来出会ってきた本に改めて自分が動かされてきたなあと感じます。
記事の中で触れている本は、登場順に、立花隆『宇宙からの帰還』『脳死』『田中角栄研究全記録』、遠藤周作『深い河』、沢木耕太郎『深夜特急』『敗れざる者たち』、サイモン・シン『フェルマーの最終定理』、角幡唯介『空白の五マイル』。登場する作家は、上記以外には旅中に読む機会がちょくちょくあった作家として、清水一行、村上春樹、ポール・オースター。
立花隆さんは当時大学にいらしたこともあって身近で影響を受けたし、沢木耕太郎さんは記事にもある通り、旅に出る直前に電話をくださって、それが旅中に挫けそうになってもなんとか書き続けてこられた要因の一つでもあり、深い感謝。
また、旅中に安宿に置いてある本は傾向があって、当時(2000年代半ば頃)よくあって結構読んだのが、清水一行、渡辺淳一、村上春樹作品とかだった記憶。清水一行の経済小説はよくあって、当時けっこう読んだ。渡辺淳一も。ちなみにポール・オースターは、日本語の本に出会う機会も少なくなってたヨーロッパ滞在時に原著の『ティンブクトゥ』を確かポーランド古本屋で買って読んだ。当時は英語の本でも、読めるというだけでありがたかった。スマホなかったもんなあと当時の気持ちを思い出します。
村上作品は読んだ土地となんとなく記憶が結びついていて、『ノルウェーの森』は暑かったインドネシア・バリのカフェで、『ダンス・ダンス・ダンス』はマイナス10度くらいの真冬のキルギス・ビシュケクの宿でストーブの前で、訳書の『心臓を貫かれて』はユーラシア横断初期の北京近くの町の宿で、それぞれ読んだ記憶が蘇る。
本と人生の記憶は繋がっているなあと再確認させられました。ちなみに『吃音』を書いてからは重松清さんの作品にも強く影響を受けるように。その重松さんの作品は、一年暮らした中国・雲南省昆明で『流星ワゴン』を読んで心打たれたのを思い出します。
広瀬さん、ありがとうございました!
記事に掲載してもらった本棚の写真も追加しました。
シャワーの修理を頼んだら、やってきた業者がやばかった
10日ほど前の夜、浴室のシャワーが急に全く出なくなった。自力で直すのは無理そうだったので、夜中、ネットで見つけた24時間対応の業者に連絡した。すると翌日電話が来て、夕方、提携先だという大阪の会社から3人の男性がやってきた。
早速見てくれたところ、「本体交換が必要です。製品10万、工賃2万、税込で132000円になりますが、製品を発注していいですか」とのこと。そんなにするのかと思いつつも、他に選択肢はなさそうだったので、仕方なく発注をお願いした。しかし彼らが帰ったあと、「もっと安い業者があるんじゃない?」と妻。改めて調べてみると、同じメーカーの製品は、高くでも5万くらい。10万もする製品など見当たらない。
そこで、家の建築業者と繋がりのある他社に尋ねると、本体交換+工賃で4万円台でできるという。10万円することはないだろうとのこと。これは怪しいなと思い、家に来た業者の男性にすぐ電話して、半額以下で見つかったのでキャンセルしたい旨を伝えた。すると男性は言った。「火災保険入ってますか?入ってたら、転んでぶつかって壊れたことにすれば保険おりますんで」。いきなり詐欺の誘いとなり、だいぶやばい業者だったかもしれないと気が付いた。結局、新たに頼んだ修理屋さんに来てもらったら、本体交換の必要はなく、部品交換だけですみ、工賃込みで14000円ほどですっきり直った。
ネットで見つけた「最短5分で対応」「出張費・お見積 0円」を売りにしている”水道修理屋”に連絡してやってきた業者です(サイトは、水道修理で調べるとたぶんすぐに出てきます)。来たのは爽やかな人たちで、僕もうっかり騙されるところでした。その日も大阪から、滋賀、宇治を回ってうちに来たと言っていたので、なかなか繁盛してそうで、騙されている件数もきっと多いはず。どうぞご注意を!