前回紹介しましたが、先月、八木順一朗監督『実りゆく』を渋谷での試写会で観る機会をいただきました。
家族や夢をテーマにした、吃音のある青年が主人公の青春映画。想像以上に素晴らしい作品でした…!泣けて笑えて心に染みました。
監督は、この映画を作るにあたって、拙著に登場する吃音のある子のお母さんに会いに行き、そのお母さんの気持ちを念頭に映画を作ったとのことでした。
主人公とお母さんの関係が重要な役割を果たすこの映画で、ぼくは何度も、そのお母さんと息子さんのことを思い出して、たびたびこみ上げてしまいました。
吃音のある人にも、ない人にも広く観てもらいたいです。10月9日より、全国公開です。
また観たいです!
minoriyuku-movie.jp
吃音のある青年が主人公の映画『実りゆく』が10月に公開予定
10月に、吃音のある青年が主人公の映画『実りゆく』が公開になります。
https://minoriyuku-movie.jp/
(10月2日から長野県先行公開、10月9日より、新宿武蔵野館ほか、全国順次公開)
元々は2018年に、予告編だけを作って競う映画賞で作られた短編作品が高評価を得て、映画化が決まったものでした。2018年に作られた「予告編」がこちらです↓
タイトルは『実りゆく長野』
https://www.youtube.com/watch?v=GDXddnKL58s&t=3s
そして、完成した本篇に合わせて新たに作られた予告編が、上の公式サイトで今日公開になりました。
長野のリンゴ農家で育った吃音のある青年が芸人を目指すというストーリー。2018年の予告編を観て期待が高まり、さらに新しい予告編も観て、ますます楽しみになっています。
この映画、本編の制作にあたって八木順一朗監督が、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』を読み、あるお母さんと息子さんを描いた章に何かを感じていただき、実際に彼らに会いに行き、話を聞き、そこで感じたことを映画に込めてくださったとのことでした。映画も家族がテーマであり、そこに関わってくるそうです。
そんな経緯があって自分自身、前から完成を楽しみにしていたのでした。
実際に監督とお話したりしたところ、すごく丁寧な方で、きっと映画も丁寧に作られたいい作品だろうと想像しています。多くの方に観られてほしいです。
この映画を機に、また、吃音について色々と取り上げてもらえるきっかけになればと思っています。
予告編、是非観てみてください!
「文藝春秋」6月号「令和の開拓者たち」の連載で、妙心寺・退蔵院の絵師・村林 由貴さんについて書きました。
5月9日発売の「文藝春秋」6月号「令和の開拓者たち」の連載で、妙心寺・退蔵院の襖絵70面超を描く、絵師・村林 由貴さんについて書きました。
600年の歴史を持つ妙心寺退蔵院の本堂の襖絵を、若い描き手に、寺に住み込み禅を学びながら描いてもらうというこのプロジェクトが始まったのは、9年前の2011年、震災直後のことでした。ぼくが取材を始めたのも同年8月です。
その絵師に選ばれたのが当時24歳の村林由貴さんで、当初は3年の予定だったものの、始まってみたら到底3年で終わるものではなく、9年が経った今も継続しています。
プロジェクト開始当初から、彼女が、禅と絵と自分自身とに向き合いながら、禅の修行をし、絵の技術を磨いて一歩一歩前進していく様子をずっと見続けさせてもらってきました。その姿を『新潮45』や『芸術新潮』などに書かせてもらってきましたが、最後に彼女について書いたのはすでに7年前、2013年のことでした。
その後、彼女は大きな壁にぶつかって、深い苦悩の時期を経ました。しかし立ち上がり、彼女自身大きく変化を遂げて、現在に至り、いよいよ最終局面へと来ています。
彼女が背負っているものの大きさや、しかし描き続ける情熱は、並大抵のものではないことをこの9年間、感じてきました。自分には想像することしかできない部分も多いものの、その生き様には本当にすごい迫力と覚悟を感じ、自分自身とても大きな刺激をもらってきました。20代~30代の10年をかけて絵を仕上げようとしている彼女の姿を、自分は、文章を書くことで伝えるべく、自分なりに力を尽くし、プロジェクトのこれまでを書きました。9年間の出来事を語りつつ、かつ時間の流れを十分に感じてもらえるものにするという点で、自分的に心残りの部分もあるものの、いずれより長い形で、書けたらとも思っています。
禅とは何か、芸術とは何か。彼女が積み重ねてきた日々は、普遍性のある様々な世界を見せてくれると感じます。
是非広く村林さんとこのプロジェクトについて知ってもらえたら嬉しいです。
今日も彼女は、描き続けています。
冒頭の写真は、ともに村林さんを9年前から取材してきた吉田 亮人さん撮影。
『ペスト』と『コロナの時代の僕ら』
やはりのブックカバーチャレンジの流れでFBに書いた本の感想をこちらにも。
取り上げるのは、最近読んだ、いま話題の2冊です。
『ペスト』(カミュ)
『コロナの時代の僕ら』(パオロ・ジョルダーノ)
『ペスト』は、80年ほど前に書かれたカミュの代表作の一つで、ペストが流行って封鎖された町で生きる人々の様子を描いた、現代に通じる作品です。
が、正直、読むのに相当時間がかかってしまい、途中しんどかったです。。しかし読了後に「100分de名著」を見たら、そんな熱い人間関係と物語が展開していたのか!とびっくり(笑)。全然理解できていませんでした。文章が、なんだか読みづらくて、細部が頭に入ってこず。世界的名著と言われる作品なので、自分の読解力のせいなのかとも思いつつ、いや、翻訳が悪いのか、そもそもこういう文体なのか、とか悩む始末…。
ただ、封鎖されたアルジェリアの町で生きる人たちの様子が、現在の状況と驚くほど似てる部分があったりして、いまも昔も、人間の本質が変わらないのを感じ、読みながら不思議な気分になりました。
『コロナの時代の僕ら』は、若きイタリア人作家によるエッセイ集で、おそらく初めての世界的なコロナ文学的作品。本文を成す27篇の短いエッセイは、著者のちょっとした気づきを書き留めたといった感じの印象だったけれど、あとがきは、評判通り、とても美しく心に残るものでした。コロナ騒動が始まったあの時期に、自分が何を思いどう行動したかを、きっと読者一人ひとりに思い返させてくれるとともに、これからどう生きるべきかを考えさせてくれる文章だと思います。
『ペスト』では、主人公にとっての大切な人が、病気で、封鎖された町の外にいて、主人公と会うことができず連絡も取れないまま亡くなってしまうのですが、主人公はそのことを8日後(?)に知るという場面があります。
一方、『コロナの時代の僕ら』では、僕が読み終えたあとにそのことをツイートしたことをきっかけに、この本の訳者でイタリア在住の飯田亮介さんと、その10分後ぐらいにはやり取りをしていました。飯田さんの日本語訳が美しかったことに加え、彼がかつて中国の昆明に留学していたのを経歴を見て知り、奇遇だったので、つい連絡を取りたくなり…。
主人公が大切な人の死を知るのに8日間かかった『ペスト』の時代と、読後10分で異国にいる訳者とやり取りできる『コロナの時代の僕ら』の時代。そんな、人と人との距離感の違いが、各作品に描かれた時代に通じ、そしてそれぞれの時代の感染の広がり方にも通じるのだなあと、しみじみ感じたのでした。
興味あるかたは是非~。