自著をお送りするので、その代金+アルファを被災地支援に各自募金のお願い

チーム・パスカルの仲間である小説家・ライターの寒竹泉美さんが

<ZOOMで「インタビューライター入門講座」、受講料は被災地支援に各自募金(金額・寄付先はお任せ)>

ということをやっていて、とてもいいアイディアだなと、発想に共感しました。詳細を知って、能登半島地震の被災地への支援の輪が広がっていきそうな方法だなあと思いました。

そこで自分も、支援の輪を広げるために、何かそのような方法で被災地支援ができないかと考えました。自分の場合、すぐに講座をというのが現状なかなか簡単ではないため、思いついたのが自著を使って支援ができたら、ということでした。そこで、以下のいずれかの自著・共著を、ご希望の方にお送りします。その代金を自分に払ってもらう代わりに、ご自身でここぞと思える団体・組織に、本の代金+αを、被災地支援として寄付していただければ嬉しいです(金額はお任せします)。

また、支援の輪を広げたり、さまざまな寄付先の認知が広がるように、可能であれば、ご自身のSNSなどで寄付先を共有していただければ幸いです(その際に自著の宣伝みたいになってしまうのは本意ではないので、本のことは書いていただかなくて結構です)。

<対象の本>

『吃音 伝えられないもどかしさ』(単行本)1650円

『いたみを抱えた人の話を聞く』1870円

いずれか、ご希望の本をご指定の上、メール(ykon★wc4.so-net.ne.jp ★=@)や旧Twitter(@ykoncanberra)のDM、Instagram(kondo7888)のDMなどで、ご連絡ください。差し支えないお送り先を教えていただければ幸いです。

この2つの本を選んだのには自分なりに意図があります。

災害が起きて、避難所で生活をしたりする中で、いろんな人とその場でコミュニケーションを取らなければならなかったり、また電話をしなければならないとなったとき、吃音のある人には少なからぬ心理的負荷になりえます。普段とは違う状況下で、普段あまり関わりのない人に、何かを伝えたり尋ねたりしなければならないことは、かつて自分はとても苦手で、大きな心理的負荷がかかりました。結果として、尋ねることを断念して自分でなんとかする、ということもよくやりました(例:名前を言うということが難しかったため、自分の名前を言わないといけない場は必要であっても断念するとか、旅中、トイレの場所を聞くことができずに激しく我慢した、などなど)。

しかし緊急時はそうは言っていられないことも多いだろうと想像できます。その上、すぐに伝えなければならなかったり、即座に返答を求められたり、その場で名前を言わないといけないようなこともあるのではないかと思います。または、ご自身の生活のために必要なことを、話すことを回避するために断念してしまうということにもつながりかねません。そういう時に、相手が吃音のことを少しでも知っていてくれたら、気持ちが楽になり、話したり必要な行動を取ったりもしやすくなるし、また吃音当事者と向き合う人も、状況が理解できれば、不可解に思ったりせずに済むはずです。

『吃音 伝えられないもどかしさ』をお送りすると表明し、このページを読んでもらったりすることが、吃音当事者が被災地の現場でそうした問題を抱えている可能性があるということを意識してもらうきっかけになったら嬉しく思います。また、吃音以外でも、一見わかりにくい障害や問題を抱える方たちが、さまざまな困難を抱えている可能性を想像してもらうきっかけになったら幸いです。

また、『いたみを抱えた人の話を聞く』については、いま被災地に、想像を絶するいたみを抱えた人たちが数多くいらっしゃること、そしてそういう方たちの話を聞くということがこれからきっと重要になっていくということに、少しでも広く意識が向けられるきっかけになったらと思いました。この分野については、自分は専門的に語れる立場にないため、何も言うことはできませんが、共著者の緩和ケア医・岸本寛史さんの言葉はきっと、困難な状況下にある方たちの話を聞く上でのヒントになるように思います。

自分の貧弱な資金力では、どれだけの数のご希望に対応できるか現状わかりませんが、とりあえずご希望の方がいらっしゃったらお気軽にご連絡ください。

とても微力ですが、被災地支援の輪を広げることに少しでも役立てることを願っています。そして、被災地で困難な状況にあるみなさんの状況が一日でも早く改善されることを願っています。

『君たちはどう生きるか』と『心に太陽を持て』

年明け最初に読了した本は『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)になりました。

この本は、子どものころ全く本を読まなかった自分に、ある時(おそらく小学生のとき)祖母が「読んでみたら」と岩波文庫版を買ってきてくれたのをきっかけに読んだものでした。おそらく自分が初めて最後まで読み通した本だったように記憶しています。

先日、宮崎駿の映画『君たちはどう生きるか』を子どもたちとともに見にいったのをきっかけに久々に本書を読みたくなり、子どもたちも読むのではと思い買って、結局いまのところ自分だけが読んだ、という状況です。

90年近く前に書かれた本なので、さすがに現在と価値観の違いを感じる部分はあるものの、人としてどうあるべきかという根本の部分は全然変わらないなと思い、心打たれるものがありました。近年再びブームが来て読まれるようになったのもよくわかる作品でした。

ぼくはこの本を読んだのをきっかけに、この本と深く関係する山本有三の本をいくつか読み、その中の一つが『心に太陽を持て』という短編集でした。これもずっと心に残っている素敵な作品で、この本について少し前に、「こどもの本」という雑誌に以下のようなエッセイを書いたことがありました。こちらに転載しておきます。『君たちはどう生きるか』も『心に太陽を持て』も、ずっと読まれ続けるんだろうなあ。

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私は小学校時代、本を全く読まない子どもでした。そんな自分に、一緒に暮らしていた祖母がある日、「読んでみたら」と一冊の本を勧めてくれました。『君たちはどう生きるか』という本でした。その内容に心を動かされた私は、その作品と強いつながりがある本としてあとがきに紹介されていた一冊を、読んでみたいと思いました。それが、山本有三著『心に太陽を持て』でした。

この本は、子どものためのよい本を作りたいと願った著者が、今から八〇年以上も前に、世界の様々な逸話を集めてまとめたものです。何かを成し遂げた人の話もあれば、困難を抱えた人々にひたすら尽くした名もなき人の話もあります。どの話も、生きる上で大切なものは何かということを優しく真っ直ぐに伝えてくれます。努力すること、思いやりを持つこと、希望を捨てないこと、公正、正直であること……。

三〇年以上ぶりに読み返してみると、驚くほど、「あ、この話」と思い出すものが多くありました。幼少期に読んだこれらの話が自分の心のどこかにずっと残り、今の自分につながっているのかもしれないと感じました。

 今の時代にはもしかすると、メッセージがきれいすぎると感じる人もいるかもしれません。でも私は、子どものころに、理想に満ちた真っ直ぐな物語を読み、それを心の中に留めておくのは大切なことだと思っています。そのような物語は、誰にとっても、複雑な現実の中を生きていく上での心の支えや人生の指針になりうると思うからです。

 この本は、多くの人の心の中にそのような形で生き続けている気がします。久々に読み直してそう感じました。そして自分にとってはこの本こそが、タイトルにある「太陽」の一つだったのかもしれないと思い、ふと胸が熱くなりました。

(「こどもの本」2020年4月号)

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『吃音 伝えられないもどかしさ』の単行本をこちらからも販売します

『吃音 伝えられないもどかしさ』文庫版の「品切れ重版未定」について、このブログやSNSでお伝えしたところ(そのブログ記事はこちらです)、たくさんの方にご連絡をいただきました。気にかけてもらって嬉しかったです。ありがとうございました。いろいろなありがたいお声がけにも感謝です。とても励まされました。

そうした中、これからは単行本をもっと広く読んでもらうべく、単行本をほしいと思ってくださる方には、自分でも販売していくことにしました。

もしほしいという方がいらっしゃったら、『吃音 伝えられないもどかしさ』の単行本を、僕から直接、少し安くでお送りします。税込&送料込で1500円で大丈夫です(参考まで、定価は税込1650円)。ご希望であれば喜んでサインもします(…と、自分で書くのは気恥ずかしいですが^^;)。 

ご希望の方がいらしたら、メール(ykon★wc4.so-net.ne.jp ★=@)や旧Twitter(@ykoncanberra)のDM、Instagram(kondo7888)のDMなどで、ご連絡ください。詳細をご連絡します。また、お送り先を伺わなければなりませんが、差し支えない宛先を教えていただければ幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします!

重松清さんによる書評もぜひ。

<頁をめくるごとに、つらかった記憶や悔しかった記憶、言葉がうまく出ないもどかしさに地団駄を踏んだ記憶がよみがえって、何度も泣いた。いい歳をして子どものように――子どもの頃の自分のために、涙をぽろぽろ流した。>

https://www.bookbang.jp/review/article/563177

とても残念なことながら、『吃音 伝えられないもどかしさ』の文庫版が――

自分としてかなりショックなことながら、『吃音 伝えられないもどかしさ』の文庫版が「品切れ重版未定」となってしまいました。事実上の絶版のような形です。

まだ3年も経っていないので、いまそんなことになるとは全く想像していなく、知った時には愕然としました。また、正直拙著の中でも、『吃音』に限ってはまさかそういうことはないだろうと思っていたのですが、皮肉なことに、自分の著書の中でこの本だけがそのような事態に陥ってしまいました。無念です。

さすがにもう少し粘ってほしかったし、他の方法はなかったものかとも思ってしまいますが、思うように売れてなかったということであり、商業出版であれば仕方なく、現実を受け入れるしかないのだろうとも思います。

数日間だいぶ沈みましたが、単行本の方はまだ生きています。今後は、これを生き延びさせるべく尽力しなければと、いまできることを考えています。

そんな状況のため、『吃音』の文庫版は、今後あらたに書店に補充されることはありません。

単行本も、決して安穏と構えていられる状態でもないようです。もし、本書にご興味を思ってくださる方がいたら、よろしければ単行本の購入を検討いただければ幸いです。

…と、なりふり構わない感じになって恐縮ですが、この本は、まだまだ果たすべき役割があるように思っています。興味ありそうな方などいらっしゃいましたら、紹介していただけたりしたら嬉しいです。

『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

重松清さんによる本当にありがたい書評も、改めてこちらに。よろしければ…!

<頁をめくるごとに、つらかった記憶や悔しかった記憶、言葉がうまく出ないもどかしさに地団駄を踏んだ記憶がよみがえって、何度も泣いた。いい歳をして子どものように――子どもの頃の自分のために、涙をぽろぽろ流した。>

https://www.bookbang.jp/review/article/563177