ルート66を「ヴェガス」へ (2014年12月執筆の紀行文です)

(2014年12月にウェブ連載のために書いたものの、諸事情より掲載できなかったアメリカのルート66を巡る紀行文です。とても気に入っている文章ながらお蔵入りしたままだったのでこちらに再掲します。前編、後編と以下に続きます)

 
(前編) 

先月末(=2014年11月末)、海外紀行文の連載の仕事でアメリカ西海岸に行きました。アメリカ大陸は「遊牧夫婦」の旅では行くことができてなく、ぼくにとっては大学1年のとき以来、18年ぶりとなりました。
 今回の一番の目的地はロサンゼルスでしたが、より広大なアメリカを体感するため、車を借りてロサンゼルスの外へも行くことにしました。目指したのはラスベガスです。
 ロサンゼルスからラスベガスへ向かう道は、いわゆる「ルート66」と一部重なります。ルート66は、アメリカ西部の開拓のために1926年に開通した、シカゴ(五大湖の畔、アメリカ中北部の大都市)とサンタモニカ(ロサンゼルス郊外)を結ぶ道路です。すでにその多くの部分は他の大きな道に取って代わられ、その役割を終えていますが、アメリカを語る上で外すことができないこの道を走るのはひとつの憧れでもありました。
 ここを走れば、アメリカを感じられるのではないか。そう思い、撮影を担当してくれている写真家の吉田亮人さんとぼくは、ロサンゼルスからラスベガスへ向けて、NISSANの白い車で走り出したのです――。
                                                             *

  ロサンゼルスを出て5時間ほど経っても、ぼくらはまだロス市内から1時間程度のところにいた。ロス郊外で入ったガソリンスタンドで、キーを中に残したままドアをロックしてしまい、4、5時間立ち往生してしまったからだ。ガソリンスタンドの人たちに助けてもらって道具を借りて自力で開けようとするもかなわない。仕方なくレンタカー会社に電話して救援を呼んでもらうことにしたけれど、それもなかなか来なかった。ようやく問題を解決できたのは夕方6時ごろになってからのことだった。

このまま5時間ほどガソリンスタンドで待つことに

このまま5時間ほどガソリンスタンドで待つことに

 「今日はもうラスベガスまでは無理そうだなあ……」
 そう言いながらも、すでに真っ暗になった中、とりあえず少しでもラスベガスに近づこうとぼくらは再び走り出した。日本の高速に当たるフリーウェイは、片道5,6車線で頻繁に合流と分岐を繰り返す。オレンジ色の灯りの中、他の無数の車とともにひたすら走った。右側走行の運転にはすでにぼくも吉田さんも慣れていた。
 ルート66にはどうやったら入れるのだろう。不覚にもほとんど何も調べていないままだったので、フリーウェイからどうやってルート66を見つけられるのかがわからなかった。ルート66に行くためにはどこかでフリーウェイを降りなければならないはずだが、どこを出ればいいのか検討もつかない。しかも周囲は深い暗闇に包まれていて、どんなところを走っているのかもわからない。
 「これは見つかりっこないな……」
 何度かそう口にし、あきらめるしかないかとぼくは思った。もうこのままフリーウェイを突っ走ってラスベガスに向かうことになるのかもしれないなと。しかし、あるとき、前方に茶色の小さな看板が見えてきた。そこにこう書いてあった。
“Historical Route 66 Next Exit” 
―歴史的なルート66へは、次の出口―
 「サインがあったよ。ここだ、きっと」
 そのサイン以外には何もわからないまま車線を急いで右に移してフリーウェイを降りた。そしてその下の道を走ってみる。しばらくいくと、ここが確かにルート66であることを示す石柱みたいなのものが中央分離帯に立っていた。
 おお、これでいいんだ、と盛り上がる。これを走っていけばきっとそれらしい風景になるのだろう。いつ、果てしない荒野が見えてくるのだろうか。二人でそれを期待ながら走り続けた。
 しかし、行けども行けども風景はこれまで見てきたロス付近の国道沿いと変わらない。ファーストフード店などが道の両脇にただ無秩序に並ぶ、大雑把で投げやりな風景がただ続くだけだった。
「ルート66っていっても、いまはやっぱりこんな感じなのかな……」。
 もうそろそろ、フリーウェイに戻ったほうがいいのだろうか。きっとこのまま進んでも何もないのだろう。カーナビを見ると、このまま東にルート66を進んでいくと、北東にあるラスベガスへ通じるフリーウェイからは離れるばかりのように見えた。そして、21時ぐらいになってからだろうか、通りがかった「バーガーキング」に寄って夕食としたあと、ぼくらはフリーウェイに戻ることにした。
 もうあきらめるしかないのか、とも思った。しかしそれからしばらくフリーウェイを走ると、再び茶色い小さな看板が見えてきた。
“Historical Route 66 Old Town Victorville”
 「オールドタウン」とある。おそらくここを降りたらルート66沿いのVictorvilleという古い町に出るに違いなかった。これだと思い、出口を降りた。そして交差点に出ると、こここそが自分たちの来たかった場所であることがすぐにわかった。
 道路の端にはゴツゴツした岩肌が遠くまで広がっているのが、暗闇の中でもよく見えた。使われてなさそうな建物が複数あり、トレーラーを家のようにしたひと気のないトレーラーハウスもいくつもあった。建物には、ときどき、Route66の文字が見える。空気は常に砂埃で白濁しているかのようでもある。場末感にあふれ、いかにもアメリカ映画の舞台のようなその光景に、吉田さんが言った。
 「おお、まさにこれですよ!映画で見ていたぼくのアメリカの雰囲気って!」
 ぼくらはついに、ルート66の旧跡の町の一つに着いたのだ。
 人の気配のほとんどない中、オレンジ色の街灯だけが闇を静かに照らし出す。ガソリンスタンドなどといくつかの店だけが開いているだけで、人々がどうやって暮らしているのか、ぱっとはわかりにくい光景だった。
 とにかく今日は休もうと、宿を探して適当に大きな道を走ってみた。すると一軒のモーテルが見つかった。こぎれいだったがアメリカらしい寂しげな雰囲気。”VACANCY” (空室あり)という赤い電飾文字が寂しげに光っていた。
 駐車場に車を泊めてレセプションを見ると、アジア系の老婦人が遠い目をしてじっとこちらを見つめている。どこかうつろで不思議な視線だった。その女性の脇を通り、静かに「ハイ」と挨拶をしてレセプションの中に入ると、ヒスパニック系の夫婦が迎えてくれて無事に部屋を確保できた。
 書類にサインをしていると、隣では先のアジア系の女性が、外にいる夫らしい西洋人男性に向かって怒鳴っている。するとあるとき驚いたことに、女性はにわかに日本語で声を荒げた。その声にぼくは思わず振り返った。どうしてこんな場所に、70代ぐらいの日本人らしき女性がいるのだろうか。そしてぼくはつい、「日本の方ですか?」と聞いてしまった。すると彼女は、不快そうな顔つきで眉間にしわをよせてぼくを見ながら日本語でこう言った。
 「え?何?あなたがお迎えに来てくれた方?」
 ぼくはその意味が理解できなかった。ぼくを誰かと勘違いしているのかもしれない。その上彼女は、ぼくが日本人であることには一切興味はなさそうだった。いずれにしても、話しかけるべき状況でなかったことは確かだった。「いや、すみません、違います」と言い、それだけで会話を終え、ぼくらはレセプションを後にした。
 車から荷物を出し、2階の部屋に運びながら、その日系の女性とアメリカ人男性が駐車場で「うるさい!」「FUCK!」と両言語で罵り合う声が聞こえてくる。周囲は暗くてはっきりとは見えないものの、ゴーストタウンのように荒涼として真っ暗な景色の中に、昔ながらの電飾の文字がいくつも浮かんでいる。そのすべてが、この町の寂寥感を色濃く感じさせるのだった。
 ロサンゼルスとはまったく違う世界がここにはあった。アメリカ西部がまだ未開の地であったころとおそらく同じ景色が、そのままここには残っていた。
 来るべき場所にたどり着いた。そう思い、部屋のドアを開けて、ソファに荷物を投げ出した。赤いベッドカバーがかかったこぎれいなベッドの上には木の台が置かれ、その上に聖書が開かれている。その聖書を手にとって薄い紙の感触を手に感じたのち、ぼくは身体をベッドに横たえた。テレビをつけると、アメリカンアイドルというのだろうか、オーディション番組がにぎやかな音を立てている。
 広い荒野の中にいま自分はいる。そのことがうれしかった。明日の朝、外にはどんな景色が見えるのだろうか。いろいろな想像を膨らませながら、ぼくはテレビをしばらく眺めた。
 長い一日がようやく終わりを告げたのだった。

Victorvilleの大通りにはこんなゲートも

Victorvilleの大通りにはこんなゲートも

(後編)

VictorvilleにはRoute66 Museumも

VictorvilleにはRoute66 Museumも

 寝たのは2時ごろだったが、翌朝6時半ごろには眼が覚めた。寒くて起きてしまったのだ。若干体調が悪いような気もして、風邪をひいてしまったかなと思いながらベッドの中でうとうとしていると、外から「ボー!ボー!ボー―!」「ダダンダダン、ダダンダダン」という音が、長く、細く、聞こえてくる。
 そばを列車が走っているのだ。とても長い貨物列車のようだった。音がいつまでも途切れない。その音を聞きながら、昨日は真っ暗で見ることができなかった外の風景を想像し、またしばらくベッドの中で寝たり起きたりを繰り返した。そしてそれから1時間ほどもしていよいよ起き上がったあと、部屋のドアを開けてみた。
 ドアを開けるとすぐ外で、目の前には大きな駐車場がある。その向こうに、ヤシの木が並ぶ大通り。そして通りの逆側には、雲一つない青空の下、黄土色や薄茶色のザラザラした表面を持つ山が延々と連なっていた。映画『パリ・テキサス』や小説『オン・ザ・ロード』の世界としてイメージしていた荒涼としたアメリカそのものの風景を前に、ぼくは思わずため息が出た。
 「こういうのを見たかったんだ」
 そう思いながらじっと眺めていると、また列車の音が聞こえてくる。「ボー!ボー!ダダンダダン、ダダンダダン……」。その音はそのまましばらく響き続けた。

 準備をして部屋を出て、吉田さんとともに車に乗り込んだ。町のメインストリートらしき道沿いにある駅らしき建物に入ってみると、すぐ向こうには線路が通っている。何人か立っている人がいるので、見ると、そこはグレイハウンドという長距離バスの乗り場だった。グレイハウンドもまた、アメリカを語るときに欠かせない、長距離の旅の代表的な交通手段だ。
 建物の前を歩いていると、カメラを持っているぼくらを見て、40代ぐらいの中肉中背の男性が、おちゃらけたポーズで近寄ってきた。着古した黒いロック系のスウェットとカーゴパンツ、そしてキャップ。ラフな格好のその男は、片手を顔の横に上げて、「撮ってくれよ」と笑いながら言った。グレイハウンドを待っているらしいので、どこに行くのかと聞くと、彼は低くつぶれた声でこう答えた。
 「ヴェガスだよ」
 ヴェガス――。強い響きが突き刺さった。砂漠の町からグレイハウンドで「ヴェガス」を目指す。それは典型的な小説の世界のようにぼくには聞こえた。
 きっと地元の人間が何らかの用事があってラスベガスに行くのだろう。そう思い、ぼくは率直に、この町を見て感じた感動を伝えた。
 「この町にはとても雰囲気があるよね。すごいアメリカっぽいなって感じてるよ」
すると彼は、顔をしかめて苦笑しながらこう言った。
 「おい、本気かよ?この町はおわってるじゃねえか」
そして、続けた。
 「まったくひどい町だ。やることなんて何もねえよ。おれはもともとヴェガスの人間だ。仕事をしにこの町に来て1年住んだけど、暇で仕方なくて、もういやなんだ。だから今日、ヴェガスに戻るんだ。ここにはもういたくねえよ」
 何をしている人なのかと聞くと、彼は、いや、何ってことはないんだ、と口ごもった。そしてこう続けた。背中を怪我してからは社会保障をもらって暮らしてるんだ。ヴェガスで何をするかなんて決まってないし、これから先のことなんてわからない、と。
 ただとにかく、おれはこの町から出たい。ヴェガスに帰りたいんだ。そんな気持ちが一言ひとことに込められていた。
 退屈な小さな町を離れ、新たな生活を求めてグレイハウンドで都市を目指す。これまで何人ものアメリカ人が同じ理由でこの町を離れたに違いない。40号線が開通し、このあたりのルート66が役目を終えたあとVictorvilleは荒涼としていったのだろう。ラスベガスは、産業のなかったネバダ州の政策によって生まれた町だ。1929年からアメリカを襲った大恐慌のとき、税収を増やすために賭博を合法化してことによって一気に成長していった。何もない砂漠の中で、巨額の金と人の欲望を吸い上げることで肥大化していったこの巨大な人工世界は、きっと、その周りの荒涼とした小さな町のアメリカ人たちの夢を託される存在でもあったのだろう。
 彼の話を聞きながら、ぼくはふと、その2日前にロサンゼルスのヴェニスビーチの桟橋で出会った一人の釣り人のことを思い出した。
 それはちょうど日が沈む夕方の時間のことだった。桟橋の向こうに広がる海は、夕日がとても幻想的な風景を作り上げていた。空から水平線に向かって、青から赤の繊細なグラデーションが真っ黒な水面を覆い、その上には、全体の輪郭をうっすら残す三日月が、白く静かに輝いている。
 その月の光に導かれるように桟橋を海の方へと歩いていくと、その一番突端に、グレーの髪の毛のヒスパニック系の男性がいた。ふと気になり、釣竿をセットする彼の隣に立って桟橋のふちにもたれながら話しかけた。
 「釣れる?」
 すると「いや、いまはじめたところなんだ」と、作業をしながら陽気に答えてくれた。そして彼がえさの準備をするのを見ながら、さらにいろんな話を聞いていった。
 週2回はここにきて釣りをしているんだ。サバがたくさん釣れる、でも釣っても誰かにあげるかまた海に戻すよ。楽しみのためにやっているだけだから。ヒラメだけは持ちかえってバターで焼いて食べるけどな。本当にうまいんだ。釣竿を海に投げて、その様子を見ながらビール2本を数時間かけてゆっくり飲む。それがいまの自分の楽しみなんだ。ビールがなくなったら帰る。それだけだよ。
 LA育ちの53歳。すでに退職して仕事はしていないという。もとはトラックの運転手だったが、2000年に怪我をして車が運転できなくなったので、いまは社会保障で暮らしてる。運転で事故に遭ったのかと聞くと、そうじゃないと彼はいった。
 「刺されたんだ。強盗に襲われてよ。それでおれは運転ができなくなってしまったんだ」
 そういって、シャツをまくり上げて、わき腹の傷あとを見せてくれた。胸の下の前から後ろにかけて、横に10センチ以上の太い線がくっきりと刻まれていた。
 あの日で、おれの人生は変わった。でも、そんなことはもう昔の話だよ。人生はそんなもんさ。でもいまが楽しいから、それでいいんだ。楽しそうに釣りをする彼の表情は、そういっているようにもぼくには見えた。
 物価の高いロスでの生活は大変じゃないのか、と聞くと、彼は言った。ロサンゼルスは安く暮らしていける方法がいろいろある。だから大丈夫なんだ、と。
 「おれはこの町が好きだよ。ずっとこの町で育ったんだから当然だよ」
そしてそれからしばらくあれこれ話したあとのこと。ふと彼は「ヴェガス」という言葉を口にした。
 「来月はヴェガスに行くよ。娘と孫たちが住んでるからさ。そのために、今週からひとつ新しい仕事を始めることになってるんだ。クリスマスまでは仕事がいっぱいある。そしてクリスマスは家族でヴェガスで過ごすんだ……」
 その言葉を聞いて、ぼくは思わずこう言った。「明日からラスベガスに行く予定なんです」。そう言うと、それまで真っ暗な海に向かって作業をしながら話していた彼が、驚いた顔をしてこちらを向いた。
 「明日、ヴェガスに行くのか?本当か?そうなのか……」
 その少し寂しげな声に、いますぐにでもおれも行きたい、でも行けない……そんな気持ちが読み取れた。

ヴェニスビーチの夕日と桟橋

ヴェニスビーチの夕日と桟橋

 Victorvilleでグレイハウンドを待つ男性と話しながら、ぼくはこの釣り人のことを思い出した。彼がいまにでも行きたがっていたラスベガスに、自分たちは今日つくのだ、と。
 10分ほどするとグレイハウンドがやってきた。青く大きなバスには大勢が乗っていて、すぐそばを通る線路上には、列車が、100個以上はあるだろうコンテナを引いて、ダダンダダン、ダダンダダン、ダダンダダン……といつまでも音を立てながら通り過ぎていった。その光景を目に焼き付けて、ぼくらもこの町を後にした。
 
 ラスベガスへの道は、ますます砂漠の中のようになっていく。砂地の上に強靭な灌木だけが連綿と生え、遠くには木の一本も見えない茶色い山が連なっている。ときどき遠くには、長い列車が見えてくる。あれはさっきVictorvilleで眺めていた列車かもしれない。そう思いながら、茶色い山陰に消えてくるその長い車列の姿を見送った。
 荒涼とした風景の中を走り続けていくほどに、ほとんどの生物が生きていくことはできないだろうこの厳しい環境の中に、滑らかに舗装された真っ直ぐな道がずっと続いていることがとても不思議に思えてきた。19世紀、ゴールドラッシュのころに東部から西部を目指した人たちは、おそらく何も道らしきものもないところを、きっと何週間も何ヶ月もかけて移動してきたのだろう。1920年代にルート66が開通してアメリカの東西が「道路」で結ばれたことがどうしてそれほど衝撃的な出来事だったのか、ルート66がアメリカにとってどうしてそれほど重要なのか、この荒野の中を走るほどにわかるような気がしてくる。
 前方をずっと眺めていると、真っ青だった空は、日が沈むとともに不思議な色に染まってきた。地平線沿いに、きれいに虹のような色の層が見えてきたのだ。空から地面に向かって青、黄、赤、紫、そして緑。緑色は空なのか、それとも向こうに草原が広がるのか一瞬わからなくなるほどだった。でもそれは、確かに空の色だった。茶色しかない陸地の上に、自然が豊かな色を輝かせていた。
 「こんな風景、これまで見たことない気がします……」
 吉田さんは何度もそう言い、ぼくもまた、同じことを繰り返した。

虹色に染まった夕焼けの空

虹色に染まった夕焼けの空

 その夕日の色に驚いてから数十分もしたとき、ネバダ州へと州境を越え、徐々に巨大な人工世界が近づいてくることが感じられた。車が増え、大きな建造物がポツポツと増えていく。そろそろかな、と考えていると、砂漠の中の地平線上の遠い向こうに、無数の白い光が見えてきた。
 気がつくと目の前は赤いテールランプに満ちていて自分たちも渋滞の中にいた。そして、空が青から深い濃紺に変わったころ、ぼくらは煌びやかなネオンライトの中にいた。
 ついに、ラスベガスに着いたのだ。
 それはまるでオアシスだった。いや、砂漠の中に作られたこの巨大都市は、この地の人々にとってオアシス以外の何物でもないだろう。
 Victorvilleの男性も、いまごろここにいるのかもしれない。あの釣り人は、今日もあの桟橋で、ときどきラスベガスのことを思いながらビールを飲んでいるのかもしれない。
 毒々しいまでのネオンに彩られたヴェガスの町を歩きながら、もう二度と会うことはないだろうあの二人の日々を想像した。そして考えた。自分にとっても、この欲望渦巻く巨大都市はオアシスとなるのだろうかと。
 

 (終わり)