『遊牧夫婦 はじまりの日々』(角川文庫) プロローグ全文

発売からだいぶ時間が経つ拙著『遊牧夫婦』シリーズですが、興味持ってくださる人が少しでも増えたら嬉しいなあ……といまもよく思っています。 特に最近、毎日TBSラジオ《朗読・斎藤工 「深夜特急 オン・ザ・ロード」》を聞いていて、紀行文の魅力を改めて感じていて、そんな思いが高まっています。沢木耕太郎さんの『深夜特急』と並べて考えるのは恐れ多いものの、ふと思い立ち、『遊牧夫婦 はじまりの日々』(角川文庫、2017年刊)のプロローグ全文をアップしてみることにしました(本には未掲載の写真も載せました)。もし興味持っていただけたら、本も手に取ってもらえたら嬉しいです…!

0 プロローグ

IF YOU ARE A PASSENGER DON’T BE A PROBLEM

――客は客らしく、静かにしていろ

DON’T BE A BOSS EVERYWHERE

――いつも自分がボスだとは思うな

二〇〇八年九月、ボツワナ。アフリカ大陸南部のこの国で、ぼくと妻のモトコはその貼り紙の真後ろの席に座りながら、北接するザンビアとの国境そばの町を目指していた。

この貼り紙が本気なのか冗談なのかはわからないが、無理やり押し込まれて二〇人ぐらいになった乗客はみな静かに座っている。

その中で、目立つ声で話しているのはバスの集金係の男ひとり。「おれがボスだ!」とアピールしたいのか、誰も聞いていないのにとにかくぶつぶつよくしゃべる。色は極めて黒いながらも、ダウンタウンの松ちゃんによく似ていた。その黒い松ちゃんが、外を見ながらふとぼくにこう言うのだ。

「ゾウが通るから、外を見てみろ」

地平線までまっすぐな道の左右には、黄土色と緑が混じり、乾燥して硬そうな茂みが延々と続いている。松ちゃんの示す通り、その前方に目をやると、たしかに茂みの中からゾウがゆっくりと道路へと歩き出てくる。着古した安いレザージャケットのような、深くて大きなしわが入った体をゆっくりと動かしながら、ゾウは、穴のたくさん開いたアスファルトの道路に足を踏み入れた。

しかしここでは、ゾウの存在は野良犬とも大差はない。ゾウが道を横切るのを待っている間も、乗客たちは「おお、なんと、あれはゾウだよ!」といった反応は一切見せない。松ちゃんに怒られないよう、ただぼんやりとその風景を眺めているだけである。ぼくたちも、その空気に飲まれたのか、野生のゾウが目の前にいるという興奮はすぐに冷め、ゾウが道を横切り終えるころには、早く出発したいな、とばかり考えているような始末であった。そんな自分に、「ほんとに疲れてしまったな」と感じてしまう。

二〇〇三年に日本を出てから、すでに五年を超えていた。

四年前、東南アジアを北上していたときは、バスの長旅をそれほど苦痛には感じなかった。出会うもの、起きることすべてに興奮していたからだ。しかしこの日、ザンビアとの国境に向かってボツワナの大地を駆け抜けるこのミニバスでは、たった三、四時間でかなり疲労してしまっていた。

乗ってから約七時間。終点の小さな町カサネでバスが止まった。やっと着いた、と体をほぐしながらバスを降りる。よいしょっとバックパックを担いで、さて宿探しか、と思うか思わないかのとき、モトコが叫んだ。

「バックパックがない!」

まさか、と思ったが、後部の荷物置き場のどこにもない。本当に影も形もなくなっていた。

ぼくもモトコも、それぞれ大小のバックパックをひとつずつ持って旅をしていた。小はデイパックほどのサイズで、大は、後ろから見たら腰から頭の下半分ぐらいまでがまるまる隠れるほどの大きさである。

この満員のミニバスには、二つの大きなバックパックを自分たちの座席の前に置いておくスペースはなく、モトコの大バックパックはミニバスの後ろに詰め込まれた。何年にわたって旅していても、バックパックが丸ごとなくなるという経験はなかったものの、荷物を預けるときはいつも少し気になった。知らぬ間になくなってしまうのではないだろうか、と。実際なくなって全装備を失った友人も何人かいる。だが、ぼくらの場合、いつもあった。

それがこの日、本当になくなっていたのだ。

荷物の積み降ろしも行う松ちゃんに聞いても、なぜないのかわからないと言う。モトコは凄んだ。

「荷物管理するのは、あんたの責任でしょう!」

でも、ない。バスの周りを何度見ても、やはりない。だが、必死に探すモトコに、一人の女性が声をかけた。

「あなたの荷物らしきものが、さっき国境で降ろされていたわよ」

それにちがいなかった。

このバスは、ボツワナ中部の都市フランシスタウンからまっすぐ北に進み、北隣のザンビアとの国境に寄ったのち、国境から七、八キロほどのカサネで終点、ということだった。この日ぼくらはカサネに泊まるつもりだったため、終点まで来ていたのだ。

国境で間違えて降ろされてそのまま置き去りになったのか、それとも誰かが意図的に降ろしてそのまま持っていったのか。いずれにしても、すぐに国境まで戻らなければならないことは確かだった。運転手と松ちゃんに言って、すべての乗客が降りてがらんとしたそのミニバスを、すぐ国境に向けて走らせてもらった。運転手も松ちゃんも協力的に動いてくれた。しかしモトコは、荷物に目を配っておくべき松ちゃんがなんだか他人事風であることに苛立ちを隠せず、松ちゃんには厳しく当たっていた。

おんぼろのミニバスはぼくら以外の客を降ろして軽くなり、ぶるるると軽快な音を立てて、バスターミナルから国境に向かって再び走り出した。

道路のそばには川が走り、そこにはカバやワニ、ゾウが数多く暮らしている。動物の姿は、道路を疾走するミニバスからは見ることはできない。それでも、アスファルトの脇から広がる赤土の大地に生える緑の木々の奥に巨大な動物たちがいると思うと、自分たちもこの動物界の一員なんだと自然に感じられるようになる。そんな貴重な環境の横で、しかし頭の中は、どうやってバックパックを見つけるか、そればかり考えていた。

国境に着き、バスを降りた。バックパックはどこにもなかった。松ちゃんと三人で、すぐに出国審査場に走り、松ちゃんが事情を説明すると、スタンプを押さずに通してもらえた。ナイス交渉力だ、松ちゃん! と思わせてくれる働きをした後、彼は言った。

「ザンビアとの国境は川なんだ。渡るためには船に乗らなければならない。荷物を盗ったやつも、その船をまだこっち側で待っている可能性がある。急ごう」

 走った。久々に走った。

松ちゃんはアフリカ育ちのわりにだらしがないというか、すぐに息を切らしている。彼がきつそうなので、ぼくがきついのも当然だ。でも、だからといってスピードは落とせず、そのまま猛ダッシュを続けると、数十秒で足にきた。肺にきた。

ボツワナ・ザンビア国境。写真は文章の出来事の2日後

船着場へつながる国境内の道には大きなトラックが縦に何台も並んでいる。その横を、肺からヒューヒュー妙な音を立て、地面に砂埃をあげながら走り抜けると、視界が開け、正面には幅の広い川が見えた。グレイに濁った水が、自然の美しさよりも生命力を感じさせる。この中にワニがいて、カバがいるのだ。向こう岸には鬱蒼とした緑の木々に包まれたザンビアの大地も見えた。

まもなく船がこちらの岸に着こうとしているときだった。まだ人はこちら側で待っている。女性は荷物を頭に乗せ、背中に子どもをおんぶして、両手には大きなビニール袋の荷物などを持って立っている。そのそばで男たちは手ぶらで座って、がはははーと談笑する。凄まじい男社会だ。が、そんな考察をしている暇はない。

ボツワナ・ザンビア国境。写真は文章の出来事の2日後

船がいよいよ岸に近づき、船に向かって歩き出す人もポツポツと出てきた。でもまだ誰も船に乗りこんではいない。間に合うかもしれない。そう願いつつ、モトコの大きなバックパックがどこかにないかと探しながら船に近づいた。

人が順番に乗り出した。みなに乗船されて船が出てしまえば、おしまいだ。もう数分しか時間がない。焦りながら、とりあえずぼくたちも船に乗り込んだ。

いくつもの美しく光る黒い肌の間を搔き分けるようにして船の中へと入ろうとしたときのことだった。ふと視線を手前に落とすと、目の前にモトコのバックパックが見えたのだ。小柄な黒人の男が、両手に大きな布団を抱え、背中にモトコのバックパックを背負いながら乗船しているところだった。

あっぱれなほど堂々と他人のものを背負っているその男の後ろ姿を見て、まず安堵感に満たされたが、すぐに怒りがこみ上げてきた。

「テメー、このヤロウ!」

と、後ろから、男が背負うモトコのバックパックをつかんで怒鳴った。しかし、振り向いた男は、気が弱く真面目そうで、ぼくらの登場など全く予期していなかったような困惑顔でこちらを向いた。そして彼は、少し前方で乗船していた婦人の方に顔を向けて、「この荷物はマダムのではないのですか?」と伺いを立てた。すると、その比較的裕福そうな女性が近づいてきた。手に背中に頭にと荷物を抱えている他の女性とは明らかに雰囲気が異なる優雅そうな彼女は、男に向かってこう言った。

「それは私のじゃないわよ。運べなんて言ってないわよ。あんた、間違えたのね」

ぼくらに対しては、使用人が間違えてしまったの、すみませんね、と謝った。

しかし男は、

「いや、でもこれはマダムのものかと思って……」

とでも言いたげな顔だ。「マダム、これはあなたが持っていけと言ったのではないですか」と強く反論したそうな様子でもあった。だがそうもできずに、不満げに口をつぐむしかないようだった。

なるほど、おそらくはこのマダムが……と頭の中で予測を立てたが、しかしもうそんなことはどうでもよくなっていた。ぼくはとにかくバックパックが間一髪のところで戻ってきたことにあまりにもほっとしていた。モトコも男とマダムを怒鳴りつけたが、結局、バックパックを取り返し、謝ってもらっただけで、ぼくらはすぐに船を降りなければならなかった。船は出発寸前だったのだ。

ぼくたちが降りるや否や、といったタイミングで、船はバババババーッと音を立てて、ゆっくりと岸から離れていった。マダムも男も、それに乗ってザンビア側へと川を渡った。ぼくらは安堵と怒りを内に秘め、バックパックを抱えつつ川から離れ、ボツワナの大地を踏みしめた。

「なんで、捕まえなかったんだ? あんなのはザンビア人がよく使う手だ。捕まえて警察に突き出すべきだったんだ」

ボツワナ人的立場から、松ちゃんは興奮しつつそう言った。ぼくも、自分がお人よしすぎたかもしれない、という気はした。男が出来心で持っていったのか。いや、自分には、あの男の顔に嘘はなかったように思えた。あの婦人こそが、男を使ってぼくらの荷物をうまくせしめようとしたんだろう、と想像した。

しかし、そう思う一方で、ぼくはそのとき全く別なことを考えていた。

もしバックパックが戻ってきていなかったら、もし国境に来るのが一分遅くて船が出てしまっていたら、どうなっていただろうか。おそらくそのときは間違いなく、ぼくらの旅は終わりになっていただろう。五年を超える遊牧民のような旅と定住の生活は、そのときに終わっていただろう。

数年前なら、バックパックがなくなったからといって帰ろうという話になったとは思えない。しかしこのときはすでに、旅を生活とするこの日々は、気持ち的にも体力的にも、明らかに終わりに向かっていた。何かきっかけさえあれば、いつでも終止符を打てるような状態だった。実際、この日から一カ月も経たないうちに、ぼくらの旅は本当に終わりを迎えることになったのだ。

 旅を始めたとき二十六、七歳だったのが、このとき二人とも三十二歳になっていた。結婚直後からのこの五年以上の旅の日々は、その後もずっと、自分の中に生々しい記憶として、感覚として、息づいている。

ぼくは時々振り返る。この旅は自分たちにとっていったいなんだったのだろうか、と。そしていくつものシーンや感情を思い出すと、そのエッセンスは、最初の一年の日々の中にすでに色濃く表れていたことに気づかされる。それだけ濃密で、様々な形で自分の中に生き続けている一年目の日々について、これから語っていこうと思う。

ぼくらは何を思い、旅を続けたのか。どんな景色を見ていたのか――。

(以上、プロローグ)

『遊牧夫婦』シリーズは、もともとミシマ社から全3巻で刊行されています(2010年~2013年刊)。『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わりなき旅の終わり』の順で、5年間の話になっています。

ここにプロローグを掲載した角川文庫の『遊牧夫婦 はじまりの日々』(2017年刊)は、ミシマ社の『遊牧夫婦』の文庫版です。ただ、残念なことに残りの2巻は文庫化されるに至っていません。『遊牧夫婦 はじまりの日々』の続きを読みたい方は、ぜひミシマ社刊の『中国でお尻を手術。』『終わりなき旅の終わり』を読んでいただければ幸いです。