それにしてもすべてがわからなくなってきた。なぜこんなところまで来ることができたのか。なぜ自分たちだけこんな部屋に通されたのか。いったいこれからどうなるのか。自ら無理やりここまで来てみたものの、徐々に落ち着かない気持ちになっていく。
「もう、帰ろうよ。これ以上はもう無理やろ」
モトコに言われて、そうだな、と思った。どう考えてもこの状態で正式に入国できるはずはない。来られるところまで来た気はする。十二時になると橋の中国側が一時的に閉められるとも橋を渡る前に聞いていた。それになんといっても、ぼくもモトコも、金親子が笑う静かなこの部屋の雰囲気にびびっていた。
そのとき十一時四十五分。橋が閉まるまで十五分ある。ぼくらは金親子の部屋を出て建物を後にした。そして周囲に拡がる牧歌的な風景を眺めながら、中国に戻るべく橋の付け根まで戻っていった。そこにはやはり先の少年の番人が立っている。彼に礼を言って再び中国側に戻ろう。そう思った。
しかし――。
茶と緑の風景から目を離し、正面の橋を見ると、北朝鮮側のゲートが閉まっているではないか。あっ、と思った。中国側が閉まるのであればこちら側が閉まるのも予想できたはずだった。だが、なぜかそのことをぼくもモトコもまったく考えていなかった。
それでも、少年がさっきのように笑顔で通してくれるはずだと、不安を打ち消して歩を進めると、彼がさっきとはまるで異なる真剣な形相でこう言うではないか。
「不行(ブ・シン)」
え? と思い、急いで彼に近づいた。
「入国できなかったんだ、中国に戻るから橋を渡らせてくれ」
彼は続けて首を振った。「不行、不行!」。だめだ、だめだ! と。そしてぼくの足が、彼が立つコンクリートの台の部分に載っているのを見ると、彼は一切の穏やかさを消してこう言ったのだ。
「そこから降りろ。向こうに戻って待っていろ」
柔和な雰囲気はなくなっていた。初めて、もう交渉は無理だと感じた。
「どうしよう……」
ただ昼休みで扉が閉まっているだけなのかもしれなかったが、まずい展開の予感もした。 どうなるんだろうと不安に思いながら、しかたなく、歩いて入国審査の建物へと戻っていった。少し待ったらあの少年兵はぼくらを通してくれるのだろうか。それとも、強引に橋を渡ってきたことが何か問題になっているのか。いま何か調べられているのかもしれない。あれこれ考えを巡らせて気持ちはますます落ち着かなくなった。
と、そんなとき。今度は、全く予想もしていない声が聞こえてきた。
「あなたたち、日本人? なんでこんなところにいるの?!」
明らかにネイティブの日本語だった。驚いて声の主を見ると、それは一人の初老のおじさんだった。いったい誰だろう? 不思議に思いながら、早足で彼に近づき、ぼくは言った。
「こんにちは……。はい、日本人です」
訊くと彼は、仕事で北朝鮮に行くところなのだと言った。在日朝鮮人なのだと言う。それから、「で、あなたたちは?」とこちら以上に不思議そうな顔でぼくたちの素性を訊いてきた。ぼくが、自分たちは単なる旅行者であること、適当な交渉でなぜかここまで来れてしまったことを説明すると、心底驚いたようだった。
「え、本当に? 招聘状も何もなしでここまで来れるなんて知らなかったよ。びっくりしたなあ。まさかこんなところに旅行者がいるなんて。それに、いまは日本もどこも大騒ぎなのは知ってる? 昨日北朝鮮が核実験をやるって宣言したんだよ」
え?! 今度はぼくらが驚く番だった。
すでに書いた通り、この日は二〇〇六年十月四日だった。その前日、十月三日に北朝鮮が核実験を実施すると宣言したというのだ。僻地にいてろくにネットも見ていなかった。完全に初耳だった。まさかこのタイミングで、そんな事態になっていようとは思いもよらない。一気に緊張感が増幅した。こんな日に、わけのわからない入国未遂のようなことをしでかして、しかも国境の写真を撮っているのがばれたりしたら……。
するとぼくの携帯が鳴った。メールだなと思って携帯を取り出そうとすると、おじさんはびっくりした顔でこっちを見た。
「いまのは携帯? まずいよ! 携帯は持ち込み禁止。中国側で預かってもらわないといけないんだよ。すぐに電源切って! カメラも隠しておいたほうがいいよ!」
そう言われてぼくはようやく気がついた。国境というものを軽く考えすぎていた……。あるいは、旅への意識があまりにも甘くなりすぎていたのかもしれない。ふと、自分たちが、よくも悪くもこの生活に慣れすぎてしまっているような気がしてきた。そして改めて時間の経過を意識した。もう三年以上になったのだ。
結婚直後に無職のままで、モトコと二人で日本を出たのは二〇〇三年六月のことだった。当時、ぼくは二十六歳、モトコは二十七歳。旅を暮らしにしようと心に決め、住むことと移動することを繰り返す日々を送り始めた。
オーストラリア西海岸バンバリーでイルカを見ながら半年を過ごしたあと、オンボロのバンでオーストラリア大陸を縦断し、バスや列車で東南アジアを縦断した。そして二〇〇四年の暮れに中国に着くと、雲南省の昆明で暮らしながら中国語を勉強した。その生活が一年ほどになった二〇〇六年の初頭からは上海に移り、今度は仕事中心の生活を開始した。モトコは就職活動をして食品関係の会社に就職した。一方ぼくは、自分にとって旅の大きな目的である、旅をしながらライターとして食べていけるようになることを、ようやく上海で実現できそうになっていた。
しかし、そんな場当たり的な生活を夫婦二人で送りながらも、自分たちがそのような人生を生きていることが、つくづく不思議になることがあった。
そもそも自分は、物理や宇宙の世界に憧れて理系に進んだ人間だ。大学に入るまでは、自分は必ず研究職的な仕事に就くだろうと考えていた。対象が宇宙になるにしろ、地球の気候変動になるにしろ、中学時代から慣れ親しんできた理科や数学を使う仕事が自分のフィールドになるだろうことは確信していた。実際大学院に至るまで、ぼくはずっと理系畑を歩いてきた。学部では宇宙や航空機について学び、大学院では北極の海氷の未来予測シミュレーションが研究テーマだったのだ。その一方で、文筆業などという仕事は、高校時代まではもっとも縁も興味もない分野のはずだった。
モトコもまた、いかにもこういう生活を好みそうなタイプではまったくない。旅が好きであったとはいえ、常識的で手堅い道をそうそう逸脱しそうもない性格であることはおそらく周囲も本人も認めるところだった。
そんな自分たちが、旅の中を生きることになり、いま、よくわからない展開で北朝鮮の入口に立って右往左往しているのだ。この三年で、モトコもぼくも、妙に大胆に無鉄砲になっていることが、このとききわめてよく実感できた。
そうはいっても、ぼくもモトコも根が小心な本質は変わらない。このときはとにかく、中国に戻ることばかりを考えていた。
そわそわしながらおじさんと話し、時間がたつのをひたすら待った。そうして二時間ほどが経過した。
「そろそろ国境がまた開く時間のはずだよ。大丈夫だと思うけど、無事に中国側に戻れるといいね。何かわからないことあったら連絡くださいよ」
そう言われ、ぼくらは礼を言って彼と別れた。たしかに橋の小さな門は開いている。少し軽くなった足取りで橋に向かって歩きながら、その周囲を見て、写真に撮れないこの景色をずっと記憶に焼きつけておかないと、と思った。
川沿いにはきれいに整った畑がある。数百万人が餓死しているというようなニュースがまったくイメージできないほど青々とした野菜が育っているのが印象的だった。そのそばには子どもたちの姿が見えた。赤や青や白などきれいな服装をした彼らは、お互いにふざけあいながら元気に楽しそうに歩いている。
結局、北朝鮮を見たと思えるのはこの風景だけだな、と話しながら、ぼくらは橋へと近づいた。そして、例の少年兵が今度はにこやかに通してくれるだろうと期待すると、立っていたのは別の人物だった。言葉が通じないなかでこの状況を説明するのはやっかいだなと思いながらも、彼に「北朝鮮に入国できなかったので、中国に戻ります」と中国語で言った。すると彼は、無情にも手を横に振った。
「不行(ダメだ)」
え? 中国に戻るんだよ、いいでしょう?
しかし彼は態度を変えない。予想もしなかった展開に愕然としながら粘ったものの、まったく交渉の余地はなさそうだった。どうも出国のために必要な書類があるらしいのだ。
「この状況でいったいどうすればいいってんだよ……」
意気消沈しながらまた出入国審査場へと戻っていったが、この複雑な状況を、言葉もあまり通じない相手にわかってもらえるとは思えなかった。そうだ、頼めるのは、あのおじさんしかいない。彼が入国してしまう前になんとか助けてもらわないと!
そう思って二人で走って再びあの建物のなかへと駆け込んでいった。
なかに戻ると、幸い、彼とその同行者の中国人らしき人物が書類を出したり荷物検査を受けたりしているところだった。お願いすると、同行者の男性が窓口で、朝鮮語でぼくらのことを説明し必要な書類をもらってくれた。教えてもらいながら必要事項を記入すると、あとは何カ所かにハンコとサインをもらうだけの状態になった。なんとか、中国帰還が見えてきた。北朝鮮へと入国するおじさんたちに礼を言って別れを告げる。そしてすぐに二階に上がりしばらく待つと、ようやくすべてのサインとハンコが手に入った。
「やった……。もう早く出よう」
誰かに呼び止められたりしないかとまだビクビクしていたが、今度こそ、本当に出国できるんだと確信できた。
相変わらずの晴れ空の下で身体がぐっと軽くなる。逃げるように橋に向かうと、建物の前に止まっていたバスのなかの中国人に呼び止められた。
「橋はバスで渡るんだ! 歩いちゃ渡れないよ」
その言葉で、そもそも橋を歩いて渡ってきたところから何かがおかしかったらしいことに気づかされた。ボロボロのバスに乗りこんだ。橋で恐る恐る書類を渡すと先の番人が確認する。問題はなかった。
バスは中国に向かって、バババババッと重く大きな音を立てながらゆっくりと橋を渡り始めた。たった数百メートルの橋の向こう側があまりにも遠く感じられたが、このときやっとその向こう側に戻れることが確実となった。
「助かった……」
国境というものが何なのか、このとき少しわかった気がした。自分たちの無知と無謀さに我ながらゾッとした。川の向こうの中国がとてつもなく遠く感じられたあの瞬間、国境の恐ろしさを肌で知った。しかし同時に、強く魅せられている自分もいた。二年前、東南アジアの国境を越えて北上を続けていたときの興奮を思い出す。そして思った。
次々に国境を越える旅を、もう一度したい――。