『月刊すこ~れ』連載 「子どものなぜへのある父親の私信」第6回(2019年2月号掲載)

『月刊すこ~れ』2019年2月号掲載の連載第6回です。

Q かけっこで友だちに勝って、嬉しくてすごく喜んだら、それからその友だちがあまり話してくれなくなった。喜んではいけなかったのかな……。

A 勝負ごとで勝ったら嬉しいのは、程度の違いはあっても、きっとみな同じだと思います。特にそれが一生懸命に練習した結果であったり、これまではどうしても勝てなかったのに勝てた、ということであれば一段と嬉しいはず。そういった場合に喜ぶことはおかしなことではないし、悪いことでもありません。ただ、勝負にはいつも相手がいます。つまり、勝った人がいるときには負けた人がいる。そしてその人もまた、勝負のあとにいろんな気持ちを抱えているはずです。
 勝負ごとで大切なのは勝ち負けの結果だけではありません。勝負のあと、勝負を離れて相手の気持ちに立つことも同じくらい大事です。ラグビーでは、試合終了のことを「ノーサイド」と言いますが、これは試合が終わったら敵と味方(=サイド)はなくなり(=ノー)、みな仲間に戻るということです。そして、一緒に大切な勝負を戦った仲間として、互いに相手に敬意を払い、称え合う。
 二〇一八年の平昌オリンピックのスピードスケート女子五〇〇メートルで金メダルを獲得した小平奈緒さんが、勝利の後に、二位になって涙するライバルに寄り添った場面を覚えている人は多いかもしれません。二人の姿が美しく心を打つものであったのは、全力で戦い合った二人が、それゆえにお互いを大切にし、敬意を抱き合っていることが感じられたからだと思います。そしてきっと二人はお互いに、健闘を称え合えたはずです。
 あなたが勝って喜んだら友だちが話してくれなくなったとすると、友だちは、あなたの喜ぶ姿を見て、そのような気持ちにはなれなかったということなのかもしれません。それは必ずしもあなたのせいではないかもしれないけれど、誰でも嬉しいときはつい相手のことを忘れてしまいがちです。なので、そういう時こそ特に、意識して相手の気持ちを想像しようと心がけるとよいかもしれません。その気持ちは自然と振る舞いにも表れて、相手にも伝わるだろうと思います。 

Q テニスの大切な試合で負けてしまい、大きな大会に進める貴重なチャンスを逃しました。取り返しのつかない失敗をしてしまったのではないかと、いまとても落ち込んでいます。

A 試合に負けてしまったのは、本当に残念でした。それだけ落ち込むということは、きっととても頑張って練習してきたのだと思います。しばらくは辛い気持ちが続くかもしれないけれど、うん、それはもう仕方ないのかもしれません。でも、きっとその経験は将来、とても貴重なものになるはずです。
 ぼく自身の経験を言えば、試合ではないけれど、高校三年で大学入試を受けたとき、志望の大学に合格できなくてとても落ち込んだことがあります。自分なりにがんばって勉強していたこともあって、合格発表の掲示板に名前がなかったときは、本当に絶望的な気持ちになりました。これからもう一年間、予備校に通って勉強して来年また受験しなければならず、しかも来年も受かる保証がないことを思うと、やりきれない気持ちでした。
 しかし、時間とともにその気持ちも収まり、実際に予備校に通う生活が始まると、それはそれで楽しい一年間を過ごすことができました。そして翌年は無事合格でき、終わってみると、すごく貴重な経験ができたような気がしました。
 その思いは、その後、年齢を増すごとに強くなっています。大きな失敗して辛い気持ちになることは、生きていく上で本当に重要な経験だからです。
 失敗して見えてくることは、成功して見えてくることよりもずっと大切なように思います。自分が苦しい気持ちを実際に体験することで、他の人の辛い気持ちを想像できるようになり、それはその人の優しさや思いやりにつながっていきます。一方、失敗そのものについては、これからきっと何らかの形で挽回できるチャンスがくるはずです。
 ……と、大人が過去の失敗について語る言葉を聞いても、きっといまの辛い気持ちはなくならないと思います。いまはそれに向き合うしかないのかもしれません。でも、その辛さこそが、きっとあなたの人生をより豊かにするはずだということは、頭のどこかに入れておいてください。なんとかいまを、乗り越えられますよう。

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