平民金子さん『幸あれ、知らんけど』を読んで思い出した33年前の雪の風景

ご恵投いただいた平民金子さんの『幸あれ、知らんけど』(朝日新聞出版)、読み始めてまだ少しだけれど、本当に柴崎友香さんと岸政彦さんの帯の言葉通りだなあと感じる。数十ページですでに、心の奥に深く沁み込む言葉と風景に出会った。語られるのは、平民さんのお子さんとの日々やコロナ禍での日常で感じたこと、過去の記憶、などなど。お子さんとともに物乞いのおじさんに出会ったときのこと、ドラえもんで描かれる世界を子どもに読み聞かせようとして気づいたこと、海辺の凧揚げはなぜ盛り上がらないか、カレーうどんの汁は飲むべきかどうか……。

毎日ただ同じように過ぎていくだけのような日常の中に、どれだけ生きることの意味を深く感じさせる瞬間があるのかを、気づかせてくれる。そしてその言葉が本当に優しくて、一篇一篇に励まされる。

まだ途中なのだけど、いま読んだ一篇には、平民さんの小学校時代に、先生が授業を中断して雪遊びをさせてくれた記憶が書かれていた。それを読んで、自分もほとんど同じような瞬間があったのを思い出した。

中3の受験前の塾でのこと。冬期講習の時だったように思う。かなり追い込みの時だったものの、雪が降ってきたのを見て先生が「少しだけ雪合戦しようか」としばらく授業を中断して、皆で外にいって遊んだのだ。それがすごく楽しくて嬉しくて、部屋に戻ってから「じゃ、いまから集中してがんばろう」って言われた時に「よし、やるぞ!」という気持ちになったのを記憶している。いまもその塾の記憶と言えば、まずその日のことが思い浮かぶ。

ちなみにその塾は、おそらく現在の中学受験界では最も存在感が大きい感じのS塾(自分は、まだその塾ができたばかりのころの中学部に、3期生として通っていた)。先生はS塾創立メンバーの一人である英語の先生。

いまのS塾は、なんとなく噂で聞く限りでは上記の印象とはかけ離れてそうだけど(実際どうなのかは知らない)、自分にはずっとその時の印象が、その塾のイメージになっている。いい意味で。こないだ東京に行ったとき、その先生が後に開いた別の塾の前を通った。「あ、もしや先生がいるのでは」と、つい中を覗きかけた。

ほんの短い時間でも、ああいう時間を作ってくれたことの価値は本当に大きいと30年以上経って実感する。自分にとっても、そして塾にとっても。

『幸あれ、知らんけど』、昼の休み時に、また続きを読もう。

6月9日(月)夜19時~  NAgoyaBOOKCENTERにてトークイベント<本嫌いだった私がなぜ、本を書く道を選んだか 〜旅、科学、吃音に導かれて〜>

来週月曜日6月9日、夜19時~

名古屋市のNAgoyaBOOKCENTER(特設会場・喫茶リバー)にてトークイベントをやらせていただきます。

<本嫌いだった私がなぜ、本を書く道を選んだか 〜旅、科学、吃音に導かれて〜>

ライター・文筆業を20年以上やってきて、今さらながら、自分はこの仕事に向いているのだろうかと思うことが多い最近です。元々自分は、文章を読んだり書いたりとは最も縁遠い人間でした。

幼少期から大学入学までに読んだ本は通算10冊ほどしかありません汗。高校入試直前の模試の国語は衝撃の625人中598位、偏差値34(忘れられず)。感想文の宿題は、一度読んだ『こころ』で何度も書き、高校時代、『火垂るの墓』の感想文は読まずにアニメだけを見て書いてしまったことも。大学の合格を知った時に最初に思ったことの一つが、これでもう国語の勉強をしなくていい、ということでした。

そんな10代を過ごしながらも、いろいろな経緯から、文章を書いて生きていきたいと思うようになり、その道を選択して現在に至ります。いまでも、やはり自分は書くことが得意ではないなと思うことが多くあり、その一方で「このことを書きたい」という思いも引き続きあり、しかしうまく書けなくて、という日々で四苦八苦してます。

イベントの中では、そんなお話しとともに、各時代に自分が特に影響を受けた本の一部を紹介します。それらの本の写真を、NAgoyaBOOKCENTERの店長藤坂康司さんが撮ってくださいました(下写真)。


初めて最後まで読めた本(中学1年のとき?)、初めて「本って面白いかも!」と思わせてくれた本(大学1)、初めて「自分も書き手になりたい!」と思わせてくれた本(大学4?)、「いつか自分もこんな本が書きたい」といまも思ってる本、などなどです。これらの本も、当日お店にご用意いただいているようです。

名古屋近郊で、ご興味ある方がいらっしゃいましたら、ぜひご検討いただければ幸いです。

(チラシの写真は、吉田亮人さんに撮影してもらったものです)

「偶然」に身をゆだねる

「旅と生き方」に関する講義を、かれこれ13,4年、大学でやっています。

毎回テーマがあり、それに沿って映画やドキュメンタリー映像などを数十分見てもらい、それに自分の経験などを重ねて話すことで授業を構成しています。
(授業の概要についてはこちらに詳しく書いてます)

学生から<死とかが関わる話が多くて、毎回テーマが重い、、>という声があったこともあり(笑)、先週、少し趣向を変えて、「旅と出会い」というテーマにして、自分の過去の話(28年前(!)の妻との出会いの話)をして、「ビフォアサンライズ」の最初の30分くらいを見てもらいました。「偶然」がいかに人生において大きな意味を持つか、ということを伝えたく(自分たちの話を、ビフォアサンライズのジェシーとセリーヌに重ねるのは恐縮すぎるのではありますが笑)

150人前後くらいの受講者に、毎回感想を書いてもらっているのですが(その中の3,4つくらいを次回に共有)、「ビフォアサンライズ」について、<たまたま電車で出会って一緒に降りて旅をするとか、そんなことあるのかと驚いた>などといった感想がとても多くて新鮮でした。

学生たちの反応を見て、「偶然」が人生の中で果たす役割がかつてに比べてぐっと小さくなっているのだろうなあと実感。店を選ぶのでも、電車に乗るのでも、あらゆることを事前に予測したうえで行動するのが当然となっているいまの時代には、なるほど、それはそうだよなあとも思います。

だからこそ「ビフォアサンライズ」や僕の過去の話を、思っていた以上にみなが驚き、楽しみ、偶然の持つ意味を考えてくれたように思いました。学生たちにこのテーマの話をしてよかったです。

予測することができない人生の余白部分、そしてそこに入り込む偶然に身をゆだねることによって、人生は豊かに広がっていくのだろうなと改めて感じました。

ちなみに、授業をするにあたって「ビフォアサンライズ」と「ビフォアサンセット」を久々に見直して、このシリーズのすばらしさに再度打たれました。本当に名作。見てない方はぜひ!