大阪で開催された言友会全国大会に参加して

10月13日と14日、大阪で、吃音の当事者団体である言友会の全国大会に参加しました。

台風の影響で、3日間だったところ12日が中止となるなど、直前まで大変な状況ながら、実行委員の皆さんのご尽力によって素晴らしい大会になりました。さまざまな充実したプログラムがあり、全体での会も、分科会も、参加したものはどれも印象に残る時間となりました。僕はその中で講演の機会をいただきました。

実行委員のみなさま、改めてお疲れ様&ありがとうございました。

夜は会場に併設されたユースホステルに皆で宿泊して深夜遅くまで懇親会。多くの当事者の人たちと話しながら、多く笑い、いい出会いに嬉しくなるとともに、それぞれの経てきた日々を思い、胸が熱くなること多々ありました。吃音のみならず、個々の様々な問題について、互いに想像力と寛容さを持ち合える社会になってほしいと改めて思いました。

吃音の問題についていえば、自分が学生で悩んでいたころに比べると、ネットによって当事者同士がつながり、問題を共有し合うことが容易になったことは本当に大きいと思います。それでも、職場や学校で吃音で困り悩むときはそれぞれ一人。その苦しさを軽減するのは容易ではありません。だからこそ、苦しいときは、弱音を吐き、人に頼り、逃げるという選択も大事だと思うし、逃げていいんだと思ってほしいです。無理をせず、それぞれ自分が楽に生きられる方法を考えてほしい。僕にとっては、それが旅へと出ることでした。

一方、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』に寄せられた多くの感想からは、当事者ではない人の多くが、吃音について真剣に考えてくれていることを感じました。からかわれたり、笑われたり、というネガティブな経験を持っている当事者は多いけれど、それはきっと吃音の困難が知られていなかったことが大きくて、ちゃんと知ってもらえたら、少なからぬ人は理解してくれようとするのではないかと感じました。そこに希望を感じるし、本に寄せられた数々の温かい言葉から、きっとそうなんだと思うようになりました。

同時に、私たち当事者の側も、当事者でない人が問題を理解することが難しい、ということを理解する必要があると感じています。それは吃音以外のあらゆる問題でも同じはずであり、自分たちも、吃音以外の問題を抱えている人を知らずに傷つけているかもしれない。そのことを意識しなければならないと思います。

みながお互いにその可能性を意識しつつ、想像力を持ちあうこと。お互いに、自分とは違う立場の人に寛容になること。そんなことが大切なのではないかと、改めて思うようになっています。

そんなことを講演会でお話しさせていただきました。

本当に素晴らしい大会でした。
また皆さんにお会いできる機会を楽しみにしてます。
実行委員のみなさま、本当にありがとうございました!

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ウェブ「考える人」に科学の本10冊を紹介するエッセイ、京都新聞夕刊に「旅へのいざない」北朝鮮。

☆ウェブ考える人のリレー書評「たいせつな本」に、科学の本10冊を紹介するエッセイを書きました。
https://kangaeruhito.jp/article/10264


紹介したのは、以下の10冊。
立花隆『宇宙からの帰還』
コペルニクス『天体の回転について』
ガリレオ『天文対話』
トーマス・クーン『科学革命の構造』
森田真生『数学する身体』
福岡伸一『できそこないの男たち』
チェリー・ガラード『世界最悪の旅』
スティーヴン・ホーキング『ホーキング、宇宙を語る』
幸村誠『プラネテス』(全4巻)
サイモン・シン『フェルマーの最終定理』

自分の次のテーマを探りつつ、再読したり新たに読んだり。宇宙、物理、数学、科学史などのノンフィクションに漫画も。どれかを手にとりたくなってもらえますように。

☆京都新聞夕刊連載「旅へのいざない」第6回は北朝鮮(10月3日掲載)。よくあんな無茶な方法で国境の橋を渡れたものだと、当時の無知、無謀さに我ながら驚く。しかしそれが若さが持つ力でもあるはずで、当時の自分が羨ましくもあります。

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母校で講義 & 各賞の選評を読む

先週、母校の高校で講義をする機会をいただきました。じつは2011年3月に、高校に講義のために呼んでいただいたことがあったものの、直前に東日本大震災が起き、急遽キャンセル。それから8年半が経って、また違った形で実現しました。今回は、障害講座で吃音について話してほしいというご依頼で、生徒や保護者の方々の前でお話しさせていただきました。

自分が吃音で悩みだしたのが、まさに高校時代だったこともあり、話しながら当時の感覚が蘇りました。バスケ部でキャプテンをしていたとき、円陣を組んで掛け声をかけるのが本当に嫌で、悩んだなあとか。その一方、考えてみたら、授業中などでは不思議なことに吃音で悩んだ記憶はほとんどない。なぜだろう。

学校全体の雰囲気もほとんど変わってなく、校舎や体育館を見ては懐かしい日々が思い出され、ああ、青春だったなあ、と感慨に。校内を歩いている中、当時いらした先生の何人かとも挨拶。すでに卒業から24年かあ、としみじみ。

そしてその帰りに、コンビニで『週刊現代』と『週刊新潮』を購入。今号にそれぞれ、講談社本田靖春ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞の選評が載っているのです。両賞とも落選ではあったものの、各委員からお褒めの言葉をいただいて大いに励みになりました。しかし、ギリギリだったと言われると、嬉しさとともに残念さも増してしまう。でもその思いは、次作へのエネルギーにしなければと思います。

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物理学をテーマに

物理学の歴史をテーマにしたノンフィクションを書きたいという気持ちがだんだんと固まりつつある中で『ホーキング、宇宙を語る』を読んでます。もう古典のような本で、30年くらい前に確か途中で挫折して以来の再読なのですが、なんとなくしか理解できてなかった事柄がすごい的確でシンプルな比喩で説明されてて感動してます。

学生時代、一度ホーキング博士が大学に講演に来たことがあり、その時、一枚のパワポの中央に確か、りんご一つだけが描かれた図がありました。どういうことだろうと思ったら、機械を使った音声による彼の説明の後に、そのリンゴだけの図が見事にその説明の全てを物語っていることを知って感動した記憶が今も残っているのですが、この本もまた、そのような魅力に満ちています。彼のような天才的な人物が、わかりやすい言葉で伝える力も備えているというのは、本当に稀有でありがたいことのように、読んでて思えます。

吃音というテーマをひとまず書き終えたいま、次の数年間、場合によっては40代のかなりの時間を費やすことになるだろう次作のテーマを何にすべきなのかとしばらく考えてきたのですが、やはり自分はサイエンス、特に物理にまつわる人間ドラマが書きたいという気持ちが強まっています。サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』のような作品が長年の憧れなのですが、あの本のような絶大な魅力と深みを持つ本を目指すとき自分はどんなテーマを選ぶべきなのか。ずっと考え続けている中、ぼんやりとながら、テーマが具体的になってきているのですが、果たして書いていけるのか…。
この本を読みながらも、そんなことを考え続けています。

先月受賞作の発表があった新潮ドキュメント賞も、講談社のに続いて残念ながら落選。しかも結果の連絡が来るという日の朝に、まだ新しいスマホが突然壊れるという不吉なアクシデントにも見舞われて、結果もそれに追随するような感じでアウト。キャンプ中だった中、それから1日ぐらいテントの内外でがっくり来てましたが、今となっては、その残念な思いが次作へのエネルギーになった気も。

これから、力を尽くして取り組みたいです。

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