盟友・常井健一君の『無敗の男』、大ヒット中!

ぼくは幼少期や中高時代に一切本を読んでこなかったせいか、こんな仕事をしながらも本を読むのがものすごく遅く、読むのになかなかエネルギーを要するのが悩みでした。特に、一緒に仕事をする編集者などは読書の鬼のような人ばかりのためいつも気遅れしていますが、最近ようやく自分なりに、さらさらと読めるようになってきたように思います。今年に入ってからも自分的にいいペースで読書を進めることが出来ています。

とはいえ、読みたい本が多すぎて全然手が回らずで、焦ったりもしてしまうのですが^^;、今年はすでに面白いノンフィクションを4冊読了。『聖なるズー』(⇒動物性愛を通じて愛とは何かに迫る衝撃作)、『選べなかった命』(⇒出生前診断をテーマに、命について深く問う大宅賞受賞作)、『西南シルクロードは密林に消える』(⇒高野秀行さんの凄さが詰まった圧巻の冒険の書)、そして『無敗の男』(⇒口を閉ざし続けた政治家・中村喜四郎氏の沈黙を破った骨太な評伝)です。

その中で今回、盟友・常井健一君が書いた『無敗の男』(文藝春秋)を紹介します。

常井君は、学生時代に一緒に日中をテーマにした映像制作を行っていた友人です。その後、AERAの記者などを経てフリーになり、いまでは、若手の政治ノンフィクションの書き手の旗手とも言える存在です。

小泉進次郎といえば常井くん、というほど、小泉進次郎をずっと追ってきた人で、「週刊文春」などで記事を読んだりテレビで見た人も少なくないかと。あの小泉純一郎元総理も、表舞台を去ってからずっとメディアの取材を拒み続けていたものの「常井さんの依頼だけは受けないといけないと思った」と、何時間にもわたる単独インタビューに答えたほど(諸々、常井健一著の書籍になっているので、是非)。

その常井君が、次にテーマにしたのが中村喜四郎氏でした。ぼくは恥ずかしながら存じ上げなかったのですが、長く政治を追ってきた人なら、「おお、あの!」という人物のはずです。ゼネコン汚職で逮捕され、刑務所に入りながらもずっと選挙に勝ち続けてきた政治家です。

彼もまた四半世紀にわたって一切メディアの取材を受けずにきたのですが、その長期の沈黙を常井君が破って、中村氏の奥の奥にまで迫った一冊です。

政治取材を長く続けてきた常井君ならでは洞察がものすごく、中村氏の人生を通じて、ここ半世紀ぐらいの政治の大きな流れが理解できた気がします。選挙とは何か、自民党とは何か。そんなことが全くの門外漢の自分にも見えてきます。そして、一人の政治家の人生に肉薄し、その核にあるものを描き切ろうという著者の情熱が全体に滲み出ています。

常井君は先日の文春オンラインの記事で、小泉元首相についても、全然忖度なくびしっと批判していました。とても距離を縮めて独自に取材をしている立場として、決して簡単なことではないと思いますが、言うことはしっかりと言う。しかし、そうだからこそ、小泉氏も中村氏も、常井君を信頼して、長年の沈黙を破って、彼にだけは話をしようと思ったような気がします。

中村氏はいま、安倍政権を倒すために表舞台に戻りつつあります。この本を読んでから、今後の中村氏の動向が楽しみになっています。

常井君のこれまでの取材の蓄積の全てを投入した渾身の作、是非!
大ヒット中です。

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吃音の感覚が若干戻りつつある2020年の年始のご挨拶として

先ほど、今年最初となる原稿を書き終えて送信しました。いよいよ年末年始の休みも終わり、本格的に新しい年が始まるなあという気がしています。

昨年1月に『吃音 伝えられないもどかしさ』を上梓してから早くも1年になりますが、昨年は年始から年末まで、この本に関連する仕事で過ぎていったように思います。想像していた以上に多くの方に読んでいただき、吃音について少なからぬ方が理解しようとしてくださるのを感じられたのが何よりも嬉しいことでした。そして本を通じて多くの当事者と再会できたり、新たに知り合ったりすることもでき、忘れがたい一年となりました。

その一方で、実は最近、自分自身の吃音が少し戻ってきたような感覚があり、人に話しかけるときに不安な気持ちが頭をよぎったり、話しながら言葉を置き換えたりしないといけなかったりすることが生じるようになっています。2013年ぐらいからほぼなくなっていた感覚が戻ってきて正直困惑したり、若干不安になったりしています。

本を出して以来、吃音について話したりすることを続けていたのが関係しているのだと思いますが、改めて自分自身、決して吃音が過去のことになったわけではなく、いまなお当事者として吃音と向き合っていかなければと感じています。
とはいえ、このまま以前のように吃音で困ることが出てきても、年齢もせいもあるのか、かつてのようには悩まないような気がしています(いや、わかりませんが……)。自分自身の状態がこれからどうなっていくのか、冷静に見ていきたいというような気持ちです。

また、本書を複数のノンフィクション賞にノミネートしていただけたことは、書き手としてとても嬉しいことでした。次は、宇宙や物理学をテーマにしたノンフィクションを書こうと動き始めていますが、精魂を込めて書き上げた『吃音』を評価していただけたことは、次作へ向けて大きな励みにもなっています。

『吃音』に5年、『遊牧夫婦』もシリーズ3巻で約5年がかかっています。1作5年だと、あと4作書いたら60代、6作書いたら70代。いつまで書き続けられるのかはわからないし、残りの人生でできることは決してそう多くはないことを実感しています。

それゆえに、日々を大事にするとともに、なんとか次作は3年ぐらいで形にしたいところです。必要な収入を得ることは前提として、今後は、それ以外についてはできるだけ多くの時間を、自分が残りの人生で世に残したいと思える本を書くことに費やせるようにと、仕事の仕方も考えていくつもりです。

2009年に帰国して以来初めて、年賀状を一枚も書かずに年を明けてしまいました(お返事だけとさせていただきました)。来年からはついに自分も年賀状を断念することになりそうで、身近な方たちには、この文面を新年のご挨拶にかえさせていただきたく思っています。

春に5年生となる長女、小学校入学となる次女、そして二人で旅をしていた時から常に冷静に物事を判断し続けてくれる妻とともに、今年もいい一年にしたいです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

近藤雄生

物理学をテーマに

物理学の歴史をテーマにしたノンフィクションを書きたいという気持ちがだんだんと固まりつつある中で『ホーキング、宇宙を語る』を読んでます。もう古典のような本で、30年くらい前に確か途中で挫折して以来の再読なのですが、なんとなくしか理解できてなかった事柄がすごい的確でシンプルな比喩で説明されてて感動してます。

学生時代、一度ホーキング博士が大学に講演に来たことがあり、その時、一枚のパワポの中央に確か、りんご一つだけが描かれた図がありました。どういうことだろうと思ったら、機械を使った音声による彼の説明の後に、そのリンゴだけの図が見事にその説明の全てを物語っていることを知って感動した記憶が今も残っているのですが、この本もまた、そのような魅力に満ちています。彼のような天才的な人物が、わかりやすい言葉で伝える力も備えているというのは、本当に稀有でありがたいことのように、読んでて思えます。

吃音というテーマをひとまず書き終えたいま、次の数年間、場合によっては40代のかなりの時間を費やすことになるだろう次作のテーマを何にすべきなのかとしばらく考えてきたのですが、やはり自分はサイエンス、特に物理にまつわる人間ドラマが書きたいという気持ちが強まっています。サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』のような作品が長年の憧れなのですが、あの本のような絶大な魅力と深みを持つ本を目指すとき自分はどんなテーマを選ぶべきなのか。ずっと考え続けている中、ぼんやりとながら、テーマが具体的になってきているのですが、果たして書いていけるのか…。
この本を読みながらも、そんなことを考え続けています。

先月受賞作の発表があった新潮ドキュメント賞も、講談社のに続いて残念ながら落選。しかも結果の連絡が来るという日の朝に、まだ新しいスマホが突然壊れるという不吉なアクシデントにも見舞われて、結果もそれに追随するような感じでアウト。キャンプ中だった中、それから1日ぐらいテントの内外でがっくり来てましたが、今となっては、その残念な思いが次作へのエネルギーになった気も。

これから、力を尽くして取り組みたいです。

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『新潮45』休刊に際して思うこと

最悪な形で、『新潮45』が休刊に。4日前にツイッターに

<炎上商法に走る雑誌は、苦しくなった紙の雑誌がまさに最後の断末魔の叫びを上げながら火の中に飛び込んでいき、盛大に燃え消えていく前段階のようにも見える。『新潮45』、思い入れのある媒体だけに、なんとかもう一度、志のある雑誌に戻ってほしいなと心より思う。>

と書いたけれど、前段階などではなく、想像以上の勢いと、雑誌として最も悲惨な形で早々に燃え消えていってしまった。

『新潮45』は、いま、最終局面を向かえている自分のノンフィクション作品の連載媒体(最後に掲載になったのは2017年8月号)であり、自分にとっては最も身近な雑誌の一つだったこともあり、最近の杉田水脈氏の論文から今号のあまりにもひどい記事、そして炎上騒動まで、非常に残念な気持ちで注視していたけれど、歴史の長いこの雑誌が休刊になるとまでは思ってはなく、致し方ないとはいえ、極めて悲しいです。

自分が書かせてもらい始めた5,6年前は全然こんな雑誌ではなかったと思う。ぼくが個人的に知ってる『新潮45』の編集者は、優秀で常識的な方たちばかりの印象で、本当になぜこんな風に凋落していったのかがわからない。しかし一方で、最近の2号だけではなく、どのくらいだろう、今年に入ってからぐらいかな、毎回、特集のタイトルがあまりにネトウヨ的でひどくて、なんでこんな雑誌になってしまったんだろうと、ページを開く気もしないまま、ポンと置いてしまってそのままになることが多かった。

と考えると、この状況に至るのも振り返れば必然だったのかもという気もする。しかし一方、その変化も含めて、単に編集部がどうこうというより、紙の雑誌が売れなくなった時代の、一つの残念すぎる末路という感じがする。売れない→しかしなんとか部数を伸ばさないといけない→どうするか→内容のおかしさには目をつぶって炎上商法に走ってなんとか部数を確保しようとしてしまう。

ぼくが連載させてもらっていた新潮社のもう一つの雑誌『考える人』も、昨年、こちらは自分の連載中に休刊になった。状況は『新潮45』とは全然違って、最後まで内容的には信念を貫いて作られたとてもいいものだったと思うけれど、売上的には苦戦していたのだろう、経営判断として、休刊となった(結果、編集長も、自分の担当編集者も新潮社を去った)。

形は違えど、どちらもいまの時代の紙の雑誌の難しさを反映した出来事なんだろうと思う。

時代の流れだと思うと、今回の『新潮45』のような最悪な終わり方をする雑誌が今後も出てるかもしれない気もする。しかしそれは絶対に避けてほしい。紙の雑誌の役割は、一部を除いてかなり微妙になってきているのは読み手としても書き手としても思うけれど(その一方で、本は全然そんなことない)、今回のひどい展開を教訓に、どの雑誌も、なんとかここまでは落ちないでほしいなと願いたい。

実際自分も雑誌を買うことはかなり減ったし、紙媒体を作り上げるものすごい手間や作業量、その割に全然売れない実情を考えると、紙の雑誌が姿を消していくのは避けられないとも思う。しかし、強調しておきたいのは、紙の媒体というのは、ネット媒体に比べて総じて、本当に幾重にも人の手や目での確認や修正を経て、出来上がっている。しかも、紙という有限の空間にいかに収めるかということで、ネットでは考えられないような細かな手間暇が込められ、文章が練られて、出来上がっている。それゆえに、紙ならではの文章というのが確実にあると思うし、売れないなら、じゃあ、全部ネットでいいじゃんとは全然ぼくは思わない。なんとか紙媒体、紙の雑誌が、生き残っていってほしいと心から思う。紙媒体があるかないかで、今後、私たちが書く文章のあり方が変わってくる気がしている。

ただ、手間暇がかけられているゆえに、逆に、今回の『新潮45』のような唖然とする記事を掲載することの重みも大きいと思うし、だからこそ今回については、休刊やむなしとも言えるのかもしれない。

新潮社は、一緒に仕事をさせてもらっている編集者を見ても、また同社の本や歴史を見ても、本当に日本にとって大切な出版社だと思うし、自分もこれからも仕事をさせてもらいたいと思う出版社。なんとか、今回の件を乗り越えてまた信頼を取り戻し、復活してほしい。

自分も、上記のように『新潮45』で連載させてもらい、近々完成する予定のノンフィクション本を、納得いくものにして世に送り出したい。

引き続き全力でがんばります。

プロフェッショナル

中学時代に通い、学生時代には講師もしていた塾で、拙著『旅に出よう』(岩波ジュニア新書、先日9刷になりました)がテキストとして使われていたことを知りました(下リンク)。

変わる進学/「国語4技能」小中学生から
https://www.asahi.com/articles/CMTW1805281300007.html

塾はSAPIX。いまは代ゼミと合体して組織も状況も全く違いそうだし、また小学生と中学生ではいろいろと違うのだけれど、中学時代、出来て間もないこの塾に通えたのは、自分にとって大きな人生の転機だったと思うほどしっくりくるいい塾でした。

受験や塾の現在のあり方には違和感が多いけれど、自分は生徒としてはどっぷり受験に浸ってきた方です。あの時代はなんだったんだろうと思うときもあるし、でも一方で、よかったなと思うことも多々あります。

その中で、先の塾に出会わなければ勉強に対する興味も何も全然違っただろうなと思うぐらい、勉強の面白さを教えてもらった感謝の念があります。数学1問を、ヒントをもらいつつ3時間かけてでもとにかく自分で考え抜くという経験をこの塾でしたことで、その後物事を学ぶ上で自分自身にいろんな変化があったような。

いまは超大手となったこの塾も、自分が通っていたとき(91~92年)はまだ、ある塾から一部の先生たちが独立して作ったばかりのころ。2教室しかなく、教室も整ってないバタバタした借り住まいの中、手作り感満載の状況。

雪が降ったら途中雪合戦の時間も交えたりもし、でもやるときはみな集中して勉強する、すごく楽しい雰囲気だった。勉強ってスパルタ的にやる必要はない、楽しくやってもちゃんとできるようになるんだってこの時の先生たちが教えてくれました。

当時、この塾を率いていた一人である英語のN先生は、ものすごく熱く、志が高い人でした。たぶん、その熱さと不器用なほどの志の高さによって、前の塾から独立してきたのだと想像していたけれど、その後10年以上かけてこの塾が有名になり組織が大きくなって、どんどん変化していく中(学生時代にぼくがここで講師をしていたとき、すでに自分が中学生だったときとはだいぶ違う印象でした。組織が大きくなるとはそういうことなんだなと当時実感)、おそらく彼だけは信念を一切曲げなかった。

他の先生から言わせたらたぶん融通が利かない人ということになるのだろうけれど、そのころ、自分が30代になったころ、旅の途中で一時帰国した際に、何らかのきっかけでN先生と連絡を取り再会することになって会ってみたら、驚くほど当時と印象が変わらなくて、びっくりし、凄いなと感じました。熱くて、志が高いままで。

結局、再び、他の先生と折り合いがつかなくなって彼はまた独立して新しい塾を作り、大学受験の世界へ。そこは広告とかを見る限り、ぼくが当時知っていたSAPIXに近い印象で、なんだか懐かしい感じでした。

「プロフェッショナル」ということを考えるとき、このN先生はよく頭に思い浮かぶ一人です。30年間、おそらくずっと志を貫いている彼のすごさが、自分も仕事をするようになって実感できます。ただ「いい点を取れ、合格しろ」というのではなく、もっと大きな意味で、N先生はじめ、当時の先生たちには背中を押してもらったという気持ちが自分にはあります。

一般論として、いまの塾のあり方についてはいろいろと懐疑的だけれど、当時のあの塾であれば、また行きたいなと思います。

先の見えない人生を取り戻すべく

とても偶然な展開から、来月ニュージーランドに行き、住めるかどうか検討することになりました。

NZに住みたいというのは、前々から妻と話していたことでしたが、これまで具体性はゼロ、むしろ考えれば考えるほど、生活のことを考えると実現は難しいだろうという気持ちが増していました。

今月の初めまではまさにそんな状態だったのですが、たまたま仕事で出会うことになった人から思わぬ誘いをいただきました。これを断ったらおそらく一生行くことはないだろうというぐらいのタイミングと縁だったため、とりあえず一週間ほどですが、一人で行ってみることにしました。

別に仕事のあてが決まったとか、家をもらったとか、宝くじに当たったとか、そういうことは全くなく、ただ、現地に行くきっかけをいただいたというだけで一切白紙の状態です。テクニカルな面は何も変わってはいません。

でも、この機会を最大限に生かしたいなと、いま人生初の就職活動的なことをしており、Linked Inのページをつくり、仕事の合間をぬって急遽NZの大学や会社など、自分が働くことができそうなところに連絡をとって、とりあえず会って話だけでもしてきたいと思い、動いています(というのも、家族で生活することを考えると自分が仕事を得て労働ビザをもらうことが不可欠だからです)。

とはいえ、そんなにうまくことが進むわけもなく、すでに厳しい現実を垣間見つつありますが、それでも、なんというか、NZを意識して動き出してから、気持ちがすがすがしいというか、やっぱり先が見えないっていいなあって改めて感じさせられています。

長い旅していたときは、2,3年前のことでも、日付があれば、どこで何をしていたかを鮮明に思い出して風景を思い浮かべることができました。それだけ一日一日が違ったのだと思います。そして明日のことも来月のこともわからなかった。

しかし最近は、1週間が、10年前の1日のような速さで過ぎ去り、1年前と2年前のことの区別がつかなくなっています。そして数ヶ月後もかなりの確度で想像ができてしまうような日々に、このままでいいんだろうかという気持ちが強くなってきていました。

何か生活を変えられないか。旅していたころのような感覚を取り戻したい。いつしかそんなことをよく思うようになっていました。そんなときにふと、NZという未知の世界を少しだけ現実的に考えられる機会が目の前に現れた。それを思わずぱっと手でつかみ、するっと手から滑り落ちそうな状態ながら、さてどうすればいいのか、と必死に捉まえながら考えているような状況なのです。

繰り返しますが、何も状況は変わってないので、何か進展があるかどうかは一切分かりません。しかし、ただ目の前に、未知の世界が広がっていて、そこでの新たな人生を模索するだけでこんなにも気持ちが新鮮になるのか、ということをいま感じています。

先が見えないというのは、やはり素晴らしい。

いい意味でこれからも、先が見えない人生を送りたい。

そんな気持ちを新たにしながら、3月の後半を過ごしています。

3年前に書いた一つの記事から

3年前にある記事を書いたことがFBの過去の思い出機能みたいなのから上がってきました。この共同通信配信の記事は、短いけど書けて嬉しかったもので、つい懐かしくなってしまいました。(下の写真)

ここ数ヶ月、吃音ルポの連載を書籍にまとめるために再構成し直してて、ようやくかなり形になりつつあるのですが、まだいくつもの山があり、起きてる間はずっと頭を悩ましています。

このルポのそもそもの原型となるものを書いたのは15年前、日本を出る前年のことで、それを熱烈な手紙とともに沢木耕太郎さんにお送りしたところ、日本を出る直前に携帯に電話をいただきました。そこで沢木さんにお言葉をいただいたことが自分にとって、旅をしながら書き続ける大きな原動力になりました。

あれから15年。自分も沢木さんのように書きたいと思いつつやってきて、その壁の高さに圧倒されてきました。ようやくあの時に書き始めたルポが本になる、というところ。それだけに、悔いのない一冊に仕上げたい。

下の記事を久々に読み返して、そんなことを思った次第です。
 

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『叔父を探しています - Looking for my Japanese Family by Julie-Marie Duro』

日本人の叔父を捜しているベルギー人写真家の友人が、今月以下の個展を開きます。

叔父を探しています - Looking for my Japanese Family by Julie-Marie Duro
https://www.facebook.com/events/830430997139467/

彼女、Julie-Marie Duro とは、3年ほど前にカウチサーフィンを通じて知り合いました。ぼくらの家に宿泊しながら叔父さん探しを始め、その後、毎年のように日本を訪れ、叔父さんを捜しつつその過程自体を写真に収めていくという活動を続けています。

亡き祖父がじつはかつて日本(おそらく京都)で暮らしていて、日本の女性との間に子どもを持っていたということを彼女は数年前に初めて知りました。どこかで生きているだろうその叔父を捜そう、そしてその過程を写真に収めよう、と地道に活動を続ける経緯に興味を惹かれ、また彼女、ジュリーはとてもいい人柄の人で、その後も親しくしています。

以前『考える人』にカウチサーフィンのついてのエッセイを書きましたが、それは彼女との出会いがきっかけでした。
(いま、以下のウェブで読めます)
http://kangaeruhito.jp/articles/-/1608

お祖父さんが働いていたという京都の会社を一緒に訪れたり、Meetsリージョナルにインタビュー記事を載せてもらったりしたこともあり、とても身近に感じていて、いつか叔父さんが見つかったら、、と密かに願っています。(探偵!ナイトスクープへも彼女は調査依頼を送りました)。

ジュリー自身、とても楽しい人なので、東京近郊にいらっしゃる方でご興味ありましたら、出かけて行って、写真と彼女に会いにいってもらえたらうれしいです。