最近、気持ちが不安定な状況が続いていた中、一昨日、心療内科に行った。1年半ほど前も行こうと思ったことがあり、その時は、クリニックの中にまでは行ったものの、初診は要予約で、いきなりは受診できないことがわかり、予約をして改めてこようかと思いつつも、そのうちに気持ちが収まっていった。しかしここ1、2カ月はこれまでになくしんどくて、これはと思い、予約をした。そして数週間待って、ようやく精神科医の先生に話を聞いてもらう機会を得た。
自分なりに思い当たるストレスは複数あり、そのそれぞれを「これこれこういう状況で…」と話していった。「うん、うん、そうでしたか、それは大変ですね、しんどいですね」と言ってもらいながら、自分でも考えが整理されてきたり、思わぬことを思い出したり。
先生的には、これだけストレスの要因がいろいろあれば、不安感が高まったりするのは自然な反応で、いわゆる病気的なうつ状態とはちょっと違うと考えますとのこと(この辺は医師によっても考え方や判断が変わってきますが、とも加えつつ)。一方、鍵を閉めたかとか、火を消したかがやたらと気になって何度も確認する、ということはないか、といった話になり、「まさにそれです(笑)」という流れから、そしたらちょっと薬をためしてもいいかもしれない、とのことで抗不安薬をもらうことになった。
ところで、自分がいま直面しているいくつかの問題は、個々には別個の問題ながら、突き詰めて考えていくと「自分は死ぬのが怖いんだな」というところにたどりつく。人生の残り時間を、ここ数年かなり意識するようになり、自分が生きている間にできることは限られてるなとよく感じる。40代半ばになって、身体の各所の不調や衰えを日々実感する中で、その意識が高まっている。
また、最近よく感じるのは、自分は文章を書くことが好きじゃないんだなということ。書くのが辛い。自分は幼少期、書いたり読んだりすることから最も遠くにいるような人間で、しかし、色々な流れからライターになり、早20年ほど文章を書き続け、それを生業にしているけれど、でもやはり根本では、自分は書くことが好きじゃないんだなあという、何をいまさら的な、なかなか辛い実感にたどり着いてしまった。同業のライターの人たちの、書くことが本当に好きそうな人たちに囲まれる中で、最近その事実から目を背けることが難しくなってきてしまった。
じゃあ、いっそのこと全く別な仕事をすればいいかと言えばそうもいかない。厄介なことに、それでもぼくは、自分にとって切実な問題については、自分なりの方法で思いを伝えたいという気持ちが強くあるからだ。つまり、そういった事柄は、書くのがしんどくてもなんとか書きたいという気持ちがある。その思いを一番はっきりと形にできたのは『吃音 伝えられないもどかしさ』だと思う。今後も、吃音のような、自分に本当に切実なテーマについては、本のようなまとまった形で世に問いたい。いや、むしろ、人生の残り時間が常に気にかかる中で、そのモチベーションはむしろ上がっているようにも思う。
ただ一方で、自分はそういうテーマだけを書いて生活していけるような、書き手としての能力はない。書くのにもとても時間がかかる。だから、日々単発の仕事として書くことを次々にやっていかないと生きていけないのだけれど、それがどうにも苦痛になってきてしまったのだ。そうした仕事に追われていると、ただ技術と時間をお金に換えているだけで人生の残り時間がどんどん過ぎていっているだけに思え、焦ってしまう。このままただ時間だけがものすごい速さで過ぎていき、あっという間に人生が終わってしまうような気がしている(とはいえ、ひとこと付け加えると、そのような単発の仕事も決して手を抜いたりはしていません。発注される方は、これを読んでもどうぞご安心を)。
旅も人生も、終わりがあるから感動がある、というのは、5年の旅を経ての実感だし、それはいまもそうだと思っている。何事も、終わりがあるからいいんだと。大学の講義でもいつもそんなことを話している。でも、そう言いながらも、自分が一番、終わりを怖がっているのかもしれないとも思う。終わりがあるからいい、というのは自分に言い聞かせてるような気がしてきている。
どうにも、吐き出す場所がなく、ブログに気持ちを書いてしまった。最近、仕事以外では全く文章を書く気がしないので、こういう自発的な文章を書けてよかった、という気持ちと、それだけ気持ちがいっぱいいっぱいなのかもしれない、という恐れと半々な思い。
読売新聞書評欄「ひらづみ!」『心はどこへ消えた?』(東畑開人著、文藝春秋)
読売新聞月曜夕刊 本よみうり堂 の「ひらづみ!」欄の書評コラム、担当5回目は、臨床心理士の東畑開人さんの『心はどこへ消えた?』を紹介しました。記事に書いた通りですが、東畑さんの、軽妙ながらも実に考えさせられる文章は、とても魅力的です。前作『居るのはつらいよ』は大きな話題となり、大佛次郎論壇賞も受賞した名作ですが、こちらも本当にいい本です。両方ともぜひ。
夢の記憶
今朝、起きたとき、ちょっと記憶にないくらい鮮明に夢を覚えていて驚きました。
いまちょうど、取材の関係で、『明恵 夢を生きる』(講談社+α文庫)という河合隼雄の著書を読んでいて、すごく面白くて、夢について色々考えていたからかと思うのですが、その内容もなんだか考えさせられるものだったので、備忘録を兼ねて以下にその内容を書いておきます。
・・・・・
ある日、ある町で、16時からカフェでトークイベントをやることになっていた。場所はのどかな小さな町で(チベットの田舎町とヨーロッパの田舎町をあわせたような風景)、その町まで、時間に余裕を見て自転車で行った。天気のいい、気持ちのいい日。目的地に15時ごろに着いたので、別のカフェで時間をつぶすことにした。15時半過ぎくらいにここを出て会場のカフェに迎えばいいだろうと思いながら。
(で、ここからはちょっと記憶が曖昧なのだけれど、別の場面に移り、高校時代の友だちやカメラマンの友人、年上の先生的な人も出てきて、何やら新しいことをやろうとか、色々話している。おそらくこのカフェで起きたことのような。うまく話が進んでて、いい気分で印象。なぜかその場面は夜)
いずれにしても、そうこうしているうちに気づいたら時間が15時50分くらいになっている。「あ、やばい、間に合わないじゃないか…!」と焦り、早くカフェを出ないとと思いながら、なぜか青空やピンクの壁など屋外のような美しい風景に囲まれている(モンゴルのウランバートルを想起させる景色)。しかしまだカフェの中で、もう確実に遅れると確信し、焦りながら主催者に電話した(西澤さんとかそんな感じの名前の女性)。
自分「すみません、まだ別のカフェにいて、いまから行きますが、少しだけ遅れそうです、申し訳ないです」
女性「近藤さん、はい、わかりました。お待ちしてます」
女性は友好的な応対してくれてホッとする。
そして、イベント会場まで急ごうとするも、まだカフェの中に、自転車とともにいる。そして、自転車を押してカフェを出ようとすると、なぜかカフェの中にとても急な坂があって、出口まで自転車を押して上がることができない。すると、若い男性3,4人くらいが「手伝いましょうか」と声をかけてくれて、自転車を一緒に持ち上げてくれる。坂を上がりながら、彼らに「いい自転車ですね」とか言われて、なぜかそこで、自転車でユーラシア大陸を横断した友人の話をして、自分も2年ほど中国に住んでいて……、とか話し「ユーラシア大陸横断、やってみたらどうですか」などと薦めている。時間がないのに。
そんなことをしていると、カフェの出口まで15分くらいかかってしまった。カフェを出て、一人になった時、すでに16時15分くらいであることに気がつく。「これは本当にやばい」と真っ青になって、主催者の先の女性に電話する。すると、女性が激しく怒り出す。
「こんなに遅れるなんて、どういうことですか。あり得ません。ひどいです。二度とこんなことはしないでください」
ひたすら怒られるが、当然だ。「本当に申し訳ないです、いま急いでいきますので…」と言いながら、なぜか自転車を押して歩いている。どうも何かを持っているせいか、電話をしながら自転車に乗れない。自転車を押しながら、杖をついているような印象も。
女性は電話で延々と怒り続けている。時刻は16時半に。これは本当にまずい。そして女性に言う。「すみません、電話していると自転車に乗れないので、いったん切ります。後で話は聞きますから。本当にすみません」。電話を切る。すぐに自転車に乗って、イベント会場に向かう。
しかし、自転車をこぎ出して前を見て、絶望的な気持ちになる。まっすぐな道が地平線まで延びているのだ。果てしなく、どこまで続くのかもわからない。
「ああ、会場には永遠につけないんじゃないか。どうすればいいんだ……」
きれいな青空が広がっている。真っすぐな道の両側は、柔らかそうな緑と黄色の草地がどこまでも続いている。とても美しい風景の中、一人途方に暮れながら、ただ自転車をこぐ……。
・・・・・
そこで目が覚めました。
外の景色やカフェの中の様子、さらに主催者の女性の顔もはっきりと記憶にあり、話も色も鮮明な夢でした。そして、美しくも絶望的な夢でした。
『明恵 夢を生きる』には、明恵(みょうえ)という鎌倉時代の僧侶が、自身の夢を40年にわたって記録し続けて、その影響を受けながら生きた様子が書かれています。そして明恵の人生と、河合隼雄の分析から、夢が人生に対して持つ深い意味が書かれています。
夢と言えば、自分にとってはフロイトの『夢判断』。それを学生時代に読み、しかしフロイトの考えはいまや否定された過去の遺物と思っていたら、近年、脳科学の研究などから、やはりフロイトは正しかったかもしれない、とも言われるようになってきたことを先日の取材で知りました。そして『明恵 夢を生きる』が面白くて、読みながら、夢が人生において持つ意味を考えています。だからこそ、なんだかこの夢が不吉なような、深い意味がありそうな気がして、気になっています。
また記憶に残ったら夢を書き残してみようかな。いまふとそう思っています。
そんな2022年の始まり。
「いまさら」も「遅すぎる」もない
昨日、ついにギターを購入しました。
ほぼ捨ててあったような状況らしいギターを妻が職場でもらってきてくれ、練習を始めて今で1年3カ月ほど。1年経っても飽きてなかったらちゃんとしたギターを買おうと思っていたところ、熱は冷めず。Youtubeのおかげで、思っていた以上に自分だけでも練習できることがわかりました。
その上最近、ライター&ギター仲間の大越さん、青山さんとオンラインギターセッションを始めるようになって、ますますやる気が上昇して、ついに買うことにきめ、最近楽器屋を回って探していました。
東京と京都で何店舗か見て回って弾かせてもらっているうちに、いいギターの素晴らしさやモノとしての魅力を実感し、さらに買う気は上昇。
しかし、なかなかこれというのに出会えないなあと思っていたところ、先週末、最も気になっていた国産ハンドメイドのヤイリギターの「ああ、これだ」という一本に出会い、すぐ気持ちが決まりました。
最近、モノを買って嬉しい、ということがほとんどなくなっていたけれど、今回は久々に本当に嬉しい。触ってるだけで幸せって、なんか子供の時に超合金のロボットを買ってもらった時のよう笑。ギターとの出会いは、コロナ禍においてもっともよかったことかもです。
最も弾きたかった曲の一つ、Jack JohnsonのBetter Togetherが、一応最後まで弾けるようになり嬉しい。
(一応、です…! 今日オンラインセッションで弾き語りしたら、2人の前で緊張して笑、歌詞が全部飛んでほとんど歌えず)
40代半ばでギターを弾く楽しみを知って、いまさらとか、遅すぎるはないと実感してます。
読売新聞書評欄「ひらづみ!」『どうしても頑張れない人たち』(宮口幸治著、新潮新書)
読売新聞月曜夕刊 本よみうり堂 の「ひらづみ!」欄の書評コラム、担当4回目は、立命館大学の宮口幸治教授の『どうしても頑張れない人たち』を紹介しました。前著『ケーキの切れない非行少年たち』に続いてのベストセラー。児童精神科医として病院や少年院に長く勤務した著者の言葉は温かくも現実的です。「頑張れない人たち」を支援したい思いに満ちています。少年院で出会った吃音のある少年が、いい環境に巡り合えていますように、と思いながら書きました。
眞子さんの結婚会見を見て、香田証生さんのことを想い出す
眞子さんの結婚会見を見て、結婚の会見で謝らないといけない状況に追い込む日本って本当に辛いなあ、と感じました。
思い出したのは2004年にイラクで香田証生さんが亡くなった後にご両親がお詫びの言葉を発表したことでした。息子を殺された親がまず謝らないといけない社会って何なんだろうと当時思ったのですが、それからずっと変わってないんだなあと愕然としました。
いや、いま思えば2004年は、SNSもまだ黎明期だったし、状況はいまよりずっと穏やかだったのかもなあとも思ったり。
そんなことをツイートして、興味ある方がいればと思い、拙著『中国でお尻を手術。』の香田証生さんについて書いた部分もアップしたら思っていた以上に多くの人に読んでもらってる感じだったので、こちらにも掲載します。
自分は長旅の途中、タイにいたときに事件を知り、香田さんの死、そして日本の反応が衝撃でした。香田さんが動画で「すみません」とは言ったものの「助けて」とは一度も言わなかったことも心に残っています。
共同通信配信記事に、神里雄大著『越えていく人』(亜紀書房)の書評
少し前になりますが、共同通信の配信記事として、神里雄大さんの『越えていく人』(亜紀書房)の書評を書きました(写真は熊本日日新聞掲載の記事。通信社の記事は、全国の各新聞社のうち、その通信社と契約している新聞の紙面に随時掲載になります)。
本書は、南米に生まれて日本で育った劇作家である著者が、現地の日系人を訪ねて歩く旅の本です。
日本に暮らす日本人のおそらく誰もが南米日系人になり得たことを知らしめてくれるととともに、自分自身が今ここにいることの意味を考えさせてくれる本でした。著者がかなり感じたままの思いを書き記している点、そしてその姿勢に、いろんな人生への敬意が感じられるのがまたこの本の魅力でした。
ご興味ある方は、是非手に取ってみてください。
読売新聞書評欄「ひらづみ!」『物理学者のすごい思考法』(橋本幸士著、集英社 インターナショナル新書)
読売新聞月曜夕刊 本よみうり堂 の「ひらづみ!」欄の書評コラム、担当3回目は、京都大学の理論物理学者・橋本幸士さんの『物理学者のすごい思考法』を紹介しました。もともと物理学者になりたかった自分としては、物理学者はどこか親近感があったり、気になる存在だったりします。橋本さんが自らの頭の中を開陳する本書を読んで、もし自分が物理学者になっていたら、、などと夢想しました。また、最近「年を取ることは重力の存在に気付くことだ」なあとよく感じていて、その話を盛り込めたのも自分としては嬉しかったり。
気軽にさらさらと読める一冊です。ご興味ある方は是非。
第三文明社の教育誌『灯台』9月号にインタビュー掲載
第三文明社の教育誌『灯台』9月号に、インタビューを載せていただきました。
「吃音と向き合う中で」というタイトルで、『吃音 伝えられないもどかしさ』の文庫化をきっかけとして、ここ数年に感じていることをお話しし、まとめていただきました。吃音がテーマですが、やり切れない出来事が多い中、さまざまな生きづらさを抱えている人をはじめ、他の人への想像力の大切さを改めて痛感している、といった内容を多く載せてくださいました。
読売新聞書評欄「ひらづみ!」『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル著、早川書房)
読売新聞月曜夕刊 本よみうり堂 の「ひらづみ!」欄の書評コラム、担当2回目は、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を取り上げました。自分は比較的、タイトルのように考えてきた方だと思うけれども、世の中が不平等であるということについてもやもやした気持ちを持ちつつも、「能力主義」についてここまで突き詰めて考えることもなく、いままで来ました。そんな自分をとても動揺させ、ずっと考えさせ続けてくれる一冊でした。この記事で興味を持ってもらえたら、是非読んでみてください。
今日で旅立ちから18年。
思えば今日は、長旅に出発した日からちょうど18年。
26歳で、あらゆる関係性や立場を脱して、あてなく自由な生活を異国でスタートするというのは、最高に開放的で嬉しかった記憶がある。旅が終わる日なんて想像つかなかったし、ましてや自分が40代になる日がくるなんて(そしてもう40代半ばだけれど)。
思い出すと感傷的な気持ちにもなるけれど、当然のことながら時間は経つし、年もとる。人生は長くない。過ごした時間に後悔がないように過ごす以上にできることはないなと改めて思う。
写真は出発翌日、豪州着陸直前の朝。この日シドニー在住の友人宅にひとまず泊めてもらうところから、長い5年半が始まった。
ちなみに、旅立ちの直後から書きだしたブログがこちら↓。
http://bloggers.ja.bz/ykon/archives/2003_06.php
当時、ネットなどに詳しい大学の友人、須之内くんが、結婚式を機に作ってくれたブログ。
須之内「これから『ブロッグ』ってのが流行り出すと思うよ」
自分「ブロッグって何?」
2003年はそんな時代。
文春オンラインにて、文庫版『吃音 伝えられないもどかしさ』の一部が読めます
今朝、文春オンラインに、先月発売した拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮文庫)の本文が、まとまった量掲載されました。前編は、本書の主人公とも言える男性が、自身の過去を話す場面。後編は、吃音に悩まされる小学生とそのお母さんの紆余曲折の日々の一部です。話してくださった場面が心にとても残っています。
本をちょっと読んでみたい、という方がいらしたら、是非読んでみてください。
(前編)
「自由に話せたという記憶はない」17歳で自殺未遂…言葉の詰まりを抱える男性が直面した“厳しすぎる現実”
https://bunshun.jp/articles/-/45607
(後編)
「春樹くんってこんなに元気だったんだ」“言葉の詰まり”に苦しむ男の子の様子が激変した“きっかけ”とは
https://bunshun.jp/articles/-/45608
少年院で会った少年
最近、朝日新聞で「最後の砦 少年院の日々」という連載(全3回)が掲載されていました。
(⇒念のためですが、これは自分が書いたものではありません)
自分自身、年末と年始に少年院に行って話を聞き、少年院にいる少年の多くは、きっとそれぞれに、何らかの困難があったり様々な事情を抱えているのではないかと感じるようになりました。その中で会ったのが、重い吃音のある少年でした。
彼のような少年のことを少しでも広く知ってもらえるきっかけになればと思い、『吃音』の文庫版あとがきの最後に彼のことを少し書きました。読んでいただけたら嬉しく、その部分をアップします。よかったら読んでみてください。彼が、いい形で再スタートを切っていることを願っています。
読売新聞月曜夕刊 本よみうり堂 の「ひらづみ!」欄の書評コラム執筆メンバーに4月からなりました。
4月から一年間、読売新聞月曜夕刊 本よみうり堂 の「ひらづみ!」欄の書評コラムの執筆メンバーになりました。ベストセラーになっている本を扱う欄で、ぼくは2,3カ月に一度程度、ノンフィクション関連のものを担当します。その一回目が先週19日に掲載されました。河野啓さんの『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社)について書きました。
独自の方法による登山にこだわった栗城さんの生き様、そして死には思うことが多く、複雑な思いで読みました。開高健ノンフィクション賞受賞作。栗城さんが抱えた「秘密」とは。賛否あれど、濃密な人生だと感じます。冒険家に憧れながら、そうはなれない性分だけに。
読後、他の読者と語りたくなる一冊でした。以下に記事をアップします。本も機会ありましたら是非。
『吃音 伝えられないもどかしさ』文庫版が発売になります。
『吃音 伝えられないもどかしさ』の刊行から早いもので2年以上が経ち、この度、装いを新たにして新潮文庫の一冊となりました。重松清さんに、身に余る、自分にとっては宝物のような解説をいただき、また文庫版あとがきを書き加え、全体を見直して表現や情報を若干修正しています。
さらに広く多くの人に届いてほしいです。4月26日発売です。
どうぞよろしくお願いします。
4月10日(土)13時~、毎日新聞LA特派員の高校後輩と旅と書くことについてclubhouseで放談
アメリカから熱い記事を書き続ける毎日新聞の福永方人記者が、2つ下の野球部のクールイケメンの福永君だったとは…!と知ったのは昨年のこと。興味持ってくれる人もいるかもしれないと、旅から文筆業へと進んだ同窓の記者とライターとしてclubhouseで話してみようと。質問も何でもOKです。文筆業に興味ある若い人等、よければお気軽に!
4月10日土曜日 13時~です。
clubhouseのリンク
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【旅と物書き】世界を旅しながらライターになった近藤雄生さん、アジア~中東をぶらついた毎日新聞LA特派員が放談
ツイッター上で数十年ぶりに「再会」した高校の先輩後輩が、旅すること、書くことについて語らいます。どなたも歓迎。質問も受けます。
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100万人が苦しむ吃音 新人看護師を自死に追いつめた困難とは
2013年に自死された看護師の飯山博己さん(拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』に詳述)について、昨年10月の労災認定の判決を受けて書いた記事が、ウェブ「考える人」に掲載されました。掲載までだいぶ時間がかかってしまいましたが、弁護士の見解や自分の考えを含め、思いを込めて書きました。
ご家族に写真も複数枚提供いただきました。飯山さんの人生について、少しでも多くの方の記憶にとどめていただける機会になれば嬉しいです。
吉田亮人さん『しゃにむに写真家』(亜紀書房)を読みました。
吉田亮人さんの『しゃにむに写真家』(亜紀書房)読了。
順調に小学校の先生として働いてるときに、奥さんに突然、そのままの人生でいいの?と問われた(!)のを機に写真家として歩み出し、世界的に評価されるまでになる10年の道のりを書いた半自伝的エッセイ。
吉田さんは自分にとって最も身近な写真家で、友人、仕事仲間として、まさにこの10年を一緒に過ごしてきた存在。僕もさまざまに影響を受けてきました。そうして吉田さんをよく知る立場から見て、上記の驚きの転身劇同様、内容も文章も、彼の素直な人柄が全体から滲み出る一冊だった。整ったとても気持ちのいい文章。
読んでると前半は、奥さんにお尻を叩かれながら淡々とやってるうちに知らぬ間に成長してた、という感じもするものの、最後の第3部、この本の最大のテーマでもある従弟とおばあちゃんの話に入ると、吉田さんが写真家として深く思考し、対象と肉薄しながら写真を撮り、なるべくして写真家になっていったことがよく感じられる。第3部が特に素晴らしいです。
思い切って一歩踏み出そうかどうしようかと悩んでる人にきっと、よし、やってみよう!と思わせる内容。僕も力をもらいました!
僕も少し登場します。一方、吉田さんは拙著『まだ見ぬあの地へ』に登場します。
1月10日の毎日新聞に『まだ見ぬあの地へ』に関連したインタビューを載せてもらいました。
1月10日の毎日新聞に、『まだ見ぬあの地へ』に関連したインタビュー記事を掲載していただきました。
大学に入るまで本当に一切本を読んでないに近かったので、人生の展開は未知だなとつくづく思います。タイトルの「劣等感」というのは吃音に起因するものです。
<全てのコンプレックスがプラスに転化できるとは簡単には言えませんが、そこから抜けだそうとすることが自分に合った生き方が見つかるきっかけにもなると思います>
オンライン版↓(有料記事)
https://mainichi.jp/articles/20210110/ddm/014/040/018000c
執筆は栗原俊雄記者。写真も同じく栗原さんに、2年前の『吃音 伝えられないもどかしさ』刊行の際のインタビューで撮ってもらったものです。
ありがとうございました。
ノンフィクションとギターの一年に。
今年は最近では初めて、一枚も年賀状を書かずに新年を迎え、そのまま今に至ります…。ついに気持ちが切れてしまい、年賀状は終わりになりそうです。いただいた皆様、ありがとうございます。いずれにしてもなんらかの形でお返事しようと思っています。
今年で45歳(!)になるのですが、ここ数年、一年が早すぎて、残りの人生で自分は何ができるのか、あと何冊、本を書くことができるのだろうか、ということばかり考えているような気がします。
40代に入ってからはいよいよ、経験のために何でもやる、という時期を過ぎ、自分が本当にやるべきこと、やりたいことに時間を使わないときっと後で後悔するだろう、という気持ちが強まっています。それゆえに特に今年は、その気持ちを大切に本当に自分がやりたいと思う仕事にできる限りの時間を使いたいと思っています。もちろん、生活のことを十分に考えることは前提として(5年ほど前に一時経済的に生活が崩れかける経験をして、そのバランス感覚はだいぶ身につきました)。
次に書こうと考えているのは、人間がいかに原子を発見していったかを巡る物理学の歴史ノンフィクションです。いまはこれが自分の最大のテーマです。調べるほどに壮大で、ギリシャ哲学を紐解きながらときどき途方に暮れつつも、なんとか今年はこれをぐぐっと進めたいです。
一方、昨年8月に、たまたま古いアコースティックギターを譲り受け、弾き始めました。すると想像以上に楽しくて、ものすごくはまり、すぐ飽きるかなと思いつつも、5か月たったいまも毎日1時間以上は練習しています。今年7月の誕生日まで、今の気持ちを保てたら、いいギターを購入しようと思っています。そんな気持ちで年始に楽器屋さんに行って、ちょっといいギターを弾かせてもらったら、音も感触も全く違って感動し、ギターがほしくたまらなくなってます(7月まで待てないかも)。そして、そのように仕事以外にすごく楽しいと思える趣味が見つかったことが自分的にとても嬉しく、今年は、そういう意味でも、やりたいことをして過ごす時間も大切にしたいと思っています。
いまは、「Tears in Heaven」と「香水」がそれなりにできるようになって(ってもちろん初心者的所感ですが^^;)、これからジャック・ジョンソンの「Better Together」をはじめようというところです。あと1年ぐらいしたら、ちょっと人前で弾けるようになっていたいな、というのがささやかな目標です。
しかし、何歳になっても新たに何かを始めるのは本当に楽しいし、日々を豊かにしてくれるなって改めて感じています。未知の荒野に道ができていく感覚がやはり好きです。
では、本年もどうぞよろしくお願いいたします。