12月22日の毎日新聞書評面「昨日読んだ文庫」に、『宇宙創成』(サイモン・シン、新潮文庫)について書きました。

12月22日の毎日新聞書評面「昨日読んだ文庫」欄に、『宇宙創成』(サイモン・シン、新潮文庫)について書きました。ビッグバン理論の誕生を巡る科学の歴史と人間ドラマ。来年は、この延長戦上にあるテーマのノンフィクションを書き始めたく、最近はその準備を進めています。

久々に宇宙論や物理学を自分なりに学んでみると、その壮大さに圧倒され、いろんなことが気になってきます。最近では、イタリアの理論物理学者であるカルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』『すごい物理学講義』というのを立て続けに読んでいて、両方ともとても面白かったです(後者はまだ途中ですが)。物理学を構築してきた先人たちへの深い敬意と、宇宙やこの世界を形成する根本原理への畏敬の念みたいなものがあふれていて、かつ文章が詩的で、その姿勢に惹かれます。

大学1年のとき、物理学を真剣にやりたいと思いつつも、相対論や量子論の講義が全く理解できなくて割とすぐにあきらめてしまったのですが、いま改めてしっかりと色々読んでみると、真面目にやればきっともっと理解できたような気がして、もったいなかったなあと感じます。でも、まあ当時、すぐにあきらめたというのは、結局そのくらいの気持ちしかなかったんだろうなとも思います。

その中途半端に終わった物理学への思いを、今後ノンフィクションという形で、自分なりに完全燃焼させたいと思っています。完成まで何年かかるかわからないけれど…。

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重松さんとのトークを半年経って振り返り、いま少し補足したいこと

先日、ウェブ「考える人」にアップされた重松清さんとのトークは、今年5月に行われたもので、すでに半年以上前。その後、いろんな場で話したり、人と会ったりを繰り返すうちに、いまならこんなことも話したかもしれないと思う点があり、少し補足まで。

記事の中には含められなかったのですが、重松さんとのトークの時、「辛さを抱える吃音の当事者はどうすればいいのか」という問いに対して、ぼくはどう答えていいかわからず、ただ「わからない、解決策がない」という感じで答えたように記憶しています。それに対して重松さんが、「解決には至らなくても理解してもらえたら、それだけでも意味があるのでは」といった趣旨のことをおっしゃったときに、ああ、そうだなあと思いつつも気持ちをうまく表現できなかったことも記憶しています。

その後もしばらくは、解決策がないという難しさばかりに意識が向かいがちだったのですが、ここ数カ月の間に、多くの当事者の方たちと話し、やり取りをする中で、改めて、人と人がつながることの意味の大きさを強く実感するようになりました。特に10月に、大阪で開催された言友会全国大会の際、当事者同士で夜遅くまで語り合った時にそう感じました。吃音に関わる困難そのものを直接的に解決できなかったとしても、やはり当事者や関係者がお互いにつながれる場があることはすごく大きな力になる、と。

いま、若い人たちを中心に、当事者同士、LINEでお互いの気持ちを共有する場を持ったり、定期的に集まって交流したり、という機会が多くなっています。それは本当にいいことだなって思いますし、きっとそれは一つの解決策というか、それぞれが困難を乗り越える大きな力になっているのではないかと感じます。

しかしその一方、そういう場や人間関係を持てない人もいると思います。そういう仲間を持てている人は当事者全体からみたら少数なのかもしれません。そのような中で、最近自分が思うのは、辛いときには「逃げる」という選択肢を持っておくことの大切さです。

学校でも職場でも、辛くてどうしようもなかったりしたら、無理して行き続けることはないし、行かない、またはやめる、という選択もしていいんだっていうことをどこかで思っておいてほしい、とよく思います(この夏ごろ、しばらく保育園に行くことができなくなった娘を見ていた影響もあるかもしれません)。もちろん、いろんな状況から、簡単にはそうはできないかもしれないけれど、でも、生きているのが嫌になるくらい本当に辛かったりしたら、何をおいてもまずそこから逃げる、ということをしていいし、する方法を考えてほしい、と。

そこまで至らなくても、辛かったら、弱音を吐いたり、人に頼ったりすることも必要で、決して我慢してがんばるのがいいわけではない。とにかく、自分が楽になることを第一に考える、ということが何よりも必要な時はあるし、そういう気持ちをどこかに持っておいてほしい、といまはよく思います。

『吃音』出版後、重松さんとのトークをはじめ、いろんな人とやり取りをしていった中でのいまの気持ちを、記録まで。

京都新聞夕刊「旅へのいざない」第8回 ロシア(毎月第一木曜日掲載)

京都新聞夕刊連載「旅へのいざない」第8回は、ロシア。モンゴルからロシアへ入り、シベリア鉄道で足掛け9日間移動して、再び中国へ。日本を出て4年になり、当時の自分の現状についてあれこれ悩みながらの鉄道での日々について書きました。ひとまず第12回での完結を目指してます。

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「吃音」をもっと知るために~重松清が近藤雄生に聞く 

すでに半年がたってしまいましたが、重松清さんに聞き手となっていただく形で5月に下北沢のB&Bで実現した、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』の刊行トークイベントが記事になり、ウェブ「考える人」に掲載されました。

重松さんの素晴らしいリードとお言葉の数々、熱心に聞いてくださった来場者の皆さまのおかげで、深く心に残るイベントになりました。今日から4日間連続更新の全4回です。是非多くの方に読んでいただきたいです。
どうぞよろしくお願いします。

「吃音」をもっと知るために~重松清が近藤雄生に聞く


重松さんにいただいた書評も、改めて掲載してもらっています。未読の方は是非こちらもどうぞ。

〈書評〉理解されない苦しさ、を理解するために。

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戦争で残虐な行為に手を染めた二人の元日本兵が語った言葉(映像)

ぼくは学生のころ、日本と中国をテーマとした映像制作を中国人留学生はじめ複数の学生たちとともにやっていました(『東京視点』)。その中で自分が中心となって作った作品の一つに「ある二人の戦後」(14分、2002年)があります。戦中から戦後にかけて中国で残虐な行為に手を染めたと語る二人の元日本兵(永富博道さんと湯浅謙さん)の姿を撮ったものです。

先日ふと、こうしたことを語れる人がもはやほとんどいないということを考える機会がありました。そこで、やはりすでに亡くなられているこのお二人が自らの過去を思い出して語る姿はもっと広く見られてほしいという思いがわき、ここにアップしようと考えました。

いま見ると、内容的に不十分な部分が多々あって作り手としては気恥ずかしくもあるのですが、若いころに多くの人を残虐な方法で殺し「閻魔大王」と呼ばれたという永富さん、そして、生きたままの中国人を解剖したことを語る元軍医の湯浅謙さんが、戦後半世紀以上が経ってから自らの行いについて語る姿をこのような形で記録できてよかったと、改めて思ってます。永富さんが涙ながらに思いを語る部分は、何度見ても胸がいっぱいになります。

永富さんはこの映像を撮った2、3ヵ月後に亡くなられました。そのタイミングに何か意味を感じざるを得ない永富さんの言葉があったこともあり、当時ぼくは、永富さんへの追悼文を書く機会をいただきました。その追悼文も映像の下に載せました。それを読んでいただくと概要がわかるかと思います。その上で、よかったら映像も見ていただければ嬉しいです。

そして先ほど、この映像のアップ作業を始めた昨日11月4日がちょうど永富さんの命日であることに気づかされ、何かただならぬ思いを感じています。


追悼文:『季刊 中帰連』23号(2002年冬)に寄稿
映像:2002年制作(近藤雄生、吉田史恵)「東京ビデオフェスティバル2004」優秀作品賞受賞

(以下が追悼文です)

「永富さん、安らかに」 (近藤雄生、『季刊 中帰連』23号 2002年冬)

私は永富さんについてほとんど何も知らないといってもいいかもしれません。少なくとも永富さんにとって私は一介の若者以上のものではないはずです。そんな自分がここに永富さんの追悼文を書かせていただいて本当にいいものだろうかと、正直多少とまどいを覚えながらも、その機会をいただけたことを感謝しています。

私が永富さんのことを知ったのはほんの最近のことであり、お会いしたのも先の八月のある真夏日のたった数時間あまりでしかありません。永富さんの八六年に及ぶ人生の中に自分が多少なりとも直接的な関係を持つことが出来たのは、ドキュメンタリー映像を作るための取材でお会いした、そのほんのわずかな時間だけでした。しかしそれは、私にとってどれだけ長い時間に匹敵するか分からないほど貴重な出会いだったということを今、切に感じています。

そのころ私はもう一人の同年代の者とともに、生体解剖に関わった元軍医である湯浅謙さんの現在の活動を取材しており、そのときに湯浅さんから永富さんをご紹介いただきました。永富さんが近くの老人ホームにいらっしゃると聞いて、是非お会いしたいとお願いしました。「閻魔大王」と呼ばれていたほどの永富さんが今何を思いながら生活されているのか、私は聞いてみたいと思ったのです。

突然の訪問にもかかわらず快く私たちを迎え入れてくださった永富さんの、私たちへの最初の言葉は、「申し訳ありません、申し訳ありませんでした……」というものでした。背中を丸め、前かがみになりながら、しっかりと手を合わせて祈るようにそうおっしゃる姿を前に、私はなんと対応していいものか分からず、ただ沈黙し続けていたことを覚えています。

ただじっと聞いていることしかできない私たち若者に対して丁寧な言葉で接してくださるその姿からは、この人がそれほど残虐な行為を繰り返したなどということがどうしてもイメージできませんでした。しかし、そのギャップこそが現実だったのだと思います。永富さんの人生が半世紀以上前の話だけで説明されるものでは決してないという当然のことが、本人を目の前にして再確認できたような気がしたのです。特異な経験を経てきた人の人生は、その特異さだけで語られがちになりますが、もちろん実際にはその何倍もの、他の人と変わらぬ静かな日々が続いています。数々の残虐な行為と戦犯管理所での生活を経た後に、永富さんには四〇年ほどの時間がありました。私の会った永富さんはその全ての時間を内に抱えていたのです。それは、過去を見つめ、そして今自分が生きていることの意味を深く考える一人の老人の姿でした。

意識がない状態で同じ老人ホームに暮らしていらっしゃる奥様のことに話が及んだときに、永富さんのただならぬ思いはもっとも強く伝わってきました。

「生かされているというだけで…、ほんとうに幸せです…」

家内は「眼も見えない、口もきけない…、死んでるとおんなじ」です。しかし、生きている。その生きているという事実がいかに大きなことなのか…。「死んだらもうさわることもできない…」生きているからこそ、「毎日、いって、さわって、手を握って」やることができるんです…。「生きているということだけでも、ほんとうに幸せです…」

多くの人の命を自ら絶たせてしまった永富さんが、目を潤ませながらおっしゃったその言葉からは、他のどんな人にも表しえない重みと感慨が滲み出ていました。そのときの永富さんの涙は、奥様へと同じくらいに今生きている自分自身に、そして何よりも、彼が命を絶たせることになってしまった多くの人たちにへ注がれていたような気がします。

その涙は、いつしか取材を続ける私たちのもとへとつたってきました。

そしてその日から一ヶ月半ほどして、ドキュメンタリー映像は完成しました。

永富さんが亡くなられたのはその映像のテープを氏のおられた老人ホームに送ってから三週間ほどしてからのことです。テープが着いた頃にはすでに他の病院に入院されていたということを知らず、「永富さんはあれを見てどう思ったかな…」などとのどかに考えていた自分にとって、彼の死はあまりにも突然のことでした。

死の報告を受けたとき、永富さんのおっしゃっていたある言葉が頭をよぎりました。体が不自由になってはいるけど、特に病気もなく今を過ごしていることについて、

「私は死なせてもらえないのです。自分の罪をすべてこの世でぬぐいつくせるまで私はしぬことができないみたいなのです。…まだすべきことがたくさんある。そのためにこうして生かされているのではないかと思うんです…」

永富さんは「すべきこと」を終えることができたのだろうか…。それはしかし、私には分かるはずもありません。ただ、ちょうど偶然にも私たちがこの時期に映像を撮ることになったことが、もしかしたら死を迎える前の永富さんにとっての「すべきこと」に何らかの関係があったのか…そんな気がしないでもありません。私たちが作ったものが、少しでも永富さんが安らかに眠れず材料になればと願うばかりです。
(終)

大阪で開催された言友会全国大会に参加して

10月13日と14日、大阪で、吃音の当事者団体である言友会の全国大会に参加しました。

台風の影響で、3日間だったところ12日が中止となるなど、直前まで大変な状況ながら、実行委員の皆さんのご尽力によって素晴らしい大会になりました。さまざまな充実したプログラムがあり、全体での会も、分科会も、参加したものはどれも印象に残る時間となりました。僕はその中で講演の機会をいただきました。

実行委員のみなさま、改めてお疲れ様&ありがとうございました。

夜は会場に併設されたユースホステルに皆で宿泊して深夜遅くまで懇親会。多くの当事者の人たちと話しながら、多く笑い、いい出会いに嬉しくなるとともに、それぞれの経てきた日々を思い、胸が熱くなること多々ありました。吃音のみならず、個々の様々な問題について、互いに想像力と寛容さを持ち合える社会になってほしいと改めて思いました。

吃音の問題についていえば、自分が学生で悩んでいたころに比べると、ネットによって当事者同士がつながり、問題を共有し合うことが容易になったことは本当に大きいと思います。それでも、職場や学校で吃音で困り悩むときはそれぞれ一人。その苦しさを軽減するのは容易ではありません。だからこそ、苦しいときは、弱音を吐き、人に頼り、逃げるという選択も大事だと思うし、逃げていいんだと思ってほしいです。無理をせず、それぞれ自分が楽に生きられる方法を考えてほしい。僕にとっては、それが旅へと出ることでした。

一方、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』に寄せられた多くの感想からは、当事者ではない人の多くが、吃音について真剣に考えてくれていることを感じました。からかわれたり、笑われたり、というネガティブな経験を持っている当事者は多いけれど、それはきっと吃音の困難が知られていなかったことが大きくて、ちゃんと知ってもらえたら、少なからぬ人は理解してくれようとするのではないかと感じました。そこに希望を感じるし、本に寄せられた数々の温かい言葉から、きっとそうなんだと思うようになりました。

同時に、私たち当事者の側も、当事者でない人が問題を理解することが難しい、ということを理解する必要があると感じています。それは吃音以外のあらゆる問題でも同じはずであり、自分たちも、吃音以外の問題を抱えている人を知らずに傷つけているかもしれない。そのことを意識しなければならないと思います。

みながお互いにその可能性を意識しつつ、想像力を持ちあうこと。お互いに、自分とは違う立場の人に寛容になること。そんなことが大切なのではないかと、改めて思うようになっています。

そんなことを講演会でお話しさせていただきました。

本当に素晴らしい大会でした。
また皆さんにお会いできる機会を楽しみにしてます。
実行委員のみなさま、本当にありがとうございました!

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ウェブ「考える人」に科学の本10冊を紹介するエッセイ、京都新聞夕刊に「旅へのいざない」北朝鮮。

☆ウェブ考える人のリレー書評「たいせつな本」に、科学の本10冊を紹介するエッセイを書きました。
https://kangaeruhito.jp/article/10264


紹介したのは、以下の10冊。
立花隆『宇宙からの帰還
コペルニクス『天体の回転について
ガリレオ『天文対話
トーマス・クーン『科学革命の構造
森田真生『数学する身体
福岡伸一『できそこないの男たち
チェリー・ガラード『世界最悪の旅
スティーヴン・ホーキング『ホーキング、宇宙を語る
幸村誠『プラネテス』(全4巻)
サイモン・シン『フェルマーの最終定理

自分の次のテーマを探りつつ、再読したり新たに読んだり。宇宙、物理、数学、科学史などのノンフィクションに漫画も。どれかを手にとりたくなってもらえますように。

☆京都新聞夕刊連載「旅へのいざない」第6回は北朝鮮(10月3日掲載)。よくあんな無茶な方法で国境の橋を渡れたものだと、当時の無知、無謀さに我ながら驚く。しかしそれが若さが持つ力でもあるはずで、当時の自分が羨ましくもあります。

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母校で講義 & 各賞の選評を読む

先週、母校の高校で講義をする機会をいただきました。じつは2011年3月に、高校に講義のために呼んでいただいたことがあったものの、直前に東日本大震災が起き、急遽キャンセル。それから8年半が経って、また違った形で実現しました。今回は、障害講座で吃音について話してほしいというご依頼で、生徒や保護者の方々の前でお話しさせていただきました。

自分が吃音で悩みだしたのが、まさに高校時代だったこともあり、話しながら当時の感覚が蘇りました。バスケ部でキャプテンをしていたとき、円陣を組んで掛け声をかけるのが本当に嫌で、悩んだなあとか。その一方、考えてみたら、授業中などでは不思議なことに吃音で悩んだ記憶はほとんどない。なぜだろう。

学校全体の雰囲気もほとんど変わってなく、校舎や体育館を見ては懐かしい日々が思い出され、ああ、青春だったなあ、と感慨に。校内を歩いている中、当時いらした先生の何人かとも挨拶。すでに卒業から24年かあ、としみじみ。

そしてその帰りに、コンビニで『週刊現代』と『週刊新潮』を購入。今号にそれぞれ、講談社本田靖春ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞の選評が載っているのです。両賞とも落選ではあったものの、各委員からお褒めの言葉をいただいて大いに励みになりました。しかし、ギリギリだったと言われると、嬉しさとともに残念さも増してしまう。でもその思いは、次作へのエネルギーにしなければと思います。

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物理学をテーマに

物理学の歴史をテーマにしたノンフィクションを書きたいという気持ちがだんだんと固まりつつある中で『ホーキング、宇宙を語る』を読んでます。もう古典のような本で、30年くらい前に確か途中で挫折して以来の再読なのですが、なんとなくしか理解できてなかった事柄がすごい的確でシンプルな比喩で説明されてて感動してます。

学生時代、一度ホーキング博士が大学に講演に来たことがあり、その時、一枚のパワポの中央に確か、りんご一つだけが描かれた図がありました。どういうことだろうと思ったら、機械を使った音声による彼の説明の後に、そのリンゴだけの図が見事にその説明の全てを物語っていることを知って感動した記憶が今も残っているのですが、この本もまた、そのような魅力に満ちています。彼のような天才的な人物が、わかりやすい言葉で伝える力も備えているというのは、本当に稀有でありがたいことのように、読んでて思えます。

吃音というテーマをひとまず書き終えたいま、次の数年間、場合によっては40代のかなりの時間を費やすことになるだろう次作のテーマを何にすべきなのかとしばらく考えてきたのですが、やはり自分はサイエンス、特に物理にまつわる人間ドラマが書きたいという気持ちが強まっています。サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』のような作品が長年の憧れなのですが、あの本のような絶大な魅力と深みを持つ本を目指すとき自分はどんなテーマを選ぶべきなのか。ずっと考え続けている中、ぼんやりとながら、テーマが具体的になってきているのですが、果たして書いていけるのか…。
この本を読みながらも、そんなことを考え続けています。

先月受賞作の発表があった新潮ドキュメント賞も、講談社のに続いて残念ながら落選。しかも結果の連絡が来るという日の朝に、まだ新しいスマホが突然壊れるという不吉なアクシデントにも見舞われて、結果もそれに追随するような感じでアウト。キャンプ中だった中、それから1日ぐらいテントの内外でがっくり来てましたが、今となっては、その残念な思いが次作へのエネルギーになった気も。

これから、力を尽くして取り組みたいです。

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『月刊すこ~れ』連載 「子どものなぜへのある父親の私信」第3回(2018年11月号掲載)

『月刊すこ~れ』2018年11月号掲載の連載第3回です。

Q シイタケが嫌い。でも、「好き嫌いしないで、食べなさい」って言われる。なぜ、嫌いなものも食べないといけないの? 

A ぼくも子どもの頃、シイタケが嫌いでした。いまは美味しいって思うけれど、当時は、なんでこんなものを好んで食べる人がいるのだろうと不思議でした。でもやはり、親には「食べなさい」って言われたし、いま自分自身、子どもに対して、好き嫌いはよくないよと、当然のように言っている気がします。
 でも、「どうして嫌いなものも食べないといけないの?」と問われると、じつは少し考えてしまいます。栄養が偏らないようにというのが、おそらく一番よく言われる理由でしょう。でも、よく考えると少し疑問も。もちろん、野菜を一切食べなかったり、嫌いなものがすごく多かったりすれば、栄養が偏って身体によくないと思いますが、たとえばシイタケだけを食べなくても、そんなに問題ではないのでは? 栄養という意味では、きっと他の食べ物で補えるし、何か一種か二種だけを食べなかったから病気になるということはおそらくないような気がします。そう考えると、嫌だなと思うものを無理に食べる必要は、ないのかもしれません。そのためにご飯が楽しく食べられなかったら、その方が問題のようにも思います。
 ただその一方で思うのは、食事にはいつも、作ってくれた人がいるということ。お母さんやお父さん、おばあちゃんやお店の人。好き嫌いしないで食べられたら、そういう人たちが喜んでくれるということはきっとあります。特に、毎日のご飯を作ってくれる人、たとえばお母さんやお父さんは、家族が何でも食べてくれたらきっと嬉しい。ぼく自身、まさにそうです。逆に、自分が作った料理を子どもが、「これは嫌!」って言って残したら、悲しい気持ちになってしまいます。
 でも、作った人のことを考える以上に、好き嫌いなく何でも食べられたら、きっといつも食事が楽しくなるし、毎日の喜びも増えるはずです。それが何よりも大切なようにも思います。そのことを知っているから、大人は子どもに、好き嫌いしないように、っていうのかもしれませんね。  

Q 猫や犬を殺してはダメ。でもどうして牛や豚は食べてもいいの?

A 多くの日本人は、牛、豚や鶏を肉として食べることにおそらく抵抗はないでしょう。でも犬や猫を食べることは、普段はまずありません。ペットとして飼い、一緒に暮らす対象です。しかし韓国や中国では、犬を肉として食べることもあります。一方、インドに行けば、牛はとても大切にされていて、基本的には食べません。また、イスラム教の国では豚を食べないのですが、その理由は、大切にされているからではなく、汚い動物と考えられているからです。そしてオーストラリアでは、牛や豚などに加え、カンガルーもよく食べられます。とてもたくさんいるからです。
 こうしてみると、人がどの動物を食べて、どの動物を食べないかは、その国や地域の風土、文化、宗教など、様々な要素と関係しているのがわかるでしょう。
 つまり結局は人間側の都合であって、どの動物は食べてよくて、どの動物はダメ、ということにみなが納得する客観的な基準はありません。
 ただ、確かなのは、生物は生きていくためには他の命を食べなければならないということ。人間も、他の生命を殺し、食べることがどうしても必要です。しかしそれは本当に重いことです。自分たちは他の生命によって活かされているのだということを、私たちは常に意識しておかなければならないと思います。
 昔、アマゾンのある民族の話を読んだことがあります。その民族の人たちは、子どもが生まれると、一匹の子猿を飼い、子どもとともに育てるそうです。すると子どもと猿は、仲の良い親友として一緒に大きくなっていきます。しかしその子が、一定の年齢に達し、大人になる儀式を行う時に、その猿を殺してみなで食べなければならないのです。その子は当然、とても嘆き苦しみます。残酷なことに思えるかもしれません。しかし、他の生命を食べて生きていくというのはこういうことなのです。そのことをしっかりと知って生きていかなければならないのだ、というこれ以上ない教育法なのでしょう。
 私たちはいま、食べることの重さを少し忘れすぎているのかもしれません。

気持ちに素直に、進みたい進路を。旅と生き方の講義のレポートを読んで。

旅と生き方の講義のレポート、200人弱の分を読んでいます。多くの学生が次のように書いているのが印象的でした。

<なんとなく日々を過ごし、時期が来たらとりあえず就活する。それでいいのかなと若干疑問に思いつつも、大学時代とはそんなものだと考えていた。でもそうじゃなくていいことに気づかされた。一年遅れるしなあと迷っていた留学に行くことに決めました。夏は旅に行ってみることにしました。やろうと思っていたことに思い切って挑戦してみることに決めました>

と。今の学生は内向きで従順で、などと思いがちだったけれど、きっかけがないだけなのではないかと思います。やりたいことをみなが必ず追求すべきだとは思わないけれど、システマティックに進んでいく学生時代を少しでも疑問に思うのであれば、やりたいことをやっていいんだと、背中を押してあげたいとすごく思います。

お金のことなど現実的な問題は別として、一年遅れたらヤバイとか、履歴書に空白時期があってはいけないとか、人生的には本当にどうでもいい、ただ企業の採用的にだけ意味をなすローカルな価値観を、社会が意識させすぎではないかと思います。

1年や2年遅れようが、振り返れば人生に影響はほとんどないし、遅れないようにとわけもわからず就活をするよりも、疑問があれば、立ち止まって自分がどう生きたいかをじっくり考える期間を持つ方がよっぽど大切だと感じます。その上で、本人が納得した上で就活をするならする、別の道を進むなら進む、という選択を後押ししたい。

僕の講義は、人生の長い道のりを考えたとき、若い時代の旅は少なからぬ意味をもちうること、同時に、生き方はそれぞれ違って当然だということを、15回かけて様々な角度から伝えるのが目的なのですが、毎回の講義に対しての学生の感想やレポートを読むほどに、思い切って自分の道を進んでいっていいんだということをこれまで全く言われたことがないらしい学生が多いことに気づかされました。

もちろん、やりたい道に進んだ結果、思う通りに行かず苦労する可能性は大いにあります。頑張れば夢は叶うとは僕は思っていません。ただ、こう生きたいと思って自分なりに方法を模索して、考え、動いていけば、思い通りには行かずとも、きっとそれまで見えてなかった広い世界が目の前に見えてくる、そしてそれなりに道は開けていくはずであると思っています。

だからみな、気持ちに素直に、進みたい進路を選んでほしいと思います。そこで思い切り動いて悩んで、人生を模索してほしいなと。その際に旅は、きっと大きなヒントを与えうるものであるはずです。応援しています。

Yahoo!ニュース|本屋大賞「2019年 ノンフィクション本大賞」にノミネートされました

先ほど、 Yahoo!ニュースと本屋大賞による「2019年 ノンフィクション本大賞」のノミネート作品の発表があり、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』も、その6作品の中に入りました。投票していただいた書店員の皆さま、ありがとうございました。
https://news.yahoo.co.jp/promo/nonfiction/#section-nominee

これを機に、拙著もさらに多くの人に届いてほしいと願うと同時に、ノミネート作品のみならず、ノンフィクションという分野全体が盛り上がる一つのきっかけになってほしいなと思います(この賞の創設の目的がまさにその点なのですが)。

次に自分がどのようなテーマに取り組むべきかずっと考えてきましたが、ようやく、ぼんやりとながら、これを書きたい!と思うテーマがここ数日の間に見えてきました。今ぼんやりと頭に思い浮かべているテーマを、なんとか数年のうちに、実際に手に取れる本の形にしていきたいです。

『吃音』は、一昨日5刷が決まりました。想像以上に多くの方に、想像していた以上に多様な形で「伝えられないもどかしさ」を受け止めていただいていることが感じられて嬉しいです。読んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。

講談社 本田靖春ノンフィクション賞、残念ながら受賞ならずでした

今日は午後、東京での取材を終えて、夕方、講談社 本田靖春ノンフィクション賞の結果を待つため新潮社へ。担当編集者と編集長とともに新潮社クラブで緊張の1時間を過ごした後に連絡があり、はっと息を止めた数秒後には、受賞には至らなかったことを知りました。

思ってた以上にずっしりとショックを受けましたが、その後、残念会的に美味しいジンギスカンを3人で食べに行っているうちに気持ちがだいぶ切り替わりました。

そして松本創さんの『軌道』が受賞したこと、自分の残念さとは別に、改めてよかった!と思いました。松本さんが10年以上の期間をかけた素晴らしい作品です。是非これを機にさらに広く読まれますよう。

応援してくださった皆さま、どうもありがとうございました!

重松清さんとのイベント(5月31日@下北沢B&B)を振り返って

5月31日に下北沢の書店「B&B」で、拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』の刊行に際して、作家・重松清さんとトークイベントをやらせていただきました。

そのレポートをすぐ書きたく、早々に書き始めていたのですが、力が入りすぎて?なかなかまとまらず……、アップできないままだいぶ日が経ってしまいました。

自分にとって、重松さんのような大御所の作家の方と一緒にイベント、というのは初めてのことで、しかも聞き手になってくださるというので、本当に自分なんかで大丈夫かな、、という思いが強く、始まる前はだいぶ緊張もしていました。しかし重松さんにお会いして、実際にトークイベントが始まってみると、思っていた以上に、いい具合に進んでいっているらしいことを感じました。

重松さんがぼくに質問をし、それにぼくが答えつつ、重松さんもご自身の経験を話されるという形で進行していったのですが、重松さんのリード、構成、そしてご自身の言葉が素晴らしく、自然と話が深まっていったように思います。

普段、重松さんは、誰かと一緒のイベントというのはほとんどなさらないそうなのですが、今回ご快諾いただいたのは、それだけ吃音というテーマが重松さんにとって重要だったということだと思います。そしてトークが進んでいく中で、重松さんの吃音への思いはとても深く伝わってきました。

重松さんが今回、対談ではなく聞き手であればという条件でお相手をお引き受けくださったのも、ご自身の吃音が関係あるということ(聞き手の方がお話しやすいとのこと)、ご自身の作品をどれか一冊だけ棺桶に入るとしたら、迷うことなく『きよしこ』であるということ、さらには、思うように話せなかったという経験が作家を志したことと深く関係していること、そして、吃音があって作家であるという現在の人生と、吃音がなくて作家でもないという人生を選べるとしたら、きっと吃音がない人生を選ぶだろう、ということ……。

重松さんにとっていかに吃音が大きな問題であったのか。それは想像していた以上のものでした。お話を聞きながら、拙著に登場する方たちの思いと強く重なり、重松さんが書評の中で書かれていた言葉が改めて深く思い出されました。そして同時に、重松さんがこうおっしゃっていたのが、とても印象的でした。

「吃音があってよかったと思うことはないけれど、吃音がある人生も悪くないといまは思える」

それはきっと、吃音で悩んでいる人たちにとって少なからず力になる言葉のように感じました。
ぼく自身もまた、重松さんの思いに同感でした。ぼくもやはり、吃音で悩んできたことと文筆の道に進もうと思ったことは無関係ではないし、それ以外の自分の性格や考え方も、良いと思う点もそうではない点も含めて、吃音と無縁では語れない。そして現状吃音で悩んでなくとも、吃音が自分の根幹にあることを、重松さんのお言葉を聞いて改めて思いました。

また一方、ぼく自身は、重松さんが作ってくださった流れのおかげで、身を任せるようにして話していくことができましたが、あとから思えば、言葉の選び方を間違ったように思う部分や、うまく言えなかった部分が少なからずありました。それでも、重松さんの心の奥底からの言葉と呼応し、その場で思いつく限りの言葉を発することができたようには思います。

それゆえに、うまく言えなかった部分も含めて、伝えたいという意思、そしてその核にあるものを、感じてもらえる場になったのではないかという気がしています。まさに、伝えたいという思いと「伝えらないもどかしさ」とを、重松さんとともに懸命に言葉にしようとした2時間だったようにも思います。

また、話がうまく流れていったように思えた要因には、休憩時間に会場の皆さんから紙面でいただいた質問の素晴らしさ、そして、限られた時間の中で、それらの質問を的確に、時間が許す限り紹介していく重松さんの巧みなディレクションがありました。さらに、参加者のみなさんが本当に真剣に聞いてくださっているのが伝わってきたことが、ぼくにとっても、おそらく重松さんにとっても、話をする上で大きかったように思います。

重松さんには、本の帯と書評を書いていただけただけでこの上なくありがたかったのですが、その上、このような貴重な場を持たせていただけたこと、本当に嬉しく、深く心に残る夜となりました。

重松さん、来て下さった皆さん、B&Bのスタッフの方々、新潮社の編集者のお二方、本当にありがとうございました。

イベント後は、サイン会でいろんな方とお話し(初めての方も、懐かしい方との再会も多数)、そしてその後、新潮社のお二人と打ち上げをしたのちに、余韻に浸りつつ、神楽坂の新潮社クラブに泊まりました。夜、歴史ある和室で一人横になりながら、いつか再びこういう機会を持つことができるだろうかと、寂しさのようなものも、また同時に感じたのでした。

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6月12日のめざましテレビ「尾崎図書観」にて、尾崎世界観さんに『吃音 伝えられないもどかしさ』をご紹介いただきました。

6月12日のめざましテレビ「尾崎図書観」にて、尾崎世界観さんに『吃音 伝えられないもどかしさ』をご紹介いただきました。

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尾崎さんのご紹介、本当にありがたいでした。

<うまくいかないことがあるときに、直していくということも大事なんですけど、うまく付き合っていくことも大事なんじゃないかなと思いました。言葉にならないものでも、伝えるべきものがあるし、伝わってほしいことがあるので、こういう人たちが実際にいて、悩みながら苦しみながら、誰かに何かを伝えたいと思っていることは伝わってほしいなと思って選びました。>

歌や小説という形で言葉を紡ぎ出して活動する尾崎さんにこのように読んでいただけたこと、嬉しかったです。

吃音を通じて、そして拙著にいただく感想などを通じて、人が人に何かを伝えたいという思いの深さを、日々噛みしめています。

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京都新聞夕刊「旅へのいざない」第2回(毎月第一木曜日掲載)

アジアの旅をテーマとした月一の連載「旅へのいざない」の第2回が昨日掲載に。今回は東ティモール。5年間の旅の中でも最も心が揺さぶられた日々について。結局過去の旅をまた振り返っていることに気恥ずかしさもあるけれど、思い出すたびに新たな気持ちが浮かび、旅の日々は、自分の中で更新され続けるものだなと感じています。

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京都新聞夕刊にて、アジアの旅をテーマに新連載「旅へのいざない」を始めます(毎月第1木曜日)

昨日(5月9日)の第1回(今回だけGWの関係で第2木曜に)は導入として、色々なきっかけとなった大学時代のインドへの旅について。その時の写真で残っているのが自分が写ってる1枚しかなく、プロフィールもかねて今回は19年前のその写真を使うことに^^;。もう大学卒業が19年前とは。。

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『月刊すこ~れ』連載 「子どものなぜへのある父親の私信」第9回(2019年5月号掲載)

『月刊すこ~れ』2019年5月号掲載の連載第9回です。

Q ニュースを見ると、世界ではいつもどこかで戦争が起きているし、日本もいつも近くの国といがみ合ったりしているように見えます。国と国って仲良くはなれないの?  

A 大学時代に受けた政治や国際問題に関する講義の中で、先生が次のようなことを言っていたのが強く印象に残っています。
「国と国の関係も、基本的には一対一の人間の関係と同じです。喧嘩もするし、仲良くもなる。ただ、関係をつくる上で考えなければならない要素が、人と人の場合より多くて、複雑なだけ」だと。
 国と国の関係も、人と人の関係も、基本は同じ。どちらにしても、気が合うか合わないか、感覚的に好きか嫌いかということが関わってきます。ただし、国と国の関係の場合、ものすごく多くの人の生活、そして政治、経済、歴史など、様々な要素が関係してくるために、お互いに意気投合できる部分と、いや、そこは認められないと対立する部分が必ず出てきます。そうした中で、何か問題が発生したり、うまくいかないことがあったりした場合に、ニュースとして伝えられることが多いので、テレビなどを見ていると、いつも関係が良くないように見えるのかもしれません。
 そして、関係がうまくいかない点ばかりを目にしていると、そのうち本当に相手に対していい感情を持てなくなることも考えられます。その結果、お互いに相手を嫌いになり、対立が増して、ついには戦争へと発展してしまうことも……。
 嫌だなと思う友だちでも、ふとその人のいい部分を目にすることで、あ、やっぱりいいやつかもしれない、もうちょっと話してみようかな、と思い直したことがある人はいるのではないでしょうか。国と国の関係もきっと同じはず。
 特に文化や常識が異なる相手については、誰でも誤解したり、警戒したり、違和感を持ったりしがちです。だからこそ、国同士の関係においては意識して相手のいい部分を探して、そこに目を向けることが大切だと思います。
 私たち一人ひとりの感情が積もり積もって国と国との関係につながっていきます。ニュースなどを見るときに、ふとここに書いたこと思い出してもらえたら嬉しいです。

Q テレビや新聞で見たことをうのみにしてはいけないよ、って先生に言われた。テレビや新聞は本当のことを伝えているわけではないの?

A テレビや新聞のように、様々な情報を伝えてくれるものを「メディア」といいます。普段私たちは、メディアのニュースや情報を通じて、世の中で起こっていることを知ります。最近では、インターネットの発達によって、ありとあらゆる意見や情報を簡単に知ることができるようになりましたが、そうした中で、テレビや新聞といったメディアは、情報を伝えることを職業とする人たちが、時間やお金をかけて調べ、内容を吟味したうえで発信する情報であるという点で、信頼性が高いといえます。
 でも、だからといって、それらのメディアが伝える情報がいつも正しいのかといえば、必ずしもそうではありません。それは、テレビや新聞がウソを伝えているというわけではなく、メディアとはそういうものだということです。
 たとえば、同じ日に出た複数の新聞を見比べてみると、一面に載っているニュースは新聞ごとに違います。それは、新聞社によって、どのニュースが大事かという判断が異なるからです。つまり、新聞は決して客観的なわけではなく、作り手の意図や価値判断が含まれているということです。ある新聞では大事なニュースだと判断されて大きな記事になっている出来事が、別の新聞では、自分たちの考えに合わないから目立たない小さな記事にしよう、といったことが当然あります。また、賛否両論ある政治家の発言について街の人の声をテレビで紹介する場合、賛成意見を紹介したあとに反対意見を紹介するのか、その逆にするのかで、見ている人の印象は大きく変わります。一般に人は、後に紹介した意見の方を正しく感じる傾向があり(伝え方にもよりますが)、そのような性質を利用して、メディアは自分たちの考え方に合った方法で伝えようとします。
 すなわち、どんなメディアも、作り手の考え方が反映されたものになります。うのみにしてはいけないというのは、そういうことでしょう。これは、メディアに悪意があるということではなく、情報とは必ずそういうものだということです。そのことを知っておくと、ニュースなどをより深く理解することができるはずです。

 

『月刊すこ~れ』連載 「子どものなぜへのある父親の私信」第8回(2019年4月号掲載)

『月刊すこ~れ』2019年4月号掲載の連載第8回です。

Q 中学生になって以来、「もう子どもじゃないんだから」と言われたり「まだ子どもなんだから」と言われたり。大人の都合で使い分けられているような……。いったい自分は子ども?大人?  

A 中学生になると電車などが大人料金になるせいか、ぼくも中学に入った時、自分も大人の仲間入りだと思った記憶があります。でも振り返ると、中学生はやはり子どもの側だろうと思うし、ほとんどの大人は同じように考えている気がします。おそらくそう思いながらも「もう子どもじゃないんだから」と言ったりする。それは中学生のみんなが、自分は大人になりつつあるんだという自覚を持てるように後押しする意味と、あとはまさに、都合よく使い分けているのでしょう(笑)。
 それはさておき、人はいったいいつ、子どもから大人に変わるのでしょうか。大人と子どもの違いは何なのでしょうか。
 成人となる二十歳を境目だとするのが最も客観的と言えるかもしれません。また、働き出したら大人、自分で生活を営むようになったら大人、という意見もあるでしょう。つまり人によっていろんな捉え方があるように思います。
 そうした中で、ぼくにとってもまた、自分なりに考える大人と子どもの境目があります。それは、自分がいつか死ぬ、ということをはっきりと意識できるかどうか、であると考えています。ぼくは二十九歳でちょっとした手術をする機会があり、その際、自分ががんになるかもしれない可能性を意識することになりました。そしてそのとき初めて、自分もいずれ死ぬんだという実感を得ました。それはショッキングな気づきでしたが、しかし同時に、そう実感できて以来、毎日がとても貴重に思えるようになって、生きていく上での心構えが変化したように感じています。
 言い換えるとそれは、人生もう後戻りはできないんだと自覚することなのだと思います。年齢には関係なく、その気持ちを持ったときに人は、行動や考え方に変化が生じ、子どもだった時代を終えるのではないかという気がしています。それが具体的にどんな変化なのかは人によって異なると思いますが、戻れないという事実を受け入れ、向き合うようになったときに人は大人なるのかな、と。でも、そうすると、大人になるのはまだだいぶ先になりそうかな?         

Q 私は自分自身の中に、どうしても受け入れられない嫌いな部分があります。どうして自分だけこんななんだろう、って思ってしまう。どうしたらいいでしょう。

A 自分自身について受け入れられない嫌いな部分というのは、いわゆる「コンプレックス」と呼ばれるものだろうと思います。能力や容姿、性格などについて、自分が望むような状態ではなく、できることなら変えたい、直したい、と思う点。それが具体的に何なのかはわかりませんが、きっと、あなたにとって大きな問題なのだろうと想像しています。
 だとすればおそらく、誰かに、大丈夫だよ、気にすることないよ、などと言われても解決することではないかもしれません。むしろ、簡単にわかったようなことを言ってほしくないという気持ちになるかもしれません。それゆえぼくは、あなたがそれを乗り越えたり受け入れたりするのを願うことしかできないようにも思います。ただ、もしかすると参考になるかもしれない自分の経験を一つ書いてみます。
 ぼくは、高校時代から吃音、つまり、話すときにどもることで悩むようになりました。うまく話せなくて意思疎通ができなくなることがあったり、どもる姿を見られたらどうしようといつも考えてしまったり、とても大きなコンプレックスでした。自分にとってその悩みは深刻で、なんとか克服できないかといろいろ試みましたが、叶わず、結局ぼくはそれをきっかけに就職するのを断念しました。そして、考えた結果、旅をしながらフリーでライターとしてやっていけないかと、大学院を修了後に日本を離れて文章を書き始めたのでした。つまり、ぼくが文筆業で生計を立てるようになった発端は、自分のコンプレックスだったのです。そしていまは、そのような選択をしてよかったと思っています。
 一概には言えないけれど、コンプレックスをなんとかしたいと悩む気持ちは、自分の人生を動かす原動力にもなりうるように思います。嫌だという気持ちに素直になって、では、どうすれば自分は生きやすいのかを考えると、あなたならではの生き方が見えてくるかもしれません。
 ちなみにぼくの吃音は、旅の途中でなぜか突然消えていきました。その理由はわかりません。